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1 シェアハウスを作りたいと思った経緯

介護施設で出会った高齢者との体験から

介護の仕事をした経験から、死ぬ瞬間まで自分の意志で命を全うしたい。
そのためには、自分らしくいられる環境の構築が必要だと強く感じました。

例えば、誰にでも、今日は薬を飲みたくない日だってあると思うんですよ。そうじゃなくて、自然に穏やかに過ごしていたいとか。
でもそれを許さない介護や医療の規則って、なんだかおかしいよなと。自分で選ぶ自由を奪うって人権を侵害してはいまいか?と。もちろん、薬を飲まないと死に近づくかもしれないから、介護士はあれやこれやと手を尽くして(時には本人を騙して)薬を飲ませるわけですが、自分だったらと思うとそんなことしたくない。

また、暮らし方にしても、子ども染みたお遊戯なんてしたくないという千代さん(仮名)に、ケアプランでそう決まっているからといって無理に参加させたくもない、それが私の正直な気持ちでした。
もちろんそれも、参加しないことで足腰や手指、口の筋肉などは少しずつ更に衰えていく、それがひいては死に近づくということなのですから、命に関わるからやらせるべきとも言えます。

ただ、私は自分がされて嫌なこと「無理強い」ができなかった。だから私は千代さんが自室で好きな小説を読む時間を時に優先しました。私も千代さんから借りた推理物の時代小説が面白くて、本の話題で交流を深めました。時々訪れる息子さんよりも、ほぼ毎日交流のある他人として、私は千代さんの晩年にとても身近な存在であったと思います。

介護の仕事は相当にきついです。でも仕事ですから雇用が生まれて、私は生活ができているし、大変な中にも楽しい交流ができたことは幸いであり支えでした。

それから千代さんの機能はどんどん低下していきましたが、話はできるし、ご自身の意思をしっかりと持っている方でした。そして、自分が死んだら体を献体(医学の教育 ・ 研究に役立たせるため、自分の遺体を無条件 ・ 無報酬で提供すること)にと希望されていました。自分の命の使い道を、死んだ後も人のためにと選択されていたのです。私もそんな生き方(死に方)がしたいと胸を打たれました。

死に善悪はなく、死ぬ時期が遅い早いにも、私は特に意義を感じません。
病と闘って23歳で亡くなった友人は、家族から「よく生きたね、大学にも行けたね」と最後まで誇らしい気持ちで見送ったと話していました。出会った時に14歳だったけれど、当時27歳の私よりも年上のように感じさせる人でした。素晴らしい生き方の人に年齢も関係ないなと。

人が生きる上で重要なこと

つまり、人が生きる上で重要なのは、
「自分らしくよく生きているか」だと思うのです。
私もそんな生き方がしたいと心から思います。

自分らしくよく生きれる場所、そんな場所を作りたいと思ったことが、私の夢であるシェアハウス兼ゲストハウスの構想のはじまりでした。

つづく!

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