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Dr.本田徹のひとりごと(30)2009.6.27

1年半ぶりに東ティモールに使いして
  - 新たな課題と学びと挑戦と -


1. 前口上とシェア東ティモールの振り返り

またまた長のご無沙汰ですみませんでした。
本当はとっくの昔にプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の国内編をお届けしなければいけなかったのですが、山谷という日本のPHC課題の「詰まった場所」ですっかり首まで浸かって仕事に追いまくられていること、そして、デビッド・ワーナーさんのPHCに関する先駆的な名著「医者のいないところで」(Where There Is No Doctor)の監修翻訳に追われたりして、まとまった執筆の時間がとれずに日々を送っていました。
しかし、病気治療中だったデビッドさんが健康を回復され、秋に来日されることがほぼ決まったので、それまでに、日本のPHCのことをきちんとおさらいし直して、彼にご説明できるようにしておかねばなりません。
8月くらいまでには未完のPHC続編を皆さんにお届けしたいと思います。
デビッドさんの記念講演会についても近日中におよそのことをお知らせしたいと思いますので、ご期待ください。

さて、今日は久しぶりで東ティモールのお話です。新型インフルエンザの流行で世界が震撼する中、この5月に約1年半ぶりで現地を訪れることができました。
思い起こせば、シェアの東ティモールでの活動が始まったのは1999年10月ですから、いつの間にかほぼ10年の時が経過したことになります。緊急的な支援活動から入り、徐々に活動地をエルメラ県に定め、地域のヘルスセンター(公設診療所)での診療活動・人材育成などを進め、2002年からは保健教育活動に特化していくという道筋をたどってきました。
2006年以降、プロジェクト地を従来のエルメラ県に加えてアイレウ県にも広げ、前者は主として学校保健分野で、県内の小学校の先生方と連携して、子どもたちの健康を守り高める活動、後者ではFHP(Family Health Promoter)と呼ばれる、保健ボランティアの育成活動を中心に行ってきました。
現地でのカウンターパート、つまり、活動の協力者・相手方は、エルメラでは、教育省(県教育局)と保健省(県保健局)、アイレウでは、保健省(県保健局)ということになります。
これまで何度もご報告してきたように、2002年以来、シェア東ティモールはとくに教材開発に力を注ぎ、全国のモデルとなるようなフリップチャート(紙芝居のような視覚教材)をはじめ、さまざまな教材や保健教育技法を開発・製作し、保健省やいくつものNGOの活動現場で利用されるまでになっています。

シェア東ティモールの開発・製作した保健教育用フリップチャー

一方では、プロジェクト地が2つに分かれ、保健教育の担い手も対象となる人々も違うという中で、NGOの活動としての統一性・有機的関連性、アイレウ、エルメラ両プロジェクト地スタッフ間の意思疎通や活動理念の共有をどう図っていくかが、大きな課題となっています。今日はそのことには詳しく触れません。
今回の訪問を通じて、アイレウの責任者・相川智美看護師、エルメラの責任者・中口美保看護師、また彼らとともに働くローカル・スタッフめいめいが、非常に大変な条件の中で、最善を尽くしてくれていることに、改めて感謝の気持ちを深くしました。

