わたしはいつでも人間を辞める準備ができていて、人間に戻してくれるのは趣味でなく母という"人"だった。今日も、引き戻された感覚がある。
この2年ほど特に、本が読めなかった。 本を読まなかった。 その両方で、趣味として映像を観ている時間がとても長かった。 久しぶりに、本を読んでいる。 文字を読んだり、寝たり、映像を観たり バランスがよくなってきた感覚がある 嬉しい。 これが続くといい
とてつもなく会いたい。伝える手段があったならと考える。声を忘れた、名前を呼んで欲しい、もっとあなたを知りたい 綺麗な景色を一緒に観に行こう?話そう。美味しいものを食べよう。そうやってまた共に時間を過ごせたらいいと思ってる。まだ、あなたがくれた言葉を信じて生きている。
身近にいるひとでも推しでも、あまりにも魅力的なところを"もっとたくさんの人に伝われば良い"と"自分が知っているからそれで良い"が共存するの、なんなんだろうな
信頼している人間のSNSの、数少ない相互フォローに自分が含まれることのうれしさは半端ない。
漫画や小説が「映像化」された映像作品を観るにあたって、原作者の名前が制作チームに確認できると信頼度が高い。原作を知っていても、初めて知る作品であっても。特に、原作と脚本に同じ名前があったら間違いない。