4仕事しろよ(Ⅱ)
ところが、待ちに待ったSさんからの電話が来た時には、緊迫感がまったくなくなっちゃって、いつものS刑事さんのノホホンとした口調に戻ってしまっていたそうです。
「え~っとですね、南村さんの話ですとね、本当の所有者は謎田黙男さんという人なんですけどね、南村さんが固定資産税を払っているから、所有者は東村和美さんだそうです。」
「はい?」
井上君、思わず聞き返しました。謎田黙男、という人は登記簿には記載されていないし、謎田さんが所有者ならば、固定資産税は謎田さんが払いますよね。
「あの!刑事さん、そしたら所有者は、その謎田さんじゃないんですか?」
もちろん井上君も聞き返しました。
「いや、だから所有者は東村和美さんでいいんです。もうね、井上さんね、この件はこれでいいでしょう?もう終り、ね。」
そう言うと刑事さんは電話を切ってしまいました。
「終わりって…」
井上君は、あっけにとられて怒るどころかボーゼンとしたそうです。当然です。普通、それなら謎田さんに確認しますよね?S司法巡査?
それに南村おばぁさんが固定資産税を払ってたら、どうして東村和美さんが所有者になるんですか?刑事さん未満の司法巡査?
それからおばぁさんが固定資産税払う理由って何なんですか?普通、理由聞きますよね?謎田さん、南村さん双方に聞きますよね?未来の刑事さんかも知れないSさん?
「もう一度電話してみる。」
井上君がそう言いましたが、私は止めました。
この時、私はお昼休みでコンビニに買い物に出ていました。ちょっと会社に戻るのは遅れるかも。まぁ、どうせ店長も、お局もいないからいいか。
「Sさん、完璧にやる気ないよ。そこまで拒否るんじゃ、逆効果だから。」
「だって、あの理屈オカシ過ぎるじゃねーか。中学生だってあんな屁理屈信じないぜ。」
「Sさんには何言ったって無駄だよ。あの人、仕事しないって言うより仕 事できない人じゃないの?」
「だよなぁ…俺だって、あそこまで仕事しないヤツ見た事ない。」
井上君の深~いため息…。何とか現場検証やってもらって、被害届を出す、そこまで行くのだって大変だったのです。
それが
「これで終わりね。」
ですって?
小学生でも納得行く話ではありません。
「いのっちさぁ、こうなったら、やる?裁判。」
「おう!」
と言った井上君ですが、ちょっと黙って、また深い溜息をつきました。
「…俺、カネねぇし…。」
「カネがないなら体を使え、だよ。」
「あぁ?」
「いのっち、お昼の時間終わっちゃうからさ、仕事終わったら車で迎えに来 て!車の中で話そう。」
いくら気分の悪い会社とはいえ、当時はまだ転職する気はなかったので、時間は効率よく使いたかった私。話はとにかく簡潔に済ませないと。寝不足はお肌に悪いですからね。
「おつかれぇ~。」
夜8時過ぎ、井上君の車が会社の前に横付けされました。当時、私の勤めていた会社は、県内では中堅会社で、その中の1店舗でした。定年近くのオッサン店長と、40代半ばのジャニヲタお局、それから30代半ばに見えるパートさんしかいない、小さなお店でした。パートさんは朝9時から午後4時までの契約。店長とお局は正社員ですので、朝は9時から午後6時まで「いる」はずなのですが、この二人のタイムカードは私が押していました。朝9時より数分前に、午後は6時半前後に。実際の「お出まし」は任意ですw。 本社からは誰も視察に来ませんので「赤字つくり」のための店舗だったのでしょうね。
店長とお局が仕事をした所などみた事がありませんでした。いえ、お店の中に長時間いる所も。不動産賃貸が主な仕事だったのですが、少なくとも私が在籍していた間に問い合わせの電話など一度もかかって来ませんでした。飛び込みのお客さんは一人いましたが、店長もお局さんも案内の仕方がわからないのか、私に振って来ました。
こういう状況でしたので、パートさんが帰った後は、ほとんど私ひとりでHPの更新や日報書き、お店の前の旗の片付けや掃除をしていたのです。
「ヨッコイショ!」
と、ジャンプしなければならない程、井上君の車の車高は高いのですが、見晴らしはいいです。井上君が珍しく気をきかせて肉まんと缶緑茶を買って来てくれました。
「ありがとぉ~!せっかくだから頂いてから話すね。」
寒い季節はやっぱり肉まん!アンパンと違って愛と勇気だけが友達じゃないよ、庶民はみ~んな肉まんの友達さ!
