陸軍軍医 森鴎外の闇の歴史----しかし、それだけを取り上げてはいけない!

NHKの「フランケンシュタインの誘惑」「ビタミン×戦争×森鷗外」の再放送を観た。

番組では、脚気(かっけ)を取り上げ、当時、陸軍軍医のトップに上り詰めていた森林太郎(鴎外)が、脚気の蔓延を防げなかった責任は、森鴎外にあると鴎外を悪者扱いにしていた。
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最初は、ワシも、そうだったのかと思った。

しかし、その後、下記の記事を読んで考え方を変えた。
森鴎外は、陸軍を取り仕切る山縣有朋に逆らえなかっただけかもしれない。あまり、力はなかったのだ!

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やはり、人の価値を論ずる場合には、その一面だけを取り上げて闇の歴史のみに焦点を当ててはいけないのだ!
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文豪としての森鴎外を忘れてはいけない!
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(c)harbeman230901
Deep thinking yields imagination

https://映画dvd.seesaa.net/article/Frankenstein.htmlを引用する。

科学者のダークサイド
 
それこそが「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」のテーマであろう。

 
 とはいえ、パネリストの科学者の含め、いささか切り口は薄っぺらいのではないかと思う。たとえば、「ビタミン×戦争×森鷗外」というタイトルでは、日露戦争で日本陸軍が防げなかった脚気を、鴎外は軍医総監でありながら、脚気伝染病説を標榜して適切な対策を怠り、兵士に白米を供与しつづけることで、脚気を被害を止めなかったという。鴎外が陸軍を辞し死去したのちに、脚気がビタミンB1の欠乏であることを陸軍は認めた。つまり鴎外こそが帝国陸軍の脚気の戦犯だっと匂わせている。


 しかし、脚気の戦犯は鴎外であるというのは、かなり無理がある。明治から大正にかけて、日本帝国陸軍を牛耳っていたのは、山縣有朋ではないか。軍医総監で中将であったにしても、鴎外一人で脚気の対策を決めることはできない。すべては山縣有朋を含めた元勲の指図に従うしかない。「ビタミン×戦争×森鷗外」では鴎外は軍医のトップであっても、脚気問題に決定権も決裁権もなかったことに全く触れていない。医者としての倫理観を問うだけである。お粗末極まりない。



 
 当時の日本陸軍、平時は徴兵制ではなく志願制であった。とはいえ陸軍は多くの志願兵を集めなければならず、そのプロパガンタに白米を利用した。多くの農村部の男子を呼び込むために、「白米」の支給を謳うことが有効だった。白米を食えなかった貧しい農村部の若者が、白米に焦がれて陸軍を志願したのだ。だから、陸軍は兵士の脚気が増えても白米の支給を止めることはできなかったのである。それが山縣有朋をはじめとすると陸軍上層部の考えだったのだ。だから、たかが軍医総監が、その方針に逆らい、それを覆すことはできなかった。鴎外がいたころは、まだ伝染病や中毒ではないという確固たる証拠はなかったのである。
 
 鴎外は大正11年に亡くなる。日本政府が脚気の原因をビタミンB1の欠乏であることを認めたのは大正14年だから、鴎外こそが犯人だとするのももっともだろう。しかし山縣有朋が死んだのも、大正11年なのである。であれば、白米主義の真犯人は鴎外というより、陸軍において絶対的な権力をもっていた山縣有朋であると想定する方が自然ではないか。山縣有朋死してのち、軍部は白米主義のプロパカンダを下ろしたのである。鴎外は軍医総監ではあったが、所詮は官僚にすぎず、上司の意向に合わせて行動し発言するしかないのである。



 
 しかし番組は、そういう鴎外の生き方にこそ「闇」があるといいたいようだ。100年前と今とは価値観も違う時代の人を、現代の価値観で断罪するのはどうだろう。やはりそれは「あさましい」のではないか。ダークサイドを演出しすぎであろう。実は鴎外は脚気が海軍方式を取り入れれば改善されると知っていて、軍上層部に進言したが採用されず、元勲の指示通りに白米主義を強弁するしかなかった。本当は忸怩たる思いを抱えていたかもしれない。それこそが、鴎外の闇ではなかったのか。という考えも成り立つのではないか。