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コロナ奮戦記

※あくまでも個人の見解や判断に基づいた療養記です。

0日目

ほんの僅かな兆候に気が付いたのは8月3日の夜。仕事を終えて帰りの電車の中でぼんやりしているとき。なんとなく、かすかに喉に違和感があることに気がつきました。上顎の鼻と喉が繋がっているあたりに微妙な違和感。気のせい、と言われればまあそうかなあと思われるぐらいの微かなことでした。そしてその夜遅く、接触アプリCOCOAから通知が届きました。初めてみる通知でしたが、なんとなく開く前からついにくるものが来たかという気がしました。「8月1日午前9時から2日午前9時までの間、29分の接触」24時間のうちの29分間って?思い当たるとすれば電車の中か食事を摂った飲食店か・・・。誰から感染したのか全く心当たりがありません。喉の違和感はもしかして?、とこの時になって初めて思い当たるのです。

1日目

8月4日。喉の違和感はあまり変わらず。1日仕事をしました。食欲も普通。ただ、夕方に少しお腹が痛いな、と思ったものの、これもさほど気にするほどのこともないものでした。しかしこれが数日後に苦しい思いをすることになる予兆であることに、この時は気付く由もありませんでした。夕食も普通に摂りましたが、食べていて美味しくない。もしかすると感染したのかなという思いがどんどん強くなります。
さあ、寝ようとベッドに入って横になるとなんとなく身体が浮き上がるような感覚がします。もしかして・・・・。体温計を取り出して熱を測ってみました。37.0度。ついにくるものがきてしまいました。

2日目

8月5日。お腹がゾクゾクして腰のあたりに痛みを感じて5時半には目が覚めてしまいます。37.6度。
ともかく今日は診察をしてもらわなければ。でもまずどこにどう連絡をとっていいのかわかりません。そこでとりあえず市のコロナサイトを見てみます。そこに都内の発熱外来のリストがあります。かかりつけ医もそのリストにあったのでまずはそこに電話をしてみます。診察開始時間の30分前に一度電話を入れてみましたがテープが流れるのみ。診察開始時間になると同時に電話を入れるも話中で繋がらず。何度も電話をして20分後にようやく繋がったものの、発熱外来の予約は今日はもういっぱいとのこと。では明日診てもらえますかと尋ねると、明日の予約はまた明日電話をください、と言わます。ん〜、次。「発熱外来はちょっと今中止してるんです」、「発熱外来は毎週水曜日だけなんです」、「検査キットがなくて今診察していないんです」、「スタッフに感染者がたくさん出てしまって発熱外来を中止しているんです」・・・。7、8軒断られ、ようやく診察をOKしてくれたのは毎年人間ドックでかかっている地元の割と大きな総合病院でした。「大丈夫ですよ、混んでますけどすぐに来てください」と言われた時には一筋の光が差し込んできたようで電話口の受付の女性が天使に見えました。電話で声だけなのに(笑)。診察を受けてPCR検査、会計、薬局で2時間ほど。思ったよりもスムーズで助かりました。検査結果は明日以降になるものの、診察の内容や処方された薬もコロナ感染を前提としたものになっています。

診察中は小康状態を保っていたものの帰り着いて熱を測ってみると38.2度。さすがにぐったりして横になりました。この日は朝からお腹の具合もあまり良くありません。下腹部に鈍痛があって、これもコロナの影響なのかなと思いました。この日は38.7度まで熱が上がりました。ところが熱はあるものの食欲はあって、しかもガッツリと食べたい気分。なんとこの夜はトンカツ弁当をペロリと平らげました。

3日目

8月6日。私の風邪はいつも喉の痛みから始まります。喉が痛くなってそのうちに鼻にきて、最後は後鼻漏で不快な日々が一月近く続いて終わるというのがパターンです。今回も喉の違和感を感じるところから始まったものの、喉が痛いというところまではいきませんでした。ちょっといがらっぽい感じ。人によっては水も飲めないぐらい喉が痛いという人もいるみたいなので、咽頭痛に関しては軽症で済んだようです。ただ、咳はそこそこ出ます。
15時ごろ病院からメールが入り検査結果は陽性。正式に新型コロナウイルス感染症と診断されました。程なくして保健所からも8月14日が療養の最終日になるとのメールが入ります。同時にHER-SYSに健康状態を入力するよう促されます。これで晴れて正式にコロナ患者です。あの「本日の陽性者数」に自分もカウントされるのか、と妙な高揚感があります。

