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木曽三川マラソン(25.1.19)走りました~番外編~

レース後のちょっとした話を残しておきたいと思っていた。
ところが、レースの翌日から通常生活に戻り、バイトやら予定していた会食をこなしていたが、久々の完全ノースケジュール日の金曜日になって突然体調を崩し、丸一日飲まず食わずで寝ていた。いまだに本調子ではないが、書けるようにはなった。

上記の記事でも触れた通り、レース後の帰路に苦労したが、その過程での話である。

公共交通機関のないレース会場から脱出するために、フルマラソン完走後の満身創痍の身体で、バス停があると聞いた「海津温泉」を目指して歩き出した。しばらくして大きな病院が見えてきた。「病院なら・・・」と思い、辿りつくとバス停があった。「海津温泉」の手前のバス停のようだ。すでに30分近く歩いていたので助かった。この時間、バスは2時間に一本、次のバスは45分後、待つしかない。バスを待つ人は他にいない。それどころか、病院は休日で人気はなく、周辺を通る住人も車も皆無。
やっとバスが見えてきたタイミングで、リュックを背負った年配の男性が現れた。同じくランナーかな?とも思ったが、バスの時刻を知ったような登場で地元の方かな?とも思った。
乗り込んだバスには、先客が1名、自分とリュックの男性が乗り込み計3名。長良川と揖斐川に挟まれた、いわゆる輪中の中を巡回して、養老線の石津駅が近づいてきた。列車の時刻を調べるとドンピシャで桑名行きに乗れそうである。バス停から駅までダッシュ、無人駅、もちろん自動改札ではないので、切符を購入、ローカル駅の風情を撮影するくらいの余裕はある(ヘッダーの写真)。気が付くとリュックの男性も一緒、やはりランナーだったようだ。
桑名に到着、ここからはJRに乗り換える。名古屋行きの普通電車は数分後、ホームで電車の到着を待ちながらスマホをチェック。「そろそろかな?来ないなあ」と思って顔を上げると、長いホームの下手側にすでに2両編成ほどの短い列車が停車しており、いままさにドアが閉まるところであった。「列車は目の前に来てくれるモノ」では必ずしもない。
「しまった!」と思ったが時すでに遅し・・・仕方ない。次の列車までは20分ほど・・・
その時、思いがけずリュックの男性に声をかけられた。
「やられましたね(笑)」
「やられましたね(笑)」
「今日、走られました?」
「ええ。遠くから来られたのですか?」
「北海道からです」
「(おお!!)私は東京からです」
その一瞬の空気・・・言わずと分かる(あなたもやってますか!!)の空気には、何とも言えない痛快さがあった。

遠路遥々、このローカルレースに参戦する目的は、それは「あれ」しかない、「47都道府県制覇」しか考えられない。
自分より少し上かな?と思ったが、聞けば76歳とのこと。その歳には見えない。
若いころから走っていて、これまでに140回以上フルマラソンを完走していること。関西地区のレースが好きで何回も同じところを走っていたこと。数年前に友人から「47都道府県制覇」の話を持ち掛けられ一緒に始めたこと。その友人が故障中で一人で参戦していること。36都道府県ほど制覇済であること。コンプリートまでの予定は出来ていること。
名古屋までの道中、同じ目的を目指す者同士の「あるある話」の中で極めつけは、同じく予定していたそうで「幻の長崎平和マラソン」であった。

人生100年時代と言われるが、平均寿命は80歳代、健康寿命は71~72歳くらいである。走れるのは、65歳までか、せいぜい70歳までかな?と思っている。
レース後に体調を崩し、その後の回復スピードも芳しくない中で、「歳かな?」を痛感するが、そんな時に、自分より一回りも上の先輩ランナーの存在は希望と勇気を与えてくれる。

「一期一会」、今後どこかのレースでご一緒できるかどうかは分からないが、マラソンの面白いところは、公式記録がフルオープンであることだ。調べようと思えば、マラソンランキングであったり、各大会の結果を検索すれば、「頑張ってますね」というのは確認できる。

全般通して、なかなかシビアなレースであった「木曽三川マラソン」、その最後の最後に、スムーズに帰れていれば無かったであろう、ちょっとした嬉しい出会いがある。そういうものだなあと思う。









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