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No.3 希死念慮
死にたいと言えば何か楽になるのだろうか
私は自分に興味がないんだろうなと感じるような
他者の振る舞いに触れた時、プライドがボロボロになって途端に死にたくなる
だから人とはあまり深い関係にはなりたくない
けれど、死にたいという言葉を頭で巡らせ
はたまた言葉として口に出すことによって何か変わるのだろうか
きっと意味はないんだろう、な
意味がないこと、だからこそするのかもしれない
非生産的な行動を生産的に行うことが
私の生きる意味そのものだと思う
何の意味もなく、ただこの若さを浪費する
良く言えば無駄を謳歌するのだ
生産的なことをすれば達成感は大きいだろうし
その達成感を得た時に自己肯定感は高まり自分のことを今よりは愛することができるだろう
しかしそれは継続的なものではない
何かを達成すれば、また何かを達成しなければいけなくなる、そしていつか達成できない現実という名の壁にぶち当たる、理想論では飛び越えることのできない、あまりにも分厚くコンクリートのように熱を通さない無慈悲なとてもとても大きな壁
だから私は無駄なことしかしたくないのだ
生きる希望も目標も別にない
生きてるというより死んでいないだけだ。
積極的に日々を精一杯生きているか?
全くもって。
昔の自分は今の自分を見てどう思うのだろうか。
お兄さんは情けないかな?
誇れない恥ずかしい存在かな?
ごめんな、俺は大人になりきれないんだよ
お父さんやお母さんはすごいよな
時間が経てばなれるもんじゃないよ。
俺は一生責任というものの束縛からは逃げに逃げて自由に無駄に無気力に生きていくんだよ
それでいいんだ。
死にたいね!!!