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社史を編む。〜ハノワ成長編〜

ハノワの新井です!

前回に続き、社史を編む続編をお届けします。

ハノワ創業編では、プロダクトが出るまでを書きました。
初回ファイナンス直前のVCとのDMのやり取りを遡っていると、あの頃の記憶が蘇って気分が悪くなってくるものです。

今回も引き続き、安定のドキドキ感をお届けします!
では行きましょう!
ローンチ即コロナ!
伸びないプロダクトと減りゆくキャッシュ!です!


2020年 リリース初年度

は、
本当に伸びなかった。

コロナと共に過ごした左半分。君は耐えられるか?

確かに混乱、混迷を極めた時期だった。
風評としても業界に逆風が吹き荒れていた。

本当に当時日本国民が歯科医院に行かなくなった。

ただこの時期は、UX、プロダクト、集客も何もかもがめちゃめちゃだったので、売れなくして売れなかった。という表現が近い。

どれくらい売れるわけがなかったかというと、

本気の料金表

マッチングプラットフォームなのに、月額課金を本気で開始するぐらい経営者は頭が弱かった(弱っていたともいう)。今見返しても、問題は月額課金だけじゃない、恐ろしく料金表もわかりずらい。どう見ても「プラチナ」が輝いていない。

そもそも、マーケットプレイス型のビジネスモデルの場合、ユーザー自身が時に購入者にもなり、時に商品にもなる。
当時の我々の集客力や認知力で、十分な商品も陳列されていないプラットフォームにいるだけで月5,000円が取られるのだ。

狂ってる。

そんな残念なビジネスセンスの中でも、
後のハノワの文化を支える、
HANOWA通信(後のHANOWA break)や

HANOWAレター vol.1や

ことの発端はコロナパンデミックで、仕事がなくなって途方にくれるパートナーたちに、何かエンパワーすることはできないだろうかと思って始めた。書いてる本人もそれどころじゃなかったが。

直接、クリニックとパートナー(労働者)がハノワを介することなく雇用契約を結ぶ『オメデトウ制度』がこの年に誕生していった。

HANOWAらしい、素敵

そうこうするうちに資金はなくなっていき…

2021年

2回目の第三者割当増資が決まる。

夏ぐらいからずっとお金集めしてて、
年末に創業者は結婚式なんてやってて気が狂いそうなお正月を過ごしていた。

個人的には今までメディア的な側面が強かった採用媒体とは違い、働き手サイドの熱いコミュニティが重要だと思っています。

ANOBAKA 萩谷さん

おりしも、この時のVC担当者萩谷さんの言葉は、のちのハノワの成長を予言することになる。

しかし、幸先の良い年明けも束の間。リード投資家が決まっても、フォロー投資家が集まらない。

4月に投資資金6,000万円が着金したことは分かる。3月は?なぜ増えた?

フォロー投資家が集まらず3ヶ月が過ぎ、春を迎えて、

株)デイビーノ=創業者の妻の会社

資金の不足をなんとか創業者の妻の会社から200万円を借りて乗り切る。

この時の投資資金でメンバーを増員させ、開発力を高めた。
また、この年は様々なスタートアップ向けのアクセラプログラムに参加し、年末に向けて急激な成長を実現させていった。

グロービス主催のG-STARTUP batch3
"起業の科学"田所さん主催のB-SKET

また、各所人員投資が加速する中、6月にデザイン事務所ヒトト製作所さんが参画してくれたことは、のちの株式会社HANOWAのコーポレートイメージを決定づける出来事だった。

懇意にしてもらってる歯科研修企業のインスタで偶然見つけたポスターから、「このデザイナーを紹介して欲しい!」と申し出て辿り着いた。

2022年

2021年末に初めてのUIデザイナーが参画したことも大きかった。

当時のデザインに次々と赤ペンが入り、週ごとに新しい画面デザインがアウトプットされていった。

こんな遊び心も生まれた

そんな見てくれが改善し始めたタイミングで、

2022年6月

おもむろにニュースになった「国民皆歯科検診」というワードに乗っかって、なんとなく「提言」を書いた。

そしたらテレビ出演が決まった。

テレ東のワールドビジネスサテライト。

この日の裏話はこちら

反響は凄まじく、サービスリリース来の流入を、放映1〜2週間で実現するかの勢いだった。

おかげさまで加速をつけたハノワは、11月にサービス開始以来累計のGMV(流通人件費)が1億円を突破するなどした。

また、2022年はハノワで働いた人材から多数の月収30万円プレイヤーが誕生した。創業時に「ハノワ単体で生活できる人が生まれたらいいね」と語りあったことが実現したエモい年でもあった。

