僕、田中太郎。大学一年生。趣味のない平凡な人間だ。
僕はかつて、おびえていた。もしも僕の中身が別人に乗っ取られてしまったらどうなってしまうのだろうと。

どうしてこのような思考に至ったか話そう。大学に入学してから、一週間がたった日のことだ。早くも第一回目の講義が始まった。席が近くの人とまず自己紹介をする。「えと僕、田中太郎っていいます。趣味は……え~……え~と……ありませんが、よっ、よろしくお願いします」

ひどい自己紹介だ。でも、思うんだ。こんな自己紹介何の意味があるんだよって。

例えばさ、僕に何かしらの趣味があったとして話が盛り上がったとしよう。それでも、それって僕じゃなくてもいいじゃん?共通した何らかの趣味を持つ人であればいいわけじゃん。そんなの、この世界にたくさん存在しているに決まっている。その趣味を持っている人であれば、僕の代わりなんていくらでも見つかるじゃないか。

そもそも、友人関係に限らず僕以外の何者かが僕に成り代わったとして、田中太郎という名前を名乗って、何の迷惑もかけずに生きていたら、田中太郎である必要はあるけど、僕である必要はないよね。そう思ってた。

でも違ったんだな。そんな記号的なもので決められる属性を有しているかどうかなんて、大事じゃなかった。あなただから、好きみたいな、言葉に表せないほど捉えきれないわずかな要素が大事だったんだ。

僕にはそう言ってもらえるような友人ができたのだ。


そんなことを考えながら歩いていると、街中でアンケートの記入を求められた。さっと名前を書いて、次の目的地へと向かった。

ドラッグストアで日用品を買った。ポイントカードを忘れたから、電話番号と名前を伝えた。

続いて、ファーストフード店に入った。領収書を発行してもらうために氏名を求められた。





ずっとあとをつけていたぼくは、愕然としてその場に崩れ落ちた。自分と同じ顔をした人物がぼくとして振舞い、違う名前を名乗っている。そこにはぼくが入り込む隙間もないほど完成された僕がいた。

何の支障もなくぼくの日常は回っている。所詮、世界とはそういうものだ。

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