愛を示して

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テレビのついた、やわらかな灯りに満ちたリビング。少し気の強そうな彼女の瞳は今、目の前で微笑みを浮かべている男を見据え、口を開いた。

「あなたはずっと穏やかで優しいけど、それだけじゃもの足りないの。私はあなたの一番なんだって、もっと情熱的に私を愛しているって表現してほしい。あなたが誰のものでもなく、私だけのものだって、ちゃんと感じたいよ」
 
彼はしばらく彼女の言葉に耳を傾けていたが、やがて微笑んだ。その微笑みは、いつものように優しく、しかしどこか哀しげだった。彼の目はどこまでも穏やかだった。

「そう......」
彼は静かに答え、少し目を伏せた。

「君の気持ちに寄り添いたいけれど、僕は穏やかに、できる限り沈静して愛することしかできない。僕にとっては激しく大きな愛は、自分を傷つけるようなものなんだ。君が求めることは、僕が渡せるものではないと思う」

彼女は消化しきれない思いを抱えたまま、視線を逸らして口を引き結んだ。

「あなたは優しい部分だけ見せて、私、あなたのことがずっと分からない。私は、あなたが何を考えているのか、どう感じているのかがわからないの。それが苦しいよ。優しいだけじゃ満足できない!私だけ必死で……ずっと分からないままなら、もうまっさらな状態に......別れたいの」

彼女の声には決意がこもっていた。
その瞬間、彼の目が一瞬だけ細められた。

「……君も、僕の穏やかな部分がどう形作られているかも知らないで……」

彼はそう言って、ふっと笑った。

外は雨が降りしきり、ポツポツと雫が落ちる音が激しくなってきたが、彼はいつものように穏やかで優しげな笑みを浮かべている。しかし、その瞳の奥には彼女が見たことのない光が宿っている。

「どうしたの?」

彼女はその表情を鋭く捉え、わずかに声が震えた。
彼はゆっくりと近づき、柔らかい声で囁く。

「……君がそんなに簡単に別れるだなんて言えると思わなかった。愛がもっと具体的な形で必要だっていうなら僕も考えないといけないね。情熱的に君を愛していることを証明してみせるよ」

その瞬間、彼の表情が変わった。微笑んだかと思うと、その微笑みの裏で何かが崩れ始めるような、奇妙な感覚が漂った。

「僕の『愛』がどういうものなのか表してみるよ」

彼は微笑みながら言った。その微笑みはいつもの彼のようなものではなく、理解しがたい激しい欲望が目覚めたような異様な笑顔だった。

「あ.…..ど.…..どうして.…..これじゃ、まるで化け物みたいじゃ…...」

彼女の顔は青ざめていく。

「化け物?……うーん、人の形を保つのは案外難しいね。見た目はこんなに人間っぽいのに……。でも、もう人間のように振る舞う必要もないか。誰かと生きようと思っても、僕の性質はそれを拒む。だから永遠に血を求めて彷徨っているんだ」

彼はわずかに寂しげな表情を見せたが、彼に長年染み付いた笑顔がその表情を覆った。そして、彼の手がゆっくりと彼女の頬に触れた。まるで温かなものに一度も触れたことのないような冷たい手だった。彼女の目に浮かんだ涙が彼の指先を伝って落ちた。

そして次の瞬間、彼は笑みを深めると、釈放された死刑囚のように獰猛に彼女の首に噛みつく。

「グギュァアアアアーーーーー!」

彼女の悲鳴は悲惨なものだった。それは魂からの悲鳴であった。彼女の目は驚愕で見開かれている。
彼は彼女に覆いかぶさり、ぴくりとも動かない。ただ鋭い歯だけが彼女の首筋に深く食い込んでおり、血液を貪っている。

「禁じられているものは、なぜこうも甘美な味がするんだろう!ふふ……少しずつ僕自身に戻ってきた気がする。人間の真似事など、もう必要ない……」

彼は顔を上げて自嘲気味に軽く笑った。それは諦めにも似た笑いだった。

彼のこんなときになっても冷静に保たれた微笑みが、彼女が最後に見たものとなった。

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彼の冷えた頭の中で、歌のメロディが流れている。


残念無念な脳ミソに 終身無能な脳ミソに
すこぶる効くらしい
ただ副作用は三倍返し バカの飲み薬
間違い人生上の空 とっくの未来
ほれまだ治らぬと入り浸り またバカは飲んだ


しばらくして、彼は彼女の体を見下ろした。
彼は彼の口元に残る血を指先で拭った。

彼は血に濡れた自分の手を見つめ、ニヤリと笑う。だがその笑みはすぐに消え、哀しげな表情に変わった。

「求めていたのは、これで合ってる?ふふ……でも、遅かれ早かれこうなっていたかもね」

彼は自嘲気味に言い、彼女の冷たくなった体を見つめた。そして彼女の頬にそっと触れた。穏やかに愛そうとしたはずだった。けれど結果はこうだ。

彼はその場に静かに佇み、長い間彼女を見下ろしていた。

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愛が何か、私は永遠にわからないまま、ただ彼女の命と魂を喰らっていた。いや、本当はそのカタチは掴んでいたかもしれない。ただ正解を知っていたところで、正解を選べるとは限らない。私が知ることができない、存在しているかさえも怪しい私の魂は、それほどに生命というものに対して貪欲なのだから。

私の穏やかな愛も柔らかな微笑みも私自身にとっては水面に映る炎だった。人間の尊厳の最後の生命線である灯火のようだった。炎は魂のないマネキン人形である私の輪郭をよく映し出していた。

さぁ朝が来ないよう魂たちを閉じ込めてしまおう。死さえ届かぬ"人間のいない世界"で、永遠に。


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その夜、彼は自分の中にあるもう一人の自分の姿を見た。それはある意味彼の中でもっとも人間らしいとさえ言える、地から生まれた怪物であり、同時に彼の哀しみと憎悪の結晶だった。

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