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いのちのやくそく・しずけさのなかでめをとじる 197
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「いのちのやくそく」(池川明、上田サトシ著、2016年8月1日、センジュ出版より発売)より抜粋して、少しずつ「マガジン『いのちのやくそく』」に書いています。
今回は、「9章 しずけさのなかでめをとじる / しずけさのなかでめをとじる/ 197」です。
実は、この箇所はこの本の中でも大切なメッセージが込められています。
「大乗の瞑想法」というダライラマ法王が書かれた書物があるのですが、この本の中に「相手を思う瞑想」といった内容の瞑想が紹介されています。
自分自身の浄化を行うのに、写鏡として周囲の人を思って瞑想するのが良いそうです。
それでも「世界の子供達の幸せを思って瞑想する」というような漠然とした相手では、思いが高まりません。
しかし、家族や友人のことを思って瞑想すると、思いが高まって「本当に良くなって欲しい」と思うものです。
そんなふうに真摯に相手を思い、そして思う相手の範囲を広げていくと、自分自身の浄化が進み、愛を成長させることが出来るそうです。
そんな法王様の言葉が10年以上もの間ずっと胸に残り、この箇所では解りやすく書いて紹介させていただきました。
ぜひ、試していただければと思います。
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しずけさのなかでめをとじる(大乗の瞑想法から参照)
また瞑想をすると、誰かと喧嘩したり、気に入らない相手のことが頭に浮かんでくることもあります。
嫌いな人というのは往々にして自分自身を映し出す鏡であり、自分の中にある嫌いな部分と同じものを持っているのです。
そしてそれは、自分の中で存在を認めたくない部分なのです。
嫌いな相手というのは、自分の嫌な部分を見せてくれています。だからこそ嫌いな「相手のことを感謝の気持ちを持って受け入れる」ように瞑想していくと、相手と自分の中にある嫌いなところが客観的に見えてくるのです。
相手の嫌な部分を許していくと不思議と自分のことも許せるようになって、心の中のわだかまりが手放せていきます。瞑想が終わる頃には、嫌いな性格、嫌だと思っていたこと、何かへの執着心などから解放されて、癒されている自分を感じるようになるでしょう。
そうやって家庭、地域の知り合い、嫌いな人、そしてまったく知らない人、世界の人々、と少しずつ思う相手の範囲を広げていくと、自分の中にある複雑な感情が少しずつ和らいで、シンプルに整っていくのです。
それはつまり、人を大切に思う気持ちが、結局は自分自身を大切に思う気持ちと同じものなのだと気付かされるためです。
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