「で!話の概要。1,弁護士ナシでも裁判はできる。2,いのっちはムリだ けど、私ならできる。3,ただし、弁護士資格のない者が報酬を得て弁護 士の仕事をしたら違法。」
根拠のない自信と温かいお茶で一息つきます。
「違法?」
「そ、弁護士法違反でお縄。つまり私がやってあげるなら、タダでやるしか ない訳。」
「タダ?おおぅお代官様ぁ~おありがとうごぜぇますだ~~!」
と、野良猫が道路を横切りました。スピード出すなよ、井上君の意地よりも野良ちゃんの命の方が重いのだから。
「はい、次。4,必要なお金は、裁判所に裁判やって下さいと訴状を出すと きの印紙代だけ。これは訴額によって金額違うから。あ、訴額っていうの は相手に請求する金額ね。いくら何でも、いのっち退職金あるじゃん。印 紙代数万円くらい払えるよね。5,ここからが大事だよ。」
「うん。」
私がこういう事を知っていたのは、前に働いていた会社のお客さんから聞いたからでした。最近は簡易裁判所で「サラ金などの過払い金」の請求を本人訴訟でやる人が増えたので、本人訴訟も珍しくない時代になりましたが、この当時は「本人訴訟」と言う言葉すら知らないのが当たり前だったのです。
「あのジィバァたち、自分の頭で裁判できると思う?」
「そりゃあムリだろ。ムリムリムリムリどう見たって俺よりバカ。あはは。」
「だよね。訴えられたら、アイツら弁護士雇うしかないよね。」
「あっ、そう言えばアイツら、もう弁護士頼んでたよな。」
「…どういう理由で弁護士に依頼したんだろう?…あっ!!」
「どした?」
「忘れてた!!年寄り連中、クリスマスイブの夜、すでに弁護士がついてい たんだよね?だったらM署に来るなら弁護士と一緒のはずじゃん!!」
「ああああ~~~っ!!!そうだゎあああああああ~~っ!!」
「私もウッカリしてたぁ!!って言うかさ、もしかしたら弁護士の話もウソ かもね。」
「いや、だって、弁護士の名前と電話番号は合ってたぜ?俺、事務さんと話 したもん。」
「でも、その弁護士から連絡は来なかったよね。う~ん…じゃあ、ジィバァ は電話帳とかでテキトーに弁護士の連絡先をメモってM署に来たんじゃな いの?」
「あ~、それはアリだゎ。それなら納得。あのクソジジババならやりかねな いよなぁ。」
ソコは完全に同意しますw
「でね、いのっち、やっぱ悔しいでしょ?」
「あったりまえじゃん!!」
「でも殴ったり蹴ったりはご法度。日本って安全だよねぇ。そこで。」
私の、よぉく冷えたアパートの近くまで来ました。早くお風呂で温まりたい!明日も5時起きなんだし早く寝たい~。と言う事情で、さらに早口になる私。
「弁護士を雇ったら、まずは着手金を払うよね。それから、裁判は基本、『訴えられた人』の住所地近くの裁判所でやるから、かなり遠くに住んでる 相手を訴えた場合は、そっちの裁判所まで弁護士が何回も行くの。その交 通費と宿泊費も依頼人が払う訳。」
「えっ?俺、毎回M市に行く訳?そりゃキツイなぁ…。」
「ね!だから基本に忠実にやれば、私がいのっちの代わりに裁判書類を書い ても、いのっちが毎回G県裁判所に行かなきゃならないの。交通費、宿泊 費使って。」
「えええええええっ?じゃあ俺、全然やる意味ないじゃん!!」
「そこはね、この私がやれば何とかなるよって言うか。」
実は、私はイレギュラーな事態を山ほど見てきました。不動産営業という、詐欺師や反社会的人物と遭遇する事もある職業の中で生き抜いて来たので、おそらく何か抜け道があるはずだと思ったのです(良い意味で、ですよw)
「まぁ、気にしない、気にしない。G県でやる事になっても、きっと山の神 様が助けてくれるって。」
そもそも井上君のお父さんは定年退職した元国家公務員ですから、「抜け道」がなくて出費がかさんだとしても、お父さんが出してくれるでしょう。お金持ちは神様です。
「さぁ、ここからが面白い所だよ!弁護士の成功報酬ね!」
「うん、そうとう取るんだろ?」
「そうそう、今は報酬額は自由化されてるんだけど、報酬が法律で決められていた頃の計算式で決めるのが普通なんだって。」
