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10私のメンタル大震災(Ⅰ)

さて、話は横浜地裁に戻ります。簡易裁判所の第一回口頭弁論は平成23年4月14日でした。本来ならば、その前の平成23年3月17日に南村さん、西村さんの第一回口頭弁論があるはずでした。
 
横浜地裁で訴状は受理されましたので、私たちはそのまま裁判が始まるとばかり思っていました。ところが、やはり甘くはありませんでした。横浜地裁にも絶壁が立ちはだかっていたのです。

私達は、西村いちろうさんの「いちろう」の漢字がわからなかったので、ひらがなのままで訴状を出して、2月9日、受理されました。ところが、2月中に書記官から、ひらがなではダメだ、という連絡があったのです。
(受理されると、提訴した事件の担当裁判官が決まります。書記官は裁判官 の下で働く事務さんのような立場の人です。)

「えっ?じゃあ、どうすればいいんですか?弁護士さんに頼んで調べてもら  うしかないんですか?」

当時、金銭的余裕のなかった井上君は、一瞬で冷汗が吹き出たそうですw
ところが書記官はあっけなく
「いえ、大丈夫ですよ。ご自身で被告の方の住民票を取ってきて下さい。」

イヤイヤイヤイヤ他人の住民票を取るなんて、弁護士しかできないでしょう!!!!と、思っていたのが一般人の私達です。
ところが、訴状を受理されたら、
 
タダの一般人ではなくなる
 
のですね!!!
 
書記官によると、西村さんの住民票は、裁判中である事を証明すれば、西村さんの住民票のある市役所で交付してくれるとのことです。具体的には、井上君が西村いちろうさんの住所地の市役所へ、裁判中である証明書を持って行きます。それだけではなく、書記官が市役所の窓口の方にも電話で話をしてくださるそうです。

なんと手厚いこと!!!裁判所が、ここまで親切だとは!!
これには心底驚きました。

その証明書というのは、自分で「受理証明申請書」を作成して、書記官に証明印を押してもらうものです。これは裁判所に雛形がある書類なので、井上君自身が裁判所へノートPCとモバイルプリンターを持って行って、書記官の指導の元、作成して提出しました。

受理申請書

「受理証明申請書」に、書記官が、訴状一式のコピーをホチキス止めして、「上記の通り証明する」と、ゴム印を押して、書記官の印鑑を押したものが「受理証明書」になるのです。


受理証明書


この「受理証明書」は、即日交付していただきました。

この本人訴訟は、このように書記官のご指導あってこそ出来たものです。
裁判所とは、私達素人にとっては「保育園」のように丁寧に面倒を見てくださる、ありがたい場所だったのですね!!!上級国民の城、という最初のイメージとは全く違っていました。
 
ただ、この頃は井上君は就活中で、面接なども入っていて、すぐにはM市まで行けないでいました。私としては、少しでも早く西村いちろうさんの名前の漢字を直さないとマズいかな、と心配していましたが、やはり仕事探しの方が優先ですから、井上君には何も言わないでおきました。
同時に、私も裁判関係の書類作成から開放された時期でしたので、それまでの睡眠不足を補うこともできて、ちょっとは楽だった時期でした。

 
こんなある日のことです。まだ、とても寒くて、冬のコートにマフラーと手袋が必要だった3月11日。この日は金曜日でしたが、私は仕事を休んでいました。虫の知らせとでも言うのでしょうか、この日は東日本大震災が起きた日です。何故か、何が何でも会社に行きたくありませんでした。
いつも行きたくありませんでしたが、この日は、と・に・か・く、行きたくなかったのです。。
別にクビになってもいいや…デブ店長とデブお局のデブハラ帝国なんか、もう、つきあいきれないと思っていましたし、お店に電話をしたらパートさんが電話に出たので、風邪です、と言って休む事にしました。
 
そして、たまには買い物でもしてストレス解消しようかな、と出かける支度をしていた時、井上君から電話が架かってきました。
「おい!大変だよ!!来週の裁判なくなっちまった!!」
「えっ?何で?」

予定では、この6日後の3月17日は西村さん、南村さんの第一回口頭弁論のはずでしたから、私も何事かと驚きました。
「今、書記官から電話があって『移送申し立て』ってのが向こうの弁護士から出されたんだって!」

移送申し立て?さすが素人、初めて聞く言葉です。
これは裁判所を替えてくれ、という意味だそうです。つまり井上君は横浜地裁に提訴したのですが、相手方はG県M市に住んでいるのでG県の裁判所でやってくれと言う話です。
確かに基本的には「訴えられる方」の住所地の裁判所に訴えるのですが、私達は一か八か、井上君の住所地の横浜裁判所に提訴して、何と受理されたのです。
受理されたのは2月9日でしたね。この3月11日から約1ヶ月前です。西村さん、南村さんの弁護士は簡裁と同じく白根義隆先生です。
 
簡裁では、移送申し立てをせずに神奈川簡裁で応訴したのに、地裁は地元でしろ、という事は、一体どういう事なのでしょう?
しかも移送申し立てを裁判の1週間前に横浜地裁に出したのは、勤め人の休日取得の苦労を知っての嫌がらせかな?これも弁護士先生のテクニックなのでしょうか?またまたお勉強させていただいて、ありがたいこと…。

あっ、それどころではありません。私たち、さすがに大慌てしました。井上君はいいとしても、M市の裁判所でやるような事になったら私も毎月M市に行かなければならなくなってしまいます。そもそもこの裁判は、私が訴状や他の書類作成・指揮監督で井上君がプレイヤー。二人セットでやるものなのですから、私も傍聴人として毎月M市に行って宿泊費を出さなければならなくなってしまいます。冗談じゃない!

