サヨコ・ストーリー
人は、自己の不定性を見つめながら永遠に変わらない真理を求め続ける。
人、人、人。とある民間療法で「人」という漢字を3回掌に指で書いて、掌を飲み込むと、緊張が和らぐと言われている。
(もぐもぐ)
授業中眠っちゃったみたいだ。いつものように構造が提供され、僕らは構造代(そんなのあるか?)を支払う。今日も僕らの世界は分かりやすくパッケージ化されている。
僕はホワイトボードに視線を戻す。結構視界がぼやけてくる。内容が理解できない時、世界にモヤがかかり、僕と世界を隔てる何かがどこからか立ち現れてくるのを経験的に知っていた。
(なんで自分はここにいるんだ?)
カチカチとペンをノックする。ペン先が描くのは、自分でも解読できないぐにゃぐにゃとした線だ。
(目を開けるのは、ほんとうに難しい。未来のため、将来のためと周りは言うけど、僕は今を肯定することすら怪しい。)
現実世界でのアイデンティティを犠牲にした虚構への注力は、すでに異常の域にある。
気づけば夕日がホワイトボードに差してきて、一日の終わりを告げている。
「ちょっと放課後、ゲーセン寄ろうよ」
声を掛けてきたのは、サヨコだった。あまり話したことはない、ちょっと謎めいたクラスメイトだ。
「うん、いいよ」
僕はちょっと刺激に飢えていた。
ホームルームが終わり、皆教室から出ていく。僕とサヨコもゲーセンに向かうため、教室から出る。僕らは廊下に出て、階段を降りる。
一段降りて、サヨコが一段上にいる僕を見上げた。
「ねぇ」
「なぁに」
「世界は、螺旋状に、すべてが関わり合って存在していると思わない?」
本当に唐突だ。僕の周りにいる人はなんでこんなに脈絡がないんだろう?脈絡か.…..そもそも、脈絡、コンテクストがこの世界においてどれほど保証されているだろう?
「わからないよ、そんなの。でも、もしそうなら、ここの階段も世界の一つ、なんじゃない?」
サヨコはまた一段降りる。
「この階段に終わりはあるのかしら?」
僕はもう、すでに怖くなってきた。このまま階段を降りると、そこは魑魅魍魎が跋扈する地獄か死の世界に達するんじゃないかという気がしてきた。
「僕は、終わりを知りたくない」
また一段降りる。
「ところで、ゲーセンで何する?」とサヨコが言った。
「UFOキャッチャーかな」
その後サヨコはスタスタ階段を降りたので僕もそれに合わせて降りた。
ーーー
「ねぇ早くボタン押しなよ」
さっきからサヨコは僕を急かしている。一応世界初心者の人に丁寧に説明すると、UFOキャッチャーというのはUFOの形を模したアームで景品を宇宙から地球へアブダクションするゲームのことである。ボタンを押すことでUFOは「人攫い」を遂行するのだが_
僕にはどうにもできなかった。ボタンを押すと、今日が終わってしまいそうな気がした。
「いや、もう今日は終わってるよ」
「え?」
ほら、と言ってサヨコが25:30を指した腕時計を見せる。
ああ、数学の宿題やってなかったなと僕は嫌なことを思い出した。いや、そうじゃなくて。サヨコは僕の思考を読んでいる?この声はもしかして聞こえているのか?
「聞こえてるよ。ほんとうにうるさいね」
もしかして、サヨコは.…..
もしかして、サヨコは.…..
「君の考えていることを当てようか?」
いやだ。僕は、僕こそが、僕なのだ。
「それすらも、誤りだとすれば?」
サヨコが僕の首に、後ろから手をかける。
いや、マジでなんなんだこれ。僕は殺されるのか?
(はは、冗談だよな?)
「そんなの、あり得ない」
僕は発話する必要はないが、あえて発音していく。
(もし、サヨコが僕の自己同一性を、固有性を脅かすのなら、今ここでサヨコを葬り去るのもアリか)
「早くボタンを押してくれる?」
サヨコはついに痺れを切らし苛立っている。首にかかる力が、僕を押さえつける力が強くなる。
このボタンを押すとよく分からないけど、良くないことが起こりそうな気がする。
(So… any last words?)
しかし、
緩慢な動作で、
僕の首を絞める彼女の腕を折り、
僕は力強くボタンを押した。
君の瞳。
君の質量。
その輝き。
サヨコ、君が見えないんだ、僕は。