
サリーを構成している大切なもの
皆さん、おはようございます。
昨日久しぶりに自分を形成している大切な要素に氣がついた
サリーです。
今日はこの話を皆さんにシェアしようと思います。
自分に違和感を感じ続けていた数か月
去年9月に大学院進学を一度断念し、10月に就活を始め、
12月に現在の職場にきて早7か月。
この7か月の間に、再び日本の社会に溶け込み、
再出発をした私。
仕事場やプライベートでもたくさんの出会いや
経験がありました。
ただその中で、どこか自分を見失っているような、
どこかすっきりとした氣持ちで生きることができない
従来の元氣がなくなってきている。
そんな感覚を得ていました。
最初は自分の地元の言葉を封印する必要性があり、
アイデンティティを失ったからだと感じていた。
けど職場でも徐々に自分の言葉を話せるようになっても
自分の違和感を感じていた、
そのあとも原因がわからず、
留学中に実施していた体質改善と
新たに日本で得た知識を組み合わせ、
新たな食事スタイルを取り入れてみたり、
日々自分に生きていることにありがとうと伝えてみたり
ワクワクすることをつぶやいて、行動してみたりしました。
その結果、10歳ころから自分自身で蓋をしてきていた
心の傷に再度氣づいてあげることが出来たり、
新たなチャレンジが舞い込んできたり、
心地よいと感じられる場所に出会えたりと
自分が豊かに暮らす種をまくことができていました。
ただ一方で自分の中の違和感が次第に大きくなっていきました。
再び増えた臺灣との繋がり
違和感を感じていた矢先、
1月ごろから再び臺灣との繋がりを持つ機会が
増えてきていました。
その発端が第十二回謝謝台湾の活動支援。
2012年から日本人留学生を中心に主催している謝謝台湾の活動。
これは東日本大震災で多大な支援をしてくれた台湾に
日本の感謝の氣持ちを伝えたいという一人の日本人留学生の
想いから始まった活動で、毎年留学生に引き継がれ
今年で12回目を迎えていました。
私自身は第9回で代表として関わらせていただいてから
毎年後方支援として関わらさせていただいています。
今年は自分の事にも必死で、なかなか時間が取れなかったのですが、
臺灣や活動に対する想いを動画で伝えさせていただく機会を頂きました。
またこの時期はパイナップルやマンゴーの予約時期となり、
以前購入させていただいたことがある臺灣の青果さんから
今年も連絡があり、恋しさのあまり、購入することにしました。
後は大学時代の同級生たちが私の地元へ旅行に来ていたことを知り、
連絡を取ってみたりと、臺灣との繋がりを感じていました。
そういう出来事があり、
自分の中での臺灣ゲージが高まってきているタイミングで
昨日無意識のまま、久しぶりにインスタのストーリーに
中国語で今の思いを綴っている自分がいました。
これが実際の内容の写真です。
長いけど日本語訳を書きます。
日本語訳
長らく中国語を書いていない、話していない、
臺灣にも触れていないし、海外にも触れていない。
だんだんと日本の生活に馴染む中で
あの四年間が夏の氷のようにゆっくりと溶けていくようだ。
あの四年間は幻想なのだろうか?
違う。
現実である。
けど今の自分にとって、
あの四年間はすでにアルバムの出来事である。
現実ではない。
みんな私に過去何をしたかを聞いてくる。
けどあなたが聞いているのは今の私ではなく、
過去の自分である。
今の自分はどんな人だろう?
全く同じではないけど、
毎日仕事に行き、同じ生活を送っている。
私の生活はそんなにも退屈なの?
違う。
たくさんたくさん楽しいことがある。
あなたは創り出すことが出来る。
暇すなわち機会である。
あなたは今たくさんの機会がある。
活かしてみなよ。
オッケー!
うん。
中国語は私を開放し、朗らかにし、楽天的にしてくれる道具である。
中国語を話す自分は、本来の自分である。
今だんだんとワクワクしてきている。
中国語ありがとう。
あの四年間が懐かしい。
絶対に帰る。
私の人生目標は絶対に臺灣と中正に帰ることである。
決めた。
違和感の正体。
この投稿をし終えた後、
一種の高揚感に包まれていた。
そのあとシャワーを浴びに行き、
そこで久しぶりに中国語で思考をし、
自分の思いの丈を声に出して話してみた。
その瞬間、自分を取り戻したような、
当時のイキイキとしていた自分が
戻ってくる感覚を得た。
ものすごくうれしかった。
そこで氣がついたのだ。
違和感の正体はこれだ!と
この7か月私が封印していたもの、
それは中国語だったのだ。
留学後半から帰国して一年は、
私の脳内には中国語が溢れていた。
脳内の思考の半分は中国語で行っていた。
中国語はすでに、私の中で
コミュニケーションをとるための第二言語のツールではなく
私を構成するとても大切な要素になっていたのだ。
封印したからこそ氣づくことが出来た自分の強み。
私にとっての中国語は
持てる語彙が少ない分、
直接的な思考をさせてくれる。
その結果、脳の使用量を抑えられ、
余裕ができ、氣持ちも上昇する傾向にある。
逆に日本語は
語彙が豊富にある分、
深く繊細な思考をさせれくれる。
その結果、脳の使用量が膨大になり、
疲労感が出て、氣分が落ちてしまう傾向にある。
あの四年間は、この二つを無意識に使い分け、
自分の道を歩み続けていたのだ。
この氣づきを得た私は、
また大きく前に歩むことが出来るだろうか。
再び人々のために動き出すことはできるだろうか。
できる。
また一つ大きな自己理解を得れたことに
感謝をし、この文章を締めようと思う。
後書き
皆さん今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この話は第二言語以上の取得者には身に覚えのある感覚かもしれません。
話す言語で人が変わる。
これは事実であり、それだけ言葉には人を動かす力が
あるということだと思います。
この投稿を読んで、この感覚に興味を持った人は
是非一度そういう観点から多言語に触れてみてはいかがでしょうか。
面白い発見があるかと思います。
そしてまたその発見をサリーに共有してくれると嬉しいです。
皆さんが元氣で楽しく豊かで光ある日々を
過ごせるように願っています。
次の投稿でお会いしましょう。
ではまた。
サリー