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「陰キャ」の戯言

なんか眠れないので眠気を誘発するためにnoteを書いている。

今日は高校の成人祝賀会に行った。会の始まりは18時頃だったので、午後になってから着付けが行われ会場へはゆとりを持って到着することができた。これが悪夢への始まりだった。

会自体は最高だった。友達は相変わらず優しくて面白くて多分これからもずっと続くんだろうなって感じがしたし、当時は特に何も思ってなかった先生方も話してみたら結構楽しかったし、ホテルの食べ物は予想通り美味しかった。しかし、こういった成人祝賀会での楽しい思い出は高校同期内で共有すればいいのだろうし、実際ワイもnoteに書くような内容ではないなと思った。

今回のnoteでワイが書きたいのは、出身高校や出身地が大好きでありながらもやはり今の自分は京都だとか大学の環境だとかの方が合ってるんだろうな、と実感して少し寂しくなってしまった話である。

お察しの通り、ワイは中高時代スクールカースト最底辺を這いつくばっていた。陰キャは陰キャなりに好きなことをして楽しく過ごしていたのに、学年全体に漂う「青春時代はかくあるべき」みたいな雰囲気が苦手だった。どれだけ何かを頑張ってみても、楽しいことをしてみても、それが主流になることは一切なく、教室の隅っこで自分の青春が徒に消費されていってるような虚しい気持ちが常に心のどこかにあった。青春とは万人に平等にあるべきなのに。しかし、大学に入ってからはそういうのを全く感じなくなっていた。今は取り組んでいることにやりがいを感じているし、居場所が大学だけという訳ではないし、周りから認められるかどうかがあんまり気にならない。そのおかげか今の方が比較的自分のことを嫌いじゃないと思える気がする。

そんな中、成人祝賀会で久々に学年で集まったところ、そういったスクールカーストの風的なものを感じ取る瞬間はやはりあったのだ。そのため、中高時代に感じていた何をしても何者にもなれないことへの息苦しさを思い出してしまった。着付けが終わった時は自分にしては可愛くなれた気がして結構ワクワクしていたのに、いざ友達より早く会場に着いてしまい、いわゆる「陽キャ」の集団が写真を撮って盛り上がっている中一人で立ち尽くしてしまった時は中高時代の惨めな自分に戻ったような気持ちになった。せっかく気に入っていたメイクも髪型もあんま可愛くない気がしてきた。その後は友達が次々と到着してそういった惨めな気持ちも忘れていったのだが、そういう瞬間もあったなと布団に入ってからは思い出してしまい疲労と相まってなんだか心がヒリヒリする。

とりあえず今はあんまりそういうことは気にしないで好きな人や好きなことなどを自分の価値観で判断して大事にしていきたいと思う。そしてそうやって生きていく上で大学って場所や京都って場所はぴったりな気がする。というかそういうことを気にせずに好きなことをやらせてくれる今の環境が好きだ。もうすぐで20歳だというのになんだか思春期みたいなnoteを書いてしまって恥ずかしいけど、これが成人祝賀会に行った日のnoteです!

最後まで読んでくれてありがとう!そんなあなたに今日もいいことがたくさん起こりますように🎶

てことで、ちゃんと眠くなったので寝ますおやすみ〜(恐ろしいことに、このnoteは完全素面で書きました)

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