エルメラ県  保健教育の担い手:小学校の先生たち 
       保健教育の対象・受益者:生徒

アイレウ県  保健教育の担い手:保健ボランティア(FHP)
       保健教育の対象・受益者:村の母子たち・一般住民

2.今回の本田のミッション-そして、山谷が結ぶアフメットとの不思議な縁

 今回の私の訪問は、1週間程度の短期の訪問であった上、独立記念日が間にはさまったりしたため、シェアのプロジェクト自体をきちんと視察したり、スタッフの活動に同行する時間的余裕は残念ながらありませんでした。
その代わり、東ティモールで働く保健NGO同士として1999年以来協力し合ってきた、アフメット(東ティモール医療友の会)のスタッフの皆さんのご厚意で、スタディツアーと合同研修会を、アフメットのある、東ティモール東端、ラウテム県ロスパロスで開催することができました。
 このミッションで私に与えられた課題は、①合同研修会での講義(PHCと感染症―とくに結核、エイズ、新型インフルエンザ)、②日本人、ティモール人スタッフとの話し合い、③アイレウ県保健局訪問、④今春からシェアがいただくことになる日本NGO連携無償資金協力の、日本大使館での調印式への出席、などでした。
 さてアフメット(AFMET:Alliance For Medical services in East Timor)は、シェアよりもずっと前から、東ティモールで日本のカトリック宣教者たち(在俗の人々を含め)が中心となって、地道に医療保健協力活動を続けてきました。活動の内容もまさにプライマリ・ヘルス・ケアそのもので、現在は、ロスパロスでシェア同様に保健ボランティア(FHP)の育成、彼らも参加したシスカと呼ばれる村落母子保健活動、ヘルスポスト(小規模診療所)運営を行っています。またシェアとは首都のディリで事務所を共有するなど、仲良く助けあっています。
 私にとって、アフメットは別の意味でも不思議な「えにし」でつながっています。
1984年に山谷で山友会が発足し、日本で唯一と言って良い、完全無料診療所「山友会」が立ち上がったとき、初期の数年間もっとも献身的にこの診療所のために働かれたのがシスター亀崎善江でした。
医師としても信仰の人としても高いミッションをもった彼女は、山谷での活動が軌道に乗ると九州に移られ、福岡県行橋市に聖母訪問会が開いた病院の内科医として激務に就かれる傍ら、同じカトリックの国、東ティモールでの医療活動を志されて、1991 年から10年間にわたりロスパロスの地で草の根医療支援活動を続けられたのでした。
アフメットの母体となっている、JLMM(カトリック信徒宣教者会)は、まさにシスター亀崎たちがインスピレーションを与え、生み出した活動集団だったと言えます。山谷、東ティモール、カトリックという2つの地域とひとつの優れた信仰者のつどいが、怠け者の仏教者である私に与えてくれた啓発は、メリノール会のシスター・リタの場合同様、とても大きなものだったと言えます。

3.ロスパロスでの合同研修会

合同研修会での本田の講義に参加する2つのNGOスタッフ

さて、ロスパロスは、ディリから車を飛ばして5時間近くかかる、この国の東端の平坦な土地で、植生も海の幸もエルメラやアイレウより恵まれています。さまざまな困難に直面しながらもアフメットがこの土地でかくも長く、意義ある保健活動を続けてこられたのは、日本カトリック教会の支援や、歴代の日本人ワーカー、ローカル・スタッフの共同の努力の賜物と言えますが、アフメットの近くで古くから活動するサレジオ会のドンボスコ教会の支援や協力も大きかったと聞きます。

統的建築様式のロスパロスのドンボスコ教会

アフメットの日本人スタッフは現在、代表で歯科医の小林さん、事務責任者であるとともに、プロジェクト運営でもよきファシリテータぶりを発揮している佐藤邦子さん、そして看護師の渡辺怜子(さとこ)さんの3人です。彼らのチームワークは、各人の豊かな人間性、絶妙な役割分担、バランス感覚のすぐれた現地での人間関係づくりなど、感心させられ、学ぶべきところが多くありました。
私の講義は、いつもの「本田節」と言う常套をあまり出るものではありませんでした。「人権としての医療保健」というPHCの根幹に関わる理念を、日本の地域医療の歴史も振り返りつつ語り、シェアの活動史に触れ、ヘルスライツ(Health Rights)という視点から、結核やエイズやインフルエンザへの取り組みを考えるというものでした。最新の生殖技術に対するスタッフの関心が強く、多くの質問が寄せられ、お互い同士で議論になっていたのは、新鮮な驚きでした。東ティモール人という敬虔なキリスト教徒にとっても、人間の性や生に対する好奇心は普遍的なものだと思えたことです。
コーヒーブレイクを使って、今回私は、結核のロールプレイの「新作」をアフメットとシェアのティモール人スタッフに演じてもらいました。テーマは、昨今東ティモールでも盛んになりつつある過重な出稼ぎ労働で首都のディリにいた男性が結核を発症し、故郷に帰ってからわが子に移してしまうという設定で、病気の怖さと早期発見・治療の大切さ、家族の絆のうるわしさを訴えるというものでした。深刻な題材をユーモラスに演じてもらうことを狙いましたが、たった15分くらいの準備なのに、そうした寸劇の勘所を捉えてくれるスタッフには大いに感心し、抱腹絶倒しました。

