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「かもしれない」が口癖かもしれない

「かもしれない」

これ私の口癖らしいです

この前友人との旅行中に言われて、そこで初めて気づきました
けど、言われてみて「確かに」と思って

私は「言葉」って伝染すると思ってます
楽しいねって言われるとこちらも楽しく感じるし
悲しいねって言われると少し悲しい気もする

泣いている人を見ると少し悲しくて
笑顔な人を見ると自然と笑顔になる

自分の感情を相手に伝えることはとても大切だけど、私はなるべく喜怒哀楽の怒と哀はあまり出したくないのです

負の感情はできることなら自分で解決したいし、周りの人とは「楽しいね」「うれしいね」ってハッピーを共有して過ごす方がいいなと

あと自分は心のシャッターが重めで
自分の素は出すけど、「この人だ!」と思わない限りは本当の所は見せないなと

だから、自分がつらいとき嫌なことがあったとき
「これいやだ」より「これいやかもしれない」
「今辛い」より「今辛いかもしれない」

「かもしれない」をつけると、負の感情がマイルドになる気がしていて

自分的にも「辛い」って言葉を発して、いま辛いと脳が認識するのを予防してる

「かもしれない」を使うことで、そうじゃない可能性を残しておきたい
そうすると、100%辛いんじゃない、辛いのが数%のこともあるって思えるからかも!

結局は、自分を守りたいだけですね笑
ある人からは、それは一種の防衛本能だねと

みなさまも辛いときや悲しいとき
語尾に「かもしれない」をつけてみてください

少しは楽になれるかもしれない!


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