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チャット文に取り残される人たち

こんにちは。
このブログでは「自分の人生を自分らしく生きるために」をテーマに教育、子育て、転職、投資などの話題や情報をお届けします。

高校くらいから気づいていたけど、最近これが苦手だと厳しくない?ということに「会話形式」の文章があります。

ちなみに会話形式とは、↓こんなのです。

LINEの使い方ガイドより

高校で脚本形式の文章に挫折

高校の時にシェークスピアでも読んでみようと思って、会話形式というか脚本形式の文章に即挫折しました。

まったく内容が頭に入ってこないのです。
ギリギリ二人までなら話の筋をおえますが、3人以上だと

「え、お前誰?」

となって、

「前にこのセリフ言ったの誰だっけ?」

となります。

小説だと問題なく読めるのですが、会話のラリーの応酬になると頭に入って来なくなります。

その頃は、まあ脚本が読めなくても人生で困る事はないし問題ないだろうと思っていました。

デジタル化社会では会話形式の文章がスタンダード

しかし、最近、会話形式の文章が苦手だと不便な世の中になってきたことに今更ながら気づきました。

まず、上の図のようなLineやTeams、Zoomなど、連絡手段がチャット形式が一般的になりました。

特定の人とだけのチャットだと問題ないですが、多くの人が募るサロンやサークル的なチャットだと理解するのに時間が掛り、読むのが億劫になります。

また、Q&Aなどコミュニケーションでないものも会話形式が一般的になっている気がします。

さらにChatGPTなども「Chat」と名前に入っているように、AI界隈も会話形式が一般的になっています。

教育界も会話形式が一般的に

最近、子どもの国語のテスト、教科書、中学受験の問題を見ていると会話形式の問題が非常に多い印象です。

会話形式が多い目的としては、出来るだけ現実に即した状況を文章で作り出し、そこから内容を理解し問題解決につなげる意図があるようです。

自分の子どもを見ていても難なく文章を理解している印象です。

私の場合は、一旦、余分な箇所を省き、それぞれの人が言っている内容を頭でまとめて記憶する。それを会話が続いている間、常にアップデートしている感じです。短期記憶にあまり自信がないので、結構しんどい作業になります。

ちなみに、当時、現代文はかなり得意な方で何もしなくても満点が取れました。しかし、今、私が学生だったら厳しかったかもしれません。

文章理解と会話形式では使う脳が違う?

そもそも、普段の会話でも1対1だと問題ないですが、相手が複数、特に3人以上になると途端に何を言っているのかわかりづらくなり、会話に入るのが大変になります。

そこで思ったのですが、説明文や物語などの文章理解と使っている脳の部位が違うのではないでしょうか。もしくは、使うシステムが違う気がします。

会話形式の方が、短期記憶やまとめる力が問われている気がします。

Lineやチャット形式が一般的になってきたことを考えると、多くの人は会話形式の方が理解しやすいのでしょうか。

今後チャットが一般的になるにつれて、私と同様に会話文を苦手にしているような人は、困る場面が多くなる気がしています。



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