社史を編む。〜ハノワ創業編〜
ハノワの新井です!
当社では現在、オフィシャルwebサイトのリニューアル計画が進んでおり、管理部門の今古川さんやコンテンツディレクターの和田さん主体で、せっせと進行してもらっています。
今回のリニューアルに際して、あらいとしては是非加えたいコンテンツを兼ねてより温めていました。それが社史・沿革です。
以前妻に教えて貰ったジネコというサービスの沿革を見た時、
「おぉー。こんなんうちも作りたい!」
と憧れたものでした。
そこで、どれくらい手間がかかるか分からないので、まずはnoteで何回かに分けて編纂し、まとめたものをwebサイトにアップしていきたいと思います。それではどうぞ。
2018年 創業前
創業者あらい。歯科医院の採用代行業務を受託する日々。
2015年にweb制作会社を脱サラしていろんな回り道をして、2016年頃にインプラントの集客集患のお仕事を受託する。そのご縁で採用支援もお願いされ、guppy、メドレー、Indeedなどの求人票代行作成に精を出す。そうするうちに、なんだか忙しくなる。
ただ、2018年にもなると飽きga、いや、虚しさというかしんどさを感じ始める。確かに人手不足だから新規受注はできる。でも自分がやった仕事が、人材の定着にまで結びついているのか?いや、どうも定着しない。これは自分がやってても意味があるのか?うーーん。。と悩む日々。
2018年 夏頃
そうこうする中で、日頃からクリエイティブやweb制作をクラウドワークス、ランサーズ、ココナラさんのお世話になることも多く、
「どうせ定着しないなら、こんな感じで単発で受発注できるプラットフォームがあれば当たるんじゃない?」
と歯科業界の人材課題にも仮説をおいてビジネスプランを練り始める。
この頃はまだスタートアップもベンチャーもエクイティファイナンスも知らず、実家の人材派遣会社の一部門として事業を開始しようと奔走する。2~3ヶ月後に「起業の科学」を読んでスタートアップやエクイティファイナンスの存在を知って、「あ…」となって資本がまっさらな新会社を作ることにする。
(ちなみに職業紹介の許認可を一回親の会社として取って、また株式会社HANOWA設立後に取り直すという無駄なことをやる)
2018年10月
サービス名を「HANOWA」にする。
ランサーズで公募したら600件くらい来て5件に絞り、最終的に音の響きで決める。
2019年1月
年末からネットの掲示板でエンジニアを募集し始め、業務委託で3名確保できた。年明けに品川でプロダクト開発の要件定義合宿を開催する。
2019年3月
日本経済新聞社が主催するピッチイベント「スタ★ピッチ」に出るなどした。
実はこのピッチの告知が天下の日本経済新聞の一面に1月に出たことで、某歯科系上場企業の社長から電話がかかってきた。事業&資本提携の話だった。ただこの時は慎重に考えてお断りをした。
ピッチ当日は何の賞にも引っ掛からなかったけど、「僕は君たちに武器を配りたい」「ミライの授業」などで有名なエンジェル投資家の瀧本哲史さんに壇上で厳しいフィードバックや薫陶を受けた。その5ヶ月後に瀧本さんは亡くなった。あの日瀧本さんの薫陶を受けた起業家は10名にも満たなかったけど、思えばどんな賞にも変え難い時間だった。
2019年9月
Incubate camp12thでベストグロース賞を頂く。
3月頃から動き始めた資金調達。60人くらい投資家にアプローチしても断られ続ける日々。着々とプロダクトの形も出来つつある中、もうここで決めたいと望んだIncubate Camp。その後やっと1件の投資オファーを頂く。
2019年10月
と思った矢先、10月のある日。DMで急遽出資不可の連絡を受け頭が真っ白になる。
そんな中、会社の普通預金口座が1,323円になる。
法人にはないけど、個人にはあったんでしょ?と思うかも知れないが、代表個人の家計も出し切って月末の支払いを終えた(8月末と9月末のなんか変な現預金の動きを見て欲しい)。
なので、個人も法人も合わせて11月初めは1万円も持ってなかった。
さあ、どうなるHANOWA?!
2019年11月
マグロ漁船か蟹工船のアルバイトを探し始めてた創業者あらいだったが、捨てる神あれば拾う神あり。
先日お断りを受けたVCからのご紹介で会ったガゼルキャピタルの石橋さんと話し、会って2週間で投資実行まで進めてくださった。今となっては企業ガバナンス上、表立って言いにくいこともあるくらい、異次元の意思決定で助かりまくった。
石橋さんからはその後、投資契約やスタートアップのお作法みたいなものを、大阪の田舎者にも分かりやすく教えて貰える関係性となった。この後3年間ぐらいはずっと「どうする?どこからお金集める?」と言うDMしかほぼしていない。やり取りがあまりにも多く、初回メッセージまでスワイプでたどり着くのに30分近くかかった。
(ちなみにこの11月22日に入籍した。もちろん数ヶ月前からの会社の状況も妻は全て知っていた。)
東京でエンジニア3名がしこしことゼロイチでプロダクトを作ってくれてる間、あらいはあらいで資金調達以外にも色々やってた。各所でトップ営業したり、仲間集めに走ったり。翌年役員で入社する南部さんもこの時期に副業参画しつつ、ビジネスモデルのキャッチアップや、入ったら何するかなど語り合い始めた。
そしていよいよ翌年1月。サービスが正式にリリースされる。
その2ヶ月後に未曾有のパンデミックが世界に訪れることを誰もまだ知る由もなかった。。。
to be continued…