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Dr.本田徹のひとりごと(38)2011.9.3

志のひと・清水陽一医師を送る
-医療における優しさと厳しさをとことん追求した君に


勇気ある含羞のひとよ、
 君がいなくなってしまったなんて、おれにさえ信じられない気がするのだから、
 まして多くの患者さんや医療事故被害者の家族の方たちは、
 どんなに悲しみ、悼み、途方に暮れる思いをしていることだろう。

 清水さん、
 かつて旱魃で苦しむエチオピアの険阻な道を、
 ロバの背に身をゆだね、とぼとぼと患者のいる村まで辿ったという君は、
 同時に、心臓血管カテーテルを、日本で初めて治療目的で使い始めた先達だった。

 無類の求道者よ、
 君は自分自身や同類の医療者たちには、厳しい研鑽と医療安全を求め、
 患者さんには限りなく誠実で、優しいひとだった。
 君の良心という明鏡の中で、科学者魂と義侠心は美しく均衡する。

 当事者市民運動の支え手よ、
 君が必死でやってきたことは、本物のCSO(市民社会組織)を根づかせる営み、
 と、おれが君の追悼会でしゃべったら、
 なんと愛娘さんが、CSOを学位論文で研究してきたという。

 娘への最良の魂の贈り物をした父よ、
 君はおれたちにも「うそをつかない医療」というLegacy(遺産)を残した。
 その意味とインパクトは、君の思いのように深く、重く、広い。
 大きな宿題を噛み締めながら、おれもまた君にすこしは近づけたらと希う。

清水陽一さんは、葛飾区の新葛飾病院の院長だった方です。
私が、隣の堀切中央病院の院長を勤めさせていただいた90年代半ばから2000年代にかけて、葛飾区医師会の会合や互いの患者さんの紹介などを通じて、仲良く、つき合わせていただきました。また、山谷のNPO山友会の山友クリニックに来られた、重い循環器疾患で苦しむホームレス患者も、よく入院させていただきました。

同じ団塊世代に属し、学園紛争の時代に医学生だったとしても、彼の度胸と義侠心は、私のような「おくて」の人間には及びもつかない輝きを、当時から放っていたようです。すでに医学生時代から、大学病院で起きた医療事故について、患者さんの家族の側に立って、大学側を追及、批判する運動を試み、挫折したといいます。しかし、このときの無念さが、後々彼を鍛え、捲土重来を心に誓わせ、専門家として市民運動の支え手、助言者になるための技術とスピリットを形成したのでしょう。ちょうど、原発問題における高木仁三郎さんのような、情理ともに立った啓発者・告発者の役割を、彼は医療界において果たしてきたのだと、言えます。

大熊由紀子さんが作ってくださった「清水陽一さんを偲び、うそをつかない医療・文化を広げる『えにし』を結ぶ会」(2011年8月6日プレスセンターホールで開催)のすてきな冊子によると、彼は様々な患者・医療事故被害者の当事者組織、市民運動の「副」代表を務めてきました。「架け橋~患者・家族との信頼関係をつなぐ対話研究会」、「医療の良心を守る市民の会」、「患者のための医療ネット」、「生活企画ジェフリー」など、いずれも「副」であるか、一理事という関わりです。ここに彼の、専門家として市民運動を支え、コミットするときの、独特の哲学と謙抑的な姿勢を見ることができます。 
 この冊子には、多くの友人・知己の方々の追悼文も寄せられています。私の文も載せていただきました。
 http://www.yuki-enishi.com/enishi/enishi-2011.8.6.pdf

清水さんは、シェアのことも、会員として常に応援してくださいました。私が2008年に世界銀行の東京事務所で4回の連続講演会を開かせていただいたときも、確か彼は全部に参加して、熱心に聴いてくださいました。あんなに忙しい方なのにと、心底ありがたく、また頭の下がる思いでした。
 
彼が3年に及ぶ大腸がんとの闘病の末に亡くなったのは6月19日のことでしたが、その数日前に私は彼から呼ばれ、新葛飾病院で開かれた、彼との実質的な永訣の集いを兼ねた、コンサートに出席してきました。
その場に奥さまもいらして、彼からシェアのために役立ててほしいと、多額のご厚志を託されました。シェアが途上国で地道に続けてきた、草の根保健人材の養成活動に対して、好意的な評価と支援を惜しまなかった彼の遺志を生かして、この基金をシェアの海外や日本での人材育成に、大切に役立たせていいただこうと、スタッフや役員一同、心に誓っています。

清水さんのことをもっと知りたい方は、新葛飾病院で、彼の右腕の医療安全マネジャーとして活躍されてきた(いまも活躍されている)、豊田郁子さんの著書「うそをつかない医療」(亜紀書房)のご一読をお勧めします。豊田さん自身、息子さんを医療事故でなくされ、病院の不誠実な対応に憤り、癒しがたい悲しみの中にいるとき、清水さんと出会い、勇気を与えられ、新葛飾病院で働かれるようになったのです。その詳しい話をこの本から知ることができます。そして、清水さんご自身の国際医療福祉大学大学院での授業「嘘をつかない医療」の資料からも、清水さんの哲学や姿勢が伝わってきます。
 http://www.yuki-enishi.com/yuki/yuki-100929-1.pdf
 また、大熊由紀子さんのえにしネットから、彼を偲ぶ会の様子を知ることもできます。
 http://www.ustream.tv/recorded/16464690

清水さん、本当にありがとうございました。君のことだから、「天上で安らかにお休みください」、なんて月並みな言葉は絶対受け入れるはずもなくて、私たちをしっかり見守り、叱咤激励してくださっているのだと思います。貴兄の負託に応える道をしっかり歩んでいきたいと願うこと切です。

シェア代表理事  本田 徹

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