結核のロールプレイの一コマ

4.俺は毎日あんたらのウンコを食ってるって? ウッソー、ホントー? それって仰天。

 今回アフメットへの訪問で特に私が感心したのは、保健ボランティア(FHP)たちの活動の中に、彼らの主体性やモチベーションを引き出すため、さまざまなコミュニティ開発手法やしかけを導入していることでした。
アフメットの担当する地域の保健ボランティア(FHP)の、18もあるというグループにさまざまなハーブ石鹸を作ってもらい、その質や販売量を競わせたり、薬草の栽培・利用を促したりしていました。確かに、石鹸を使って手を洗い、体を清潔に保つことは、個人や家族の衛生と健康改善につながり、かつFHPの収入と継続性(Sustainability)向上にすこしでもつながるなら、一挙両得ということになります。また、日常生活で石鹸を使う習慣を付けることは、住民に対するFHPの「模範」(Role model)意識を刺激する面があり、こうしたやり方はかつてタイでも試みられ、成果をもたらしたものでした。

自家製薬草石鹸を展示販売する保健ボランティア(FHP)

佐藤邦子さんが最近導入を試みていることのひとつは、CLTS(Community-Led Total Sanitation:コミュニティ主導の全村環境衛生活動)という、一種の参加型農村調査法(PRA)です。これは、トイレ器材を含めインセンテイブ(物質的な見返り・褒賞)を一切住民に与えないで、ただただ、トイレが各家庭にないことが、コミュニティ全体にとっていかに忌むべき状況を生み出すかを実感してもらうことを通して、人々の行動変容を促し、身銭を切ってでも、自発意思でトイレ建設を行っていくようにしむけるという、一種の参加型体験学習であり村落改善運動であると言えます。
CLTSは実際に南アジアの国々(バングラデシュ、インド、ネパールなど)で試みられ、成功事例もかなり報告されてきているということです。ロスパロスでも、バングラ(?)から、CLTSに詳しいファシリテータを招き、トレーニングをやってもらった由です。
 基本的なやり方は、ファシリテータが、村の人々を連れて、PRA手法の一つ、トランセクト(横断)をして村内を歩く。そして、トイレのない家では、通常どこで「野ぐそ」をするかを家族一人ひとりに尋ね、実際に草むらや木陰に案内してもらい、犬やブタが人のウンコを食べている現場、ハエがウンコにたかっている現場を押さえ、たまにはウンコの実物まで拾ってきたりする。こうして各家の屋外排便個所と井戸・湧き水・池などの水場との位置関係も記入し、「全村ウンコ分布図」を作成する。皆の前で、ファシリテータはまずきれいな飲み水をコップになみなみと注ぐ。それからおもむろに自分の髪の毛一本を引き抜き、ウンコにつけて、それから最前のコップに浸し、その後おもむろに参加者に、「さあ、あんたはこの水が飲めるか」と勧める。だれもが嫌がって飲もうとしない。「しかし、」と彼は言う、「ハエや犬は毎日隣の家のウンコをお前の家に運んできて、お前の家の子どもは平気でそのウンコのついたごはんを食べているじゃないか。このコップの水とどこが違うんだい?」
 このグループワークでは、ことばはわざと汚い、そのものずばりの直截的な表現を使い、住民に吐き気を催すような気持ち(repulsive feeling)を抱かせることが重要なのだそうです。いわば嫌悪感をトリガーにして、コミュニティ全体にトイレ渇望の嵐を起こすわけです。
そのことの成否は、やはり、普段の住民と保健ボランティア間の信頼関係によるところが大きいのでしょう。
 なお、このCLTSは、1999年にKamal Karという人がバングラデシュで開発し、徐々に広めていったとのことです。Kar氏は現在PRAのメッカ、英国のサセックス大学で教えながら、世界各地でこの方法の普及に努めているようです。
 アフメット版のCLTSがどんな成果をもたらすか、今後大きな関心をもって見守りたいと思います。

5.大使館でのNGO連携無償資金協力の調印式

 この春から、シェア・エルメラの学校保健プロジェクトは、外務省の日本NGO連携無償資金協力をいただくことになりました。その授与式が、ちょうど私が東ティモールに滞在中に行われるよう、大使館や中口さんの間で調整してくれていました。式は5月22日ディリ市内の日本大使館で、北原巖男大使臨席のもとに行われました。エルメラ県からも副保健局長が駆けつけてくださいました。大使は防衛省の文官だった方で、外交官としては、防衛省退官後に白羽の矢が立って、東ティモールに赴任されたそうです。とても気さくな温かい方で、赴任前に九州に亀崎善江医師をわざわざ訪問されたり、東ティモール関係のたくさんの本を読破されたり、まったく脱帽でした。また着任早々、東ティモール大使館のホームページを作るべく大車輪でがんばられたとの事。この授賞式のことも、同ホームページ5月26日の項で、「日本NGO連携無償資金協力・エルメラ県内の小学校における保健教育プロジェクト(1年次)に関する贈与契約署名式について(2009年5月22日)」として、写真入りで紹介されていますので、よろしければごらんください。
在東ティモール日本国大使館URLはこちらです。