早く帰りたい私は、ますます早口になります。
「で、報酬ってね、例えば1000万円請求されたとするでしょ?」
「うん。」
「弁護士を頼まないで放って置いたら1000万円自動的に払わないとなら ないの。だけど裁判に応じて、600万円支払いなさい、と言う判決が出 たら、本来1000万円支払わないとならない所を『弁護士の力量で』6 00万円までディウカウントさせた、そういう理屈なの。」
「へぇ~。」
「そしてディスカウントしてあげた400万円のうちの何割かを成功報酬と して受け取るんだってさ。つまり、訴額が少ないと弁護士に払う金額が少 なくなるから」
「1000万円請求とかなっ!!」
「さすがに、そこまではムリだよ、あはは。500万円くらいかな?せいぜ い。」
「えっ?できるの?500万円も請求できるの?」
「請求するのは自由だよ、だけどさぁ裁判官にキチガイと思われたら意味な いからね、ちょっとやり過ぎ、くらいの500万円でいいんじゃない?」
「そっか!」
「予想としては…そうだなぁ…窃盗したのは確かだから半分の250万円く らいの判決が出たらいいなぁ、あくまで希望ね。」
「いずれにしても、ジジィどもは大金払って発狂か!」
「そう、それが狙いだよ。散財させてやる事が仕返し!まぁ、どうせ判決が 出ても払わないだろうけど。」
「えっ?いいの?払わなくて。」
「そうなったら素人じゃムリ。弁護士頼んで差し押さえとかで回収してもら うしかないけど、その時は確実に判決が出ている訳だから弁護士に支払う お金は確保できている訳。」
「そっかぁ、まぁ最後にはプラマイゼロくらいにはなるのか。」
「そして私はタダ働き。」
「まぁまぁまぁ、そこは、ほら!」
ニヤニヤする井上君。ここはやっぱり
「そっちだって遊びたいんだろ?」
「えへっw。」
バレバレです。
生まれつきの性分か、遺伝か、とにかく私は好奇心が強くて、出来る事は何でも自分でやってみたいタイプです。
裁判という、弁護士先生がやる仕事を自分で出来たらこんな面白いことはないよねっ!
井上君にだって、私が「好意」でも「厚意」でもなく、好奇心でつきあっているのはお見通しです。
こうして、私(と井上君)のド素人本人訴訟が始まったのです。
目次
1大家が泥棒(Ⅰ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n1d2ec9a61014
1大家が泥棒(Ⅱ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/nda364f9e2a8a
1大家が泥棒(Ⅲ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n396b56850b7b
2オタ友のために(Ⅰ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/ncccfe108fe91
2オタ友のために(Ⅱ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n8df694a40b59
2オタ友のために(Ⅲ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n5f7c63af2389
3現場検証したら(Ⅰ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n4647148d4706
3現場検証したら(Ⅱ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/n6e0220f833b5
3現場検証したら(Ⅲ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/nc3102f2a8136
4仕事しろよ(Ⅰ)
https://note.com/sheep_lullaby/n/nae4d4092601f