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生かされている「わたし」からの体験②
こんにちは。
社会福祉士事務所「ひつじのお里」のひつじです。
きょうもご訪問くださりどうもありがとうございます。
ようやく日中の暑さも和らぎ 蚊もほとんどいなくなったので
庭の草抜きや剪定がはかどります^^
前回に引き続き 人生の大きな転換期について
その続きをお話しますね。
「新たな出会い」は「自分と出会う」出会いだった
アメリカから帰国と同時に シングルマザーになったわたしは
引っ越し資金をためるために 一年間実家にお世話になりました。
が その一年間は 自己肯定感がとても低かった「じぶん」と向き合う
最も辛い一年間でした。
中学1年生と3年生という 思春期ど真ん中の息子と娘。
二人のわたしに対する反抗が容赦なく続く日々。
何度となく担任の先生と夜通し探し回ったり
「学校に行きたくない」という言葉を何度も聞いたり
家の中でも 二人はほとんど口をきいてくれず
「そこに居るけど誰もいない」孤独をとことん味わいました。
子どもたちとまともに話せないことは
他人に無視されるよりも 元夫の無視よりも
もっと鋭利に深くこころに突き刺ささると同時に
「自分の存在を否定された」感覚が全身に拡がるのを感じたのでした。
いま振り返ると
「嫌いな自分」への攻撃が そのまま子どもたちの言動となってわたしに返ってきてたのだと思います。
一年後
娘の高校入学を機に引っ越しをし親子3人での生活が始まりました。
それから数年後 ある一人の男性に出会います。
いま思うと
お互いが「自己肯定感」が低い状態だったので
”低いもの同士"
引き合ったんですね。
そして
この男性との出会いが
「自己を成長させる」まさに始まりだったのです。
正式に付き合い始めたのは 子どもたちが成人してからになります。
そしてさらに数年後籍を入れました。
ところが結婚後 彼が社会的に不適合だということが分ります。
出会った頃は 彼は社会保険労務士で 嘱託公務員でした。
(その頃は 人間関係もほとんどなく仕事が型にはまっていたので氣がつかなかったらしいですが)
それが結婚後 仕業で独立した途端に彼は自分に自信を無くしてしまい
働けなくなったんです。
第二の転機はこの時からの数年間です。
ここからの7年間は 根無し状態で引っ越しばかりしていました。
最初の2年間で3回引っ越しをした後
夫は全くの独学で自家製天然酵母とパンを学び
お互いの貯金を全部投資し京都でヴィーガン専門のパン屋を始めました。
機材を買う余裕がなかったので
発酵器もミキサーも業務用オーブンもなく あるのは家庭用オーブンのみですべて手ごねの自然発酵でした。
その時はとにかく生活するのに必死だったんですね。
日銭を稼ぐために ほとんど休みなく午前2時から夜の9時頃までひたすら働きました。
わたしは保育士のパートをしながら パンのフィリングを作ったり販売を手伝っていました。
それでも店舗つき住宅の家賃支払いだけで精一杯で 全くの自転車操業だったんですね。
イベントに出店することで何とか続けることができていましたが
最後は生活ができなくなり 結局4年半でお店を閉めました。
このお店は長く住んでいましたが
その前後を併せるとトータルで7回くらい引っ越しをしたでしょうか。
引っ越し業者は頼まず いつもハイエースを借りて引っ越しをしました。
大型家具は最初の引っ越しの時に手放し それからは必要なものはその都度中古で揃えました。
ミニマム生活そのものでしたが 一方でその身軽さを心地よく感じていました。
彼との出会いは わたしが離婚時に望んだ通りだったんですね。
「もし将来に別の人と結婚することになった時に お金持ちとは絶対に結婚しない。悠々自適の生活はわたしはしてはいけないんだ。」
そんなことを強く願い そうなることを無意識に望んでいたんですね。
潜在意識の引き寄せって本当にあるんだと その時に思いました。
また「自己の成長に必要な人」と出会うようになっているのだということも。
わたしは 元夫との生活で お金に全く無頓着で家計簿もつけたことがなかったんです。
かといって 特に自分のものを買ったりと無駄遣いをしていたわけでなかったのですが お金に対する「感謝」が薄かったように思います。
なので 離婚後に出会った彼は まさしくお金のことを学ぶのに絶好の人だったんですね。
貯金なし 職なし そう「お金ゼロからのスタート」を一緒に体験することになったんです。
シングルの時も お金の有難みを心底味わいましたが 再婚後は より厳しい現実が待っていました。
商売することの難しさもさることながら 夫の幼少期から鬱積されたものがたまに爆発することもあり どう対処すればよいか分からず 先の見えない不安が襲ってくることもありました。
その都度 自分の劣等感と向き合い 時に彼のカウンセラーとなり
全力で向かってくる彼と戦っていた氣がします。
この数年間の彼との葛藤は とことん自分と向き合うことを余儀なくされましたが 自分への氣付きも多かったです。
お店を閉めた後 ある田舎へ引っ越しをしました。
引っ越しをした直後に 全く疎遠だった叔母さんから一本の電話が掛かってきます。
「そんな所に居ないで 早く地元に帰りよ」
この電話は 天にいる母親からのメッセージだと その時にピンと感じたんですね。何故なら 電話が掛かってきたタイミングが まるでどこかで見ているようなタイミングで しかも 何年も話していない叔母さんからの電話だったから。
そして半年後 実家の父親の介護もあり Uターンすることを決めました。
それから三度目の転機が訪れます。
元夫との生活を 自分のこころを誤魔化して続けていたら
もちろん 全く違うパラレルになっていたでしょう。
今世で「元夫との関係から自己成長する」という選択肢もありました。
でもわたしの魂は それを選ばなかった。
あえて困難な あえてアップダウンの多い
あえて引っ越しの多い あえて・・・
探し出すと枚挙が無いですが
そう あえて
よりドラマティックな振れ幅の大きき人生を選んだことだけは
確かな「わたしの魂の願い」だったのだと思います。
きょうも最後までお付き合いくださりどうもありがとうございます。
こころからの感謝を込めて。