かと言って、ここで辞める訳にも行きません。
 
この『移送申し立て』は、白根弁護士から横浜地裁にFAXされてきたとのことで、井上君と私はソッコー横浜地裁に飛んでいきました。
(この時、移送申立が却下された場合用の答弁書もFAXされて来ました)

これが、その『移送申立書(本案前の申立)』です。

移送申立て書


 冒頭の事件番号と、書記官が押した一番下の楕円形のゴム印の中に書かれた事件番号が違いますね。これに関しては後で書きます。

それにしても、私も間抜けな事をしてしまいました。
この「移送申立書」に、西村いちろうさんの漢字「一郎」が書かれていましたので、わざわざ井上君が西村いちろうさんの住民票を取りに行く必要はなくなったのです。(白根弁護士は、私たちが西村さんの住民票を取りに行く気だとは思っていなかったのでしょうね)
いくら何でも、そんな事に気づかなかったなんて…ああ、恥ずかしい…。

言い訳しちゃいますけれど、この「G県M市を管轄する裁判所でやってくれ」、という申立ては、基本中の基本、「提訴は被告の住所地を管轄する裁判所に行う」ですから至極当然です。この時の私は、この「移送申立て」が通る確率は99%だと思っていましたので、冗談抜きでキョドっていたのです。

西村さんと南村さんを訴えた方は、第一回口頭弁論が木曜日です。と、言う事は、今後も裁判所に行くのは木曜日でしょう。当時の不動産屋は、ほとんどが水曜日が休みでしたから、毎週、火・水か水・木曜日に休みを取ります。今は土日に休みを取れるそうですが、当時は土日祝祭日に休みを取れる事はありませんでした。
北村三郎さんを訴えた方は、第一回口頭弁論が火曜日でしたが、傍聴するのは西村さんと南村さんの方だけでいいと思いました。

ですが、G県M市の裁判所に移送されたら、毎月の期日が何曜日になるかわかりません。ここも頭の痛い所でした。
当時勤めていたデブハラ会社は、20時に帰れるので書類を書く時間がとれたのです。当時の横浜の不動産会社は、だいたいどこでも終電で帰るのが当たり前でした。出社は9時前が当たり前、自分の時間なんてないも同然。休みの日は、ひたすら寝ないと身体がもたないという状況でした。ですから、あのデブハラ帝国勤務でなければ本人訴訟をやろうなんて思わなかったのです。

私は、いくら好奇心からとはいえ、始めた喧嘩に負けるなんて絶対にイヤですから、この時ばかりは心底、目の前が暗くなる思いをしたのです。


ちなみに、超ブラックな不動産業界ですが(最近は不動産業界の労働環境は、かなり改善されています)、私がこの業界から離れようと思わなかったのは、ほとんどの会社が営業成績第一だったからです。営業成績、つまり「勝ち負け」ですね。私は売買の方はすぐに結果が出なくて、つまらなかったので賃貸だけやっていました。

成約、つまり「勝ち」は、とにかく楽しかったのです。お客さんがニコニコしながら印鑑を押してくれる瞬間は最高でした。
これから結婚式を挙げるという若い二人が、カウンターで印鑑を押した契約書を手に「記念写真を撮って」と言ってくれた事もありました。

こんなこだわりの強い私にも、一つだけ自慢できる事があります。不動産賃貸はキャンセルされる事が良くありますが、私の場合、勤めた会社4社全部合わせても、キャンセルはたった一回だけでした。
その理由が「彼氏と同棲する約束で契約したけれど、彼氏と連絡がつかなくなった」。不可抗力ですね。親御さんが保証人でしたが、もしかしたら悪い男に騙されてしまったのでしょうか…。

お客さんには、社長を無視してでも徹底的に親切にする、これが私の流儀でした。冗談抜きで「お客には3件以上物件を見せるな」と怒鳴る社長のスチール机を思い切り蹴飛ばした事もあります。ふざけるな!5件でも10件でも、お客さんが納得するまで見てもらいますよ!その分、結果は必ず持って来てやるんだから。
その時の社長は、社員が反抗して来るなんて想像もしていなかったのでしょう。それ以来、社員みんな(小さい会社だったので、社員は多い時でも10人でした)のイジメの対象になってしまった事は言うまでもありません。
今、その会社は存在していません。ワタシ、カンケーないけどねwww



目次
1大家が泥棒(Ⅰ)
1大家が泥棒(Ⅱ)
1大家が泥棒(Ⅲ)
2オタ友のために(Ⅰ)
2オタ友のために(Ⅱ)
2オタ友のために(Ⅲ)
3現場検証したら(Ⅰ)
3現場検証したら(Ⅱ)
3現場検証したら(Ⅲ)
4仕事しろよ(Ⅰ)
4仕事しろよ(Ⅱ)
5本もない(Ⅰ)
5本もない(Ⅱ)
5本もない(Ⅲ)
5本もない(Ⅳ)
6お宝20号
7普通が一番
8下準備(Ⅰ)
8下準備(Ⅱ)
9暴走簡裁(Ⅰ)
9暴走簡裁(Ⅱ)
9暴走簡裁(Ⅲ)
9暴走簡裁(Ⅳ)