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8下準備(Ⅰ)

さて、訴状が受理されたら、次は「実際の裁判」のお勉強です。
ちょうどその頃、世間を賑わす「損害賠償請求事件」がありました。内容に触れたらマズイかも知れないので省きますが、週刊誌にもあれこれ書かれていたし、井上君も私もすごく興味があったので傍聴に行ってみました。

二人とも傍聴なんて始めてでした。有名な裁判は傍聴人が集まって来るようです。傍聴は抽選になるそうですから、かなり早めに到着して抽選券を受け取り、それから近くのミスドで朝食をとりました。ある地方裁判所の支部だったので、神奈川簡裁と同じくらい小さな裁判所でした。どれだけの人が集まるだろうと思って開始時間の30分前くらいに裁判所に戻ったのですが、思いの他閑散としていて、ちょっとがっかりしました。傍聴席は20席くらいだったのですが、抽選にはずれた人はいなかった様子です。マスコミ関係の腕章をつけている人もそれほど多くないものなのですね。だいたい15人くらいがマスコミ関係者で、残りが私たちのようなヤジ馬だった様子でした。

行って見たら、なんと被告には弁護士がついていない!まさに私達が勉強したい本人訴訟だったのです。これはラッキー!と思ったら…

裁判が始まるなり、訴えられた夫婦の奥さんが、一人で大演説を始めました。
印象に残ったのが、その奥さんが「私達が訴えられる事がオカシイ!この裁判自体オカシイ!!」と騒いだ時のことです。
演説の途中で、裁判官が
「それでもですね、このように裁判になった以上は、規則に従って頂かなければ」と、奥さんの発言(絶叫でしょうか?)を止めるように注意した件です。この点はいい勉強になりました。
つまり「裁判になったら」もう、個人の不満や感情は関係なくなるという事なのですね。裁判というものは、始まってしまえばレールが敷かれていて、どんなに自分がイヤだと思っていても、そのレールどおりに進むしかない、という事でしょう。(奥さんは裁判官に注意されても、演説を止めませんでしたが。)

それから、もっと勉強になった事があります。訴えた当事者(原告)はいなくて、弁護士さん一人だけが出廷していましたが、ほとんど何も言わず座っていただけで、発言したのは次回期日について決める時だけでした。
奥さんが、ちょっと息切れした様子で話を中断させた瞬間に、裁判官がすかさず
「それでは、次回期日ですが○月○日は如何でしょう?」
と言うと、間髪入れず、原告側の弁護士が
「はい、○月○日、大丈夫です。午後だとありがたいです。」
「裁判所としては、○時からが良いですね。原告側は如何でしょう?」
「はい、○時ですね。お願いいたします。」
「被告側、○月○日、○時から、如何でしょうか?」
ポン、ポン、ポンと、リズミカルに裁判官と原告側弁護士との間で、次回期日についての会話が進められました。
奥さんは、あっけにとられたように立ち尽くしていました。
何と鮮やかな連携プレイでしょうか。まるで野球の盗塁のように、その場を抑えた裁判官と、原告側弁護士の阿吽の呼吸!!

あの聞く価値のない、自己中心的な大演説を、サクッと処理したこの場面は、まるでドラマのようで、裁判官って凄い!カッコイイ!と思いました。生まれて初めて見た「生」裁判官でしたが、今になって思えば「最初に見た裁判官」が、この裁判官で本当に良かったと思います。   
人間って、どんなに屁理屈を並べても結局は「好き嫌い」、感情で判断してしまう生き物ですから、私が「裁判官って嫌な人達だな」というマイナスの感情を持っていたら、この本人訴訟は上手く行かなかったと思うのです。

弁護士については、最初に見たのが、昭和A棟の地主の山本さんの代理人弁護士、古門先生が井上君に送った「内容証明郵便」でしたね。そして、古門先生と井上君との電話での会話を横で聞いていて、何て紳士的な方だろう、と感激しました。
ところが、昭和A棟に入ったご老人たちのうちの一人、北村三郎さんの代理人弁護士の長井先生は、底意地が悪く、やる事がいやらしい。

そう言えば弁護士は良くドラマに出てきますけれど、裁判官を主人公としたドラマや映画はないですね。
と、言うことは弁護士はドラマになるほど個性豊かだけど、裁判官は、あまり個性がないと言うことなのかな?と、この頃は思いました。後になって全く違う事を思い知らされましたが。

その後、この裁判は、パタッと報道されなくなりました。あれだけマスコミが大騒ぎしたのに、蓋を開けて見れば被告(訴えられた方)による、原告へのタダの嫌がらせのようでしたから、馬鹿馬鹿しい話です。マスコミも大報道する前に、どうして事前に調査しなかったのかなぁ、と不思議に思った事件でした。
 
 
そして、この傍聴をして何より良かったと思ったのは、井上君が私の言うことを、裁判に限っては!素直に聞くようになった事です。
私は、ドシロウトでしたが、最高裁の判例もいくつか読んでみました。最高裁の判例は、とにかく難解な文章ですが、だいたい言いたい事はわかります。
最高裁では、裁判官は複数いて、判決の理由の他に、判決に賛成した裁判官、反対した裁判官が、それぞれ意見を書いて残せるのですね。その判決の理由や意見を読んで
「何これ、この理屈バッカじゃないの?」
と思うようなものも、いくつかありました。それでも、裁判では、それが確定してしまうのですね。そして判例として、後の裁判に使われます。

そこで確信したのが
「裁判官は神様です。」
頭、大丈夫?と疑ってしまうような判決理由でも、それが決まってしまう。まるで宗教のように意味不明な理屈でも、裁判官が決めたら「それが正しい」となる!何を言ってもどんな証拠を出しても、決めるのは裁判官です。

つまり「裁判」は一神教のキリスト教のようなもので、神様の気に入った者だけが許されるのです。有名な「ノアの箱舟」のお話ですが、神様はノアだけ気に入っていたので、ノアと、その親族だけを助けたのですよね。善人は何もノアだけじゃなかったでしょうに。
 
そこで、井上君にはしつこいくらい「絶対裁判官に嫌われるような言動はしないように。裁判官のいう事は何でもハイ、ハイって聞いて。」といいました。普通なら「うるせーよ!俺に指図すんじゃねぇ!」とキレるところですが、さすがに井上君も、あの傍聴の体験で何かを感じたのでしょう。ウン、ウンとスナオに聞いてくれました。
ただ、そこはやっぱり井上君。や~っぱり裁判官にキレた事はありました。そのお話は、簡易裁判所の件の時にいたしましょうw。


目次

1大家が泥棒(Ⅰ)
1大家が泥棒(Ⅱ)
1大家が泥棒(Ⅲ)
2オタ友のために(Ⅰ)
2オタ友のために(Ⅱ)
2オタ友のために(Ⅲ)
3現場検証したら(Ⅰ)
3現場検証したら(Ⅱ)
3現場検証したら(Ⅲ)
4仕事しろよ(Ⅰ)
4仕事しろよ(Ⅱ)
5本もない(Ⅰ)
5本もない(Ⅱ)
5本もない(Ⅲ)
5本もない(Ⅳ)
6お宝20号
7普通が一番