中高生時代に体験した、人の死について③
母方のおじいちゃん 続き
母方の祖父母宅はその当時、既に築100年を超える古民家で、となりのトトロに出てくるような、雨戸、縁側、土間、五右衛門風呂、目覚ましは飼ってるニワトリ、川屋までの道のりがこわい、そんな家だった。おばあちゃんが作って食べさせてくれたものと、おじいちゃんの葬儀の記憶が、前後する。どちらが先か分からない。
おじいちゃんが無くなり、その古民家に帰ってきた。大きな仏壇の前におじいちゃんを寝かせた。
仏間から続く広々とした畳の部屋に、私も妹も、母も、いとこ達も皆で布団を並べてしいて、仏間のおじいちゃんと1晩一緒に寝た。
私が子供の頃は、人の死が日常に自然に混在していたように感じる。
父方のおじいちゃん
書き忘れたが、私の祖父母は4人とも明治生まれの人間である。両親とも兄弟の人数が多い中、末っ子の方なので、当時の両親の教育方針は年齢の割に古風?だったろうと思う。
父方のおじいちゃんは、お元気で、米寿のお祝いに親族で集まったことを覚えている。父方の従兄弟と集まる機会はなかなか無かったので、私はその時に大まかな相関図を覚えた。おじいちゃんはまだまだ達者で元気だった。
九州と東北という離れた生活の中で、訃報の旅に、学校休んで新幹線、飛行機、バスと乗り継いで、朝出発して到着が夕方という時代。妹は、小さかったから、あまり覚えて無いだろうなと思う。知らない人ばかりで、不安だったとも思う。私は、頼んでもいないのに、何かを教えようと近寄ってくる親戚従兄弟達が面倒で、妹が居てくれたから、お世話する名目て、妹と2人で過ごせたから良かった。当時の私は、場面緘黙みたいな所があったが、聞いてないようで大人たちの赤裸々な会話は全部聞いて、意外と全部覚えているので、何かあれば言い返してやろうと思う。
おじいちゃんの訃報で、九州に帰り、葬儀に参列した時は、父の様子をほとんど覚えていない。とても憔悴仕切ってたとあとから母に聞いた。
少し耳が遠くて、大きな声で会話した、優しい笑顔のおじいちゃんが、私の1番の記憶なのは、良かったのかもしれない。声も覚えてるから。