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父の背中と今の私の役割

今月1日、身内の不幸を知り、急遽今週から実家に帰省している。
その出来事から感じたこと、思ったことを書き留めておこうと思う。

その前提として、今回の身内の不幸についても書かせていただく。

父の兄の孤独死


父の兄が亡くなった。
昨年、父の母が亡くなって、父にとって父が生まれてからの家族としては、父の兄は唯一の肉親だった。

今になって葬儀やらなんやら動いているが、
亡くなったのは10月の中頃だったそうだ。

それから2週間ほど経って、警察から父親に電話があり、
職場に出勤しておらず家を訪ねても出ないので、
ベランダから様子を見てもいいかという連絡がきた。

それで亡くなっているのが発見された。

父の兄は、東京の市営住宅に一人暮らしだった。
たまたま私の家から車で数十分ほどのところに暮らしていたため、
火葬の前日には、地方の実家から出てきた両親が私の家に泊まりに来た。

死後からかなり時間が経過していたため、
東京で火葬を済ませ、明日地元で身内だけの葬式と納骨がある。

火葬は、私の両親と私と弟の4人だけが参列した。
60代前半という若さで亡くなったからなのか、元々体格が良かったからなのか、昨年見た父の母の骨より、どこの骨なのか分かるくらいしっかりした骨だった。

どんなに問題がある家族でもきちんと看取る父


父は、私の知る限り今回で5回目の喪主をやっている。

父の姉が亡くなり、父の叔母が亡くなり、父の父が亡くなり、昨年父の母が亡くなり、今回父の兄が亡くなった。

その全部を取り仕切っている父を見てきた。
父の家族は複雑で、やらざるを得なかったのだと思う。

今回亡くなった父の兄も、昨年母親が亡くなるまで10年以上音信不通だった。
それからも連絡が付きづらく、空き家になった実家をどうするかなど話し合いをする必要があったが、話が進んでいないようだった。

しょうがないからと、両親が私の家に泊まりに来るがてら、父の兄の家に押しかけたのが今年の夏だった。
だが、結局その日は出かけていて会えなかった。

そんなこんなで特に別れの言葉もなく、今回の訃報だった。

そんな兄でも、葬式やら何から何まで父は電話をかけたり準備をしたり忙しなく働いている。

私はそんな父親が本当に偉いなと思う。
別にその複雑家族の中で、父親だけがまともな人だとは思わない。(まあ自分も含め真にまともな人間なんていないのかもしれないが)
とにかく短気だし、父の兄に負けず劣らず、父の母と顔を合わせれば毎度毎度喧嘩をしていた。

それ以上に父の母は問題がある人で、家族外にも迷惑をかける人だったし、その言葉で収められないくらいのことをたくさん私の両親にしてきたことを私は見てきたし知っている。

それでも、父は両親も姉兄も見捨てず、全員を看取ったし、介護もしたし、家族のことは全部父親がやってきた。

そういうところは本当に立派だと思う。

今、私にできる役割


今回、今までの葬式の中で一番、その渦中の父親を見ている気がする。

たまたま私の家が父の兄の家に近かったことや、今私が良く言えばフリーランス状態だったから、急遽帰省して家族のそばにいることが出来た。

だからといって何か役立つことをしているわけではないが、気まぐれにちょっとお手伝いをしながら、「今この時を共有しておこうかな」と思い、火葬が終わってそのまま両親と共に帰省することにした。

今、結局私にできることは、「親を見ておくこと」「時間を共有すること」だと思う。

正直、今回亡くなった父の兄と会って話したのは、昨年の父の母の葬式と四十九日以外に、おそらく私が小学生の頃少し遊んでもらっていたような微かな記憶とも言えない記憶くらいしかない。
私の母も数えるほどにしか会ったことがないと言う。

それでも、父の兄弟で、私たち以外の家族で最後の肉親だった。
父は私たち家族の前で泣いたりはしないけれど、お坊さんと葬儀の打ち合わせをしている時に、「もう少しどうにか出来ていれば、こんな形にはならなかったのではないかと後悔がある」ということを話していた。
(私から見れば父は十分すぎるくらいに一人で頑張っていたし、父だけでどうにかできることではなかったと思うが)

自分以外の家族が死んだ後の気持ちなんて、自分がその立場にならないと分からない。
変に声をかけるのも違う気がするから、「ただそばにいる」選択をした。

両親は、明日の葬式後も、東京の兄の家を片付けたり手続きをするために、私の家に度々泊まりに来ることになっている。

「このために、私は大学時代からほぼ変わらない場所に住み続けていたのかな」なんて思ったりした。

以前ある本で読んだ「起こることは全て最高である」という言葉を最近よく思い出す。

私にとって、大学時代からほぼ同じ場所に住み続けていることは、自分にとってそんなに良くない現状の結果だ。
転職活動も上手くいかず、自分の体調も上手くいかず、実家に帰る選択をする気にもなれず、そんな日々を過ごした結果、今もまだ住み続けているだけだ。

だけど、その結果、今回親の役に立てた。

もし転職活動が上手くいって平日日中バリバリ働いていたら、「今、親のそばにいる」という選択は出来ていなかった。
他にも自分にとっては不幸だったことを顧みては、だけどそれが上手くいっていたら今の自分の選択は出来ていなかったよねと思う。

「私が長女だから」という責任だけが理由ではないが、「家族を大事にしたい」という気持ちはある。
だからといって、ずっと一緒に暮らすのは自分にとって心地良い距離感ではないことは分かっている。
だけど、「家族に何かあった時は支え合う」「節目節目の時間を共有する」ことはしたいとずっと思っている。

上手くいっていない現状も、その自分の想いを叶えるために起こったことだと考えれば、「起こることは全て最高である」と言えるかもしれない。

そう「ものの見方を変えられた」ことも、今回の出来事を通して感じた私にとって新たな成長だった。

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