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洗脳や心のないロボットにしない養育、教育とは

こんにちは、サリーです。
仕事をして、さまざまな人と出会い、協働するなかで
日々思うことがあります。

それは教育、養育とは一体なんだということ。
日本から離れていた時、いかに自分が環境や、周りの大人や人に洗脳されて、影響を受けていたのかを痛感することがありました。

その世界しか知らず、自分が生きる目の前の環境の常識が当たり前だと。

そこで馴染めない自分がおかしいのだと。そこまで苦しむのが
我慢することがあたりまえだと。そう思っていました。

それでも前向いて歩き続けた先に、その常識はおかしいよ。
非常識だよと伝えてくれる世界に出会い、新たな常識に出会うという
経験をしたことがあります。

自分を愛し、愛で人と繋がる世界と
自分を愛せず、愛が足りない世界。

この両極端の真ん中にいるのがわたし。
両方の世界を知っているのがわたし。

愛が足りない世界で愛の循環を作り出すのがわたし。

身体の力を抜き、リラックスした中で、生きる喜びを感じて
心を開放してともに生きる世界。

人の心を持ちながら、且つより能力を引き出し、さまざまな事柄を生み出せるようになるにはどうすればいいか?

身体を整え、鍛える。脳を鍛える。
智慧を得て、活用していく。
まずは自分がする。

それを伝える、見せる。無条件に与える。
それが教育であり、養育であろうか?

人の経験を見守り、その共有をしてもらえるなら、
それを思う存分楽しむ。ありがたい共有を待つ。

選択肢はここに用意しておき、時に必要なら伴走する。

それがわたしなりの、自分自身、そして相手に対する養育であり、
教育なのかなそう感じました。

どんな世界を作り出すかはその人次第。

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