がしかし、、、

2023年

またお金がない。

おかしい。

2月残高32.8万円

この頃など毎月1,000万円近く溶けてるはずなのに、2月は口座に32万円しかない。何があったのかももう覚えていない。

役員南部の会社から500万円借りた。
会計ソフトは便利だ。
あの頃の状況のみならず感情も蘇って吐きそうになる。

今度は役員のサラリーマン時代からの虎の子の500万円を借りた。
スタートアップに転職して薄給に耐える日々を過ごし、子どもを育て、500万円の貯金に手を付けなかったことが凄い。有難くちゃんと借りた。
妻からも役員からもちゃんと借りてすぐに返した。利息も払った。

また、借りたのは誰かの口座にあった現預金だけじゃない。
これは当時を共にした社員すら知らないと思うけど、この時期に在籍していた5人の主力業務委託メンバーに対してもお金の無心をした。
具体的には、報酬総額は変えずに、月々の支払いに一定期間上限を設け、差額は将来資金調達が出来たら返済させて欲しいというお願いだ。

資金が調達できなければ、来月にも潰れる可能性だってある。
「将来返済させて欲しい」
も何も、今にもその将来が潰えそうな時に、

「何かできないかなと思ってたんです!もちろんです!」
「せっかく今伸びてるところですし、ぜひ協力して乗り切りましょう!」

と、当時の業務委託メンバーたちは皆即答だった。
zoomを切るとなぜか毎度雨が降った。

そうしてなんとか3回目の第三者割当増資を乗り切った。

あと、WBSに出たり、3回も第三者割当増資をやっても、本社所在地は創業者の自宅の一室だった。有料職業紹介事業の許可を受けるに際して、概ね20平米、個室、鍵付きロッカーの要件も2019年に近畿労働局の調査官のチェックを受けて満たしたあの日が懐かしい。

旧 本社。

とにかく固定費を上げることを避け続けた。
創業来ずっとフルリモートフルフレックスでの働き方を貫き続け、やっと大阪北新地のweworkに入居した。許認可も取り直した。

2023年6月
ある日息子を連れて行った画。
さすがに子どもが産まれてこの規模で自宅本社は無理があった。

2024年

1月からHANOWA break(旧HANOWA通信)が発刊。

フリーペーパー「HANOWA break」バックナンバー

発刊の背景には2022年、2023年を過ごす中で感じた違和感。
人が足りないのではなく、まともな職場が足りないだけでは?から。

まともな職場の定義が分からなくとも、労務・保険算定・滅菌消毒の観点から業界のスタンダードを普及、啓蒙できないかとの理念で始める。

4月には単月で50万円を稼ぐパートナーがついに誕生。

10月には株式会社HANOWAとして、単月の営業黒字化。

11月には累計流通人件費総額が10億円を突破。

また年の瀬にはステートメント(パーパスをはじめとしたHANOWAの価値観群)を策定し直した。

これから

おりしもかつて、投資担当者の萩谷さんが言った

個人的には今までメディア的な側面が強かった採用媒体とは違い、働き手サイドの熱いコミュニティが重要だと思っています。

ANOBAKA 萩谷さん

この言葉に類似する概念として、人手不足なら価格交渉力は労働者の側が強くなるのは当たり前だろう。という信念のもと、ハノワは歯科医療従事者に「勤務時給の決定権」「勤務時間の決定権」を付与し、育ててきた。
働き手サイドが熱を帯びるための、武器を提供し、育ててきた。
院長たちからのアンチや批判の声もかわし、無視し、時には対立してでも、育ててきた。

結果、今のハノワには月に50万円を稼ぐ歯科衛生士もごろごろいるし、市場平均の時給に比べて20%以上高い単価でパートナー達は約定することができている。

「人材不足」の全ては否定しないが、半分くらいは明確に否定できる。

事実、適切な報酬を出せば人材は集まる。

問題は適切な報酬を出せない中小規模事業者が、限られた社会保障制度のパイを奪い合って生産性を高められないでいる『構造』にある。

この構造は残念ながら、業務改善SaaSなどでは改善しない。
とても言いにくく、不都合なことだが、同じ時代を生きる被保険者であり納税者として言わざるを得ない。
経営能力の低い院長には経営者のキャリアから撤退して頂くほかない。
そして経営能力の高い院長に、人材と患者と資金を集約させる。
そんな抜本的な改革が求められる。
そうでなければ、もう業界単位の人材流出を食い止める手立てがない。

その『構造』の解決の為に、2025年から2027年は明確に、歯科業界の中小規模事業者の明るい自然淘汰を加速させにいく。M&A事業だ。

閉院、廃業は終わりじゃない。
院長が大部分の借金を返して、勤務医に戻っても開業医の頃よりも稼げる現実を創る。

それが新しい株式会社HANOWAとしてのパーパス
「社会保障を支える人たちに経心両面の豊かさを」
に繋がると信じて。

その時まで、この社史はまだまだ続く。

2025年2月11日
新井翔平