この授与式の謝辞スピーチで私は、子どもを慈しみ、健やかに育てたいという願いは、時空を超えて数千年来人類共通の願いだったと、すこし気障だとは思いながら、万葉集の歌人山上憶良を例に述べ、学校保健に取り組むシェアの意気込みを示そうとしました。
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも
(万葉集・巻5 #803 )

6.ダン先生診療随聞記

バイロピテ診療所 ダン医師の診察風景

ディリを立つ日の朝、私はバイロピテ診療所にダン先生を訪ね、久し振りに彼の診察を見せていただきました。何度同席させていただいても、彼の臨床的な判断力の冴え(Acumen)、患者さんに対する穏やかで温かい接し方には、感嘆措くあたわずというところがあります。以下何人かの患者さんのスケッチです。
エイズの女性。50歳くらいに見えるが実際は40歳、あるいはもっと若いのかもしれない。
すっかりやせ細り、衰えている(るいそう)。以前、夫がインドネシア人の出稼ぎコマーシャル・セックスワーカーからHIVを感染。それを妻である彼女に移してしまったという。
夫は数年間に死去。彼女も去年くらいからエイズの症状がはっきり現れてきているが、これまでのところ抗ウイルス薬(ARV)の治療を拒否。今回は息子に連れてこられていて、ダンに説得され、ようやく入院を決心したようだ。
カリニ肺炎の症状に加え、うつ状態があり、入院後は肺炎治療とARV、そして抗うつ剤投与も必要になりそうだと、ダンさんは語っていた。

避妊薬注射(Depot-Provera) を3ヶ月に1度受けにくる若い婦人多し。私のいた間だけでも10人くらい。たぶん夫には隠してきている女性が多いという。避妊薬使用について、夫の同意をもらえず、分かると暴力を振るわれることもある由。

14歳リウマチ熱の男の子。入院時は、心筋心膜炎(Pancarditis)の重い状態だった。著しい心不全症状を呈し、胸水も貯留。プレドニン、アスピリン、ペニシリンG注射でようやく軽快し、退院。その後も外来に通院継続。いまは頻脈も改善、元気に学校へ行くようになった。しかし、月1回の診察とリウマチ熱再発予防のベンザチン・ペニシリン注射は欠かせない。

30歳くらいの女性。B型肝炎ウイルスによる慢性肝炎・肝硬変を患っている。6人の子どものうち3人がHBV(B型肝炎ウイルス)陽性で、キャリアになってしまった。日本なら100%できている、母子感染予防のためのなんの対策も今のところ取れていない。この国の成人のHBV陽性率は7%で、数字的にはアジアの平均並みとのこと。HBVとHIVの重複感染例もときどきダン先生は発見し、その場合抗ウイルス剤は、両者に効くLamivudineを含む多剤併用を行う。国全体としてのB型肝炎ワクチン接種を含む、予防の施策(とくに母子のため)の普及が早急に必要と、ダンは痛感している。

 ダンさんの診察室には多数の、医学教科書が、内科、外科、産婦人科、小児科にはじまり、熱帯病学、皮膚科学、エイズ診療、結核病学、眼科学など、ところ狭しと並んでいる。常に患者治療に必要・有益な知識はすべて学び、診療に生かそうとする姿勢は相変わらず旺盛でした。
 今回、Tuberculosis(結核)という分厚い教科書の冒頭を彼に示され、この小説家を知っているかと聞かれたのが、なんと森鴎外でした。旅行に「山椒大夫」や「阿部一族」の文庫本を持ってきて、感心しながら再読していたのでびっくり。彼の写真入りで、数ページにわたって書かれていたのは、鴎外の死因が、普通言われている萎縮腎ではなく、実は肺結核、腎結核だったというもので、そのことを、医学者として鴎外自身よく自覚していたが、当時、現在のがん以上に「不治の病」として恐れられ、病人への偏見や烙印(Stigma)の強かった結核を、鴎外が家族にさえ隠し続けていたのだと言います。日本の軍医総監(Surgeon General)だった人にして、これほどまで自分の病気をひた隠しにしなければならなかったという、結核にまつわる歴史から、今日も私たちは学ぶべきことが多いというのが、この教科書の示したいことだったようです。
 またしても、ダンさんにたくさんのことを教えられながら、バイロピテ診療所を辞去し、私は帰国の途につきました。

 (2009.6.17)

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