他者への依存とは
これを見ている人の中に、他人に依存している人はいるかい。今日は他人に依存している人の話。
だれしも何か依存する対象はあるだろね。それは物かもしれないし、はたまた人かもしれないね。
物に依存することと、人に依存すること。この二つには決定的な違いがある。物は持ち主が触れたり、話しかけたりするのをただ静かに待ち続けている。物は人がとる行動にただ身をゆだねる、水のような存在だ。
人に依存すること。人は物のように静かじゃない。絶えず何かしらの意志に突き動かされ、何かを求めて行動する。
人への依存は一方向に向くものじゃない。双方向性を持ったものなのだ。
際限なく広がる心の空洞に水を注ぐ音が聞こえる。この水がなくなると、私は死んでしまうの。心は言った。だから僕はありったけの水をかき集めて心に差し出す。でももうかき集められる水はなくなってしまった。僕の心はたくさん水を欲しがる。
僕はゲームが好きだ。スポーツも好きだ。友達と遊ぶことも、とても楽しい。
好きなことをしていると、心は水で満たされた。でも足りなかった。水はすぐに乾いてしまう。好きなことをしているときは楽しい。楽しいはずなのに、どこかむなしい気持ちも湧き上がってくるのだった。
永遠になくならない水が欲しい。ずっと水を手に入れれば心の渇きなんて起こらない。きっとそうだ。僕は、毒入りの水を手に取った。
この水がないともうやっていけない。以前の透明な水では満足できなくなっていた。毒入りの水は赤い色をしていた。赤い水を注ぐと、少しの量を注いだだけなのに心はたちまち満たされた。
透明だった世界が色づいて見えた。なんてきれいなんだろう。こんなにも世界はきれいだったのだ。僕はその色に心を奪われた。
だから、もっとその景色が見たくなった。もっともっと、と思うたび赤い色は深みを増していった。初めはチューリップのような素朴で、自然な赤だった。だんだんとその赤は翳りを帯び、くすんだ色になった。水を与えすぎた花のように、色が朽ちて枯れていく。
それでもきれいだ。もっときみの色が見たいよ。僕は手を伸ばしたが、その手が届くことはなかった。僕は思わず自分の手を見た。認めたくなかった。
僕の体は、赤黒く変色しており、すべての輝きが失われていた。今にも崩れ落ちそうなぼろぼろになった体。
僕は思わず心がある場所を見た。心はそこになかった。心があった空間には赤黒いシミが残っていた。
他者に依存するということは、自分の心を他者に差し出すこと。かつての自分らしさに輝いていた鮮やかな色の心を僕は自分の手で殺してしまったのだった。他者に心を差し出してしまってから、僕はもっと寂しくなった。
それでもいい。僕は心がなくなってもいい。もっと僕の心の空洞を誰か満たして……あはあはあはあははっははっははははははっはははははははははh……こんな僕にかまう他人がいなければ……傷つかずに済んだのかな。なにもわからない。もう、かんがえることはやめた。もはや僕の中には存在するはずもない心を満たすために、今日も僕は水を注いだ。