ある晴れた日に
五月生まれだから皐月。十二月でなくてよかった。さつき、という名前の響きはきれいだし、皐月という字面もうつくしいと思う。いまの苗字とのバランスもいい。
昔の盲聾の偉人が「目が見えないことは人を世界から隔て、耳が聞こえないことは人を人から隔てる」と言ったと何かの本で読んだことがある。目が見えて耳も聞こえる私にはこの言葉にどれだけの妥当性があるのかは分からない。皐月に聞いてみたい気もするが、私が知りたいのはどうすれば皐月が幸せになれるかで、よその誰かが言ったことを皐月がどう思うかではない。
出会ったころの皐月はコドモで、私もコドモだった。おはしょりをたっぷり取った着物の右の袂を左の手できゅっと握りしめていて、今思えばとても可愛らしかったはずだけど、あのころの私は「親の再婚」で「新しくできた妹」が「目が見えず、耳も聞こえない」という情報でいっぱいいっぱいで、あのころの皐月の顔をあまり覚えていない。ただ、やせっぽちの体に対して着物の布成分が多いなと漠然と感じたのは覚えている。
出会ったころ中学生だった皐月と高校生だった私は、それでもなんとかお互いに馴染んで、そこそこ仲の良い姉妹になれたと思う。喧嘩や恋バナをするような仲にはなれなかったけれど、それでも親に紹介するより先に結婚相手に会わせてくれ、「姉さん、彼どんな顔?」と指文字で伝えてきた皐月のはにかんだ笑顔をいまも覚えている。その指にやがて嵌められた約束の印は職人の手作りだという。石を入れてもよくわからないし、それより手触りと重さを重視したいという皐月の希望に合わせて相手が見つけてきたという工房のオーダーメイド品は、そっけないように見えて皐月にとても似合っていると思う。今も和服を着る機会の多い皐月には、その手には、主張しすぎない、けれど存在感のあるホワイトゴールドのリングがとてもよく似合う。
一目惚れだった。皐月に恋をしてはじめて、私は自分が女性を好きになる女性だということに気づいた。出会ったころはまだお互いにコドモだったけど、皐月が高校生のころに一度だけキスをした。
結婚式で皐月は親への感謝の言葉を私に指文字で伝えて、私が言葉で皆に伝えた。その時に親戚の一人が言った、盲聾の偉人とその教師みたいねと。私は皐月の教師や助け手になりたかったわけではない。けれど人生を共に歩む相手を見つけた皐月の助け手として、私はその時そこにいた。