35mmフィルムで観る「ニューシネマパラダイス」と御成座
Nuovo Cinema Paradiso
今まで観た映画の中でもトップ3に入るほど大好きな「ニューシネマパラダイス」。
35mmフィルムでの上映を観ることができる貴重な機会があったので、感情が新鮮なうちに備忘で。
中学生の時に吹奏楽部で「ニューシネマパラダイス」のテーマ曲を演奏したことをきっかけに、ずっと大好きな映画。
フルートに触れなくなって随分経つが、今でも運指を体が覚えていて、<愛のテーマ>を空で奏でることができるくらい好き。
そんな「ニューシネマパラダイス」はDVDで何度も見たけれども、やはりフィルムで観ると鑑賞後の情緒が全然違うものだった。
フィルム上映でこそ真価を発揮する作品だと思うし、本作のファンが100人いれば100人がこの意見に賛同してくれるだろう。
記憶にある限り、フィルム上映で映画を観たのは今回が初めて。
機器の生産がとうに終わり、フィルムを扱える技師も次の担い手も育っていない(必要な機器がこれ以上増えることは無いのだから当然といえば当然)ため、「ニューシネマパラダイス」をフィルムで観ることができたのは非常に幸運かもしれない。
生きているうちにまた機会があるのかな…?あれば良いなあ。
デジタル上映が当たり前の私にとって、フィルム上映は新鮮な驚きで満ちていた。
ざっと箇条書きにすると下記の物。
・画質と音質が柔らかく、目と耳が全然疲れない
・音飛びという現象を初めて体験した。映画の上映は「人間の手仕事」という実感が湧いて非常にエキサイト
・映画が終わった瞬間、ブツッッと大きな音が鳴って物語と現実の境が明確
映画は生き物
18の夜とトト
そして最大の感動が、「映画は生き物なんだなあ」という実感。
「ニューシネマパラダイス」が公開された36年前から、フィルムには年季が入り、上映中の映像からもそのことを感じ取れる。
作品は約2時間だが、この作品が歩んできた36年という時間が見えてくる。作中でのトトの成長と併せて、映画を観たすべての人もそれぞれの人生を歩んでいるのだと思えた。
大学進学のため一人暮らしを始め、母が心配する中、私は「これで好き勝手できる!自由だー!」と大いに喜んでいた。
一人暮らしを始めて最初に行った店は、スーパーでもコンビニでもなく、TSUTAYAのレンタルコーナー。「ニューシネマパラダイス」がなんだか無性に観たくて仕方がなかった。
そしてその夜、部屋の電気を消してテレビの光だけが存在を主張する1Kの部屋で18歳の私は号泣していた。
その時はアルフレードに「もうお前とは話さない。お前の噂が聞きたい」と言われるトトに自分を重ねて観ていて、トト=私として映画を観ていた。
この感情と涙の意味が何なのかは分からない。
地元を離れたばかりの小娘が処理するにはあまりにも感情の波が大きく激しい。
ホームシック?トトとアルフレードの関係性?分からない。
しかし、「人生はお前が観た映画とは違うんだ。人生はもっと厳しいものだ」というセリフが、一人暮らしの解放感と大学進学への希望で満ちていた当時の私に重く突き刺さったことは確かだ。
この感情の情報量に辟易してしまい、「ニュー・シネマ・パラダイス」は翌日すぐにTSUTAYAへ返却しに行った。
アラサーの夜とアルフレード
先日フィルム上映で観た時は、18歳の時とは全く見方が変わっていて、アルフレードの愛の大きさと変わりゆく故郷の姿に涙が止まらなかった。
花粉症対策で箱ティッシュを持ち歩いていて良かったと心から思い、このときだけ花粉に感謝した。
幼かったころのトトに保管を約束した、検閲でカットしたキスシーンのフィルムを遺品として残し、約束を守り抜いたこと。
今際の際までトトのことを話していたのに、30年間一度も会おうとしなかったこと、会いたいとも言わなかったこと。
映写室にやってくるトトを子どもだからと軽んじることなく、(その時は仕事場をチョロチョロして邪魔だと思ったかもしれないが)一人の人間として向き合っていたからこそ、フィルムを保管する約束を守ることができたのだろう。
そして、いつか映写技師という職業が無くなることを知っていて、トトには外の世界を見てほしいと願ったのだろうと思うと、アルフレードの愛の大きさに涙が止まらなかった。
観客が観る時によって、受け取り方が全然違う。
おそらく、次回「ニューシネマパラダイス」を観る時は、また違う見方をしたり、感想を抱いたりするのだろう。
その時私はどう受け止めるのか、とても楽しみであり、少し怖い。
Paradisoと御成座
最終的にParadisoはピンク映画の上映を行うようになり、それでもなお経営難に喘いで閉館してしまった。
閉館後は6年間も廃墟として放置され、クモの巣があちこちにできたり、落書きがされたりしていた。
廃墟となったかつての映画館に実は見覚えがある。
秋田県大館市にある御成座という映画館だ。
ここは私の地元で、まさしくParadisoと御成座はそっくりそのまま重なって見えるのだ。
御成座は1952年に開館した映画館。1955年に火災で焼失してしまうが、その年のうちに再建を果たす。
そしてその50年後の2005年に経営難で閉館し、廃墟同然の姿で9年間放置されることとなった。
「ニューシネマパラダイス」でも、火災で一度は劇場が閉館するものの、その後復活している。
そしてトトが故郷を発った24年後に前述のとおり閉館。
なんたる偶然。
火事で一度は焼失したものの復活し、閉館後は廃墟として何年も放置される…。奇妙なめぐり合わせを感じてしまうのは私だけではないはず。
ただ、Paradisoは閉館の6年後に取り壊された一方で、御成座は2014年に2度目の復活を果たしており、現在も営業中。
廃墟として放置されていた御成座を住居用の物件だと勘違いした他県の方が借り、そのままあれよあれよと映画館として復活してしまう、まるで「映画」のストーリーみたいな展開をたどっている。
(「人生はお前が観た映画とは違うんだ。人生はもっと厳しいものだ」というアルフレードのセリフがここでもチラつく)
9年間も廃墟として放置されており、毎日通学で御成座の前を歩いていたが「お化け屋敷みたいでこわい」とビクビクしていた思い出がある。
ツタが外壁を覆い、窓ガラスは割れ、上映で使われていた機材や家具類もすべて館内に放置されていた状態。
女子高生がビビるのも無理はない。が、今にして思えば写真撮っておけば良かったなぁと思ったりもする。
その景色が日常だと、あえて写真で記録を残すなんて発想はなかなか出ないから。
でもまさか、あのお化け屋敷が映画館として復活するなんて思いもしないよ…。事実は小説よりも奇なり。
数奇な運命をたどった御成座はParadisoとは異なり、2度の復活を果たしている。
この先どうなるのか。それこそ永遠なんて無く、いつかは御成座も3度目の閉館を必ず迎えることとなる。
その終わりがどのような形なのかは分からないが、どうか映画を愛する人の手で永く経営が続き、映画を愛する人によって最後を迎えてほしいと思ってしまうのはエゴだろうか。