朝は微熱でしたが夕方には38度まで熱が上がりました。ただ食欲は相変わらずで、夜は鳥の竜田揚げにサラダと普通に食事を取ることができました。しかし時々お腹の痛みが襲ってきます。

4日目

8月7日。口唇ヘルペスもできてしまいました。ずっと寝ていて腰も痛いし、咳をしたら腹筋を痛めてしまいました。もうだんだん気持ちが滅入っていきます。未明に通じがあって、その時に猛烈な腹痛が。コロナがお腹にきているのかな・・・。
熱は朝から微熱。食欲はあって朝はメロンパンを食べました。熱は昼になっても37度前後。容体が落ち着いているので久しぶりにシャワーを浴びてスッキリ。

お腹の痛みが断続的に襲ってきます。臍の下。私は大腸憩室を持っていて年に一、二度憩室炎を発症します。持病です。憩室炎を起こすと下腹部が断続的に痛くなります。なんというか腸をぎゅっと掴まれるような猛烈な痛み。発作のように断続的に襲ってくる身を捩るほどの痛み。その時に似た痛みがコロナの感染と同時に始まっていました。最初のうちはコロナがお腹にきているのだと思っていたのですが、日に日に痛みが増してきて、これはどうも憩室炎を併発しているのではないか、と思い始めます。

5日目

8月8日。熱は上がっても37度台の前半。発熱は昨日から低位安定しているのですが、腹痛は断続的に襲ってきます。痛みも激しくなってきているのでこの日からゼリー食に切り替えることにました。経験的にもうこれは憩室炎だと確信を持っているのですが感染しているためにかかりつけ医にかかるということができません。薬ももらえることができずにひたすら痛みに耐えるしかありません。コロナに感染して基礎疾患や別の持病を持っている人などが発症した時にはどう対処したら良いのでしょうか。きっと電話はなかなかつながらないだろうし痛みを抱えて電話をすることも躊躇ってしまいます。

6日目

8月9日。10日間の自宅療養の折り返し。最初は10日間を自宅の部屋で過ごすのは長いなあ、どれだけ退屈なのだろうと思っていたのですが、療養に入ってみると意外に早く日々が過ぎていきます。時々うとうとと眠る以外は起きて積読になっていた本を読むことと始まったばかりの甲子園の高校野球を見ながら過ごしました。映画も見ようと思っていたのだけど最初のうちは2時間近くを集中できるような容体ではなかったので、本に疲れると眠っていました。まあ、本とテレビでなんとなく1日を退屈することなく過ごすことができました。
コロナの症状自体は比較的落ち着いていて、時々鼻が詰まるのと咳が出ること。熱は36度台の後半から37度ちょっと。それよりも波のように襲ってくる腹痛の方が厳しく感じられます。

7日目

8月10日。療養も今日で丸1週間。飽きてしまったのは毎日三度三度のゼリー食。憩室炎を起こすと炎症を治めるために普通の食事は食べられなくなります。基本は痛みがなくなるまでは絶食なのですが、栄養を補うためにゼリーを摂ることはドクターも認めてくれています。ただ、毎食ゼリーというのはさすがに飽きてきます。ゼリーには色々な種類がありますが、甘味で味付けがしてあり、この甘さ一辺倒がだんだん苦痛になってくるのです。塩味が欲しくなります。

熱はやはり微熱。ここにきて発熱はコロナのというよりもこの憩室炎によるのではないかと思うのですが、そこの境界がよくわからなくなっています。腹痛は断続的に続きますが、朝久しぶりに通じがあって、一瞬痛みが和らぎます。ここ数日通じが止まってしまっていたので、これはやはり腸が炎症を起こしているのだと思われます。

8日目

8月11日。もはやコロナで療養しているのか憩室炎と戦っているのかわからなくなってしまいました。延々と続くお腹の痛みはこれまでになく長いので、このまま診察も受けられず悪化して腹膜炎でも起こしてしまうのではないかと、不安と焦りに苛まされます。今日こそドクターに相談してみようと思いたち、コロナで診察してくれた病院に電話をかけてみたのですが、この日は祝日。繋がったのは警備員室で一瞬しまった、昨日のうちにしておけばよかったと思ったのですが、当直のドクターに繋いでくれたので、症状を説明しました。「まれにですがコロナから胃腸障害を起こす人もいます。多分憩室炎は間違いないと思います。対応は間違っていません。熱も微熱ですでに発症してから1週間経っていますから、徐々によくなっていくと思います。もう少し様子を見てこれ以上痛みと熱が上がるようでしたら連絡をしてください」と言われました。相談ができて少しほっとします。

午前中はまだ断続的に思わず身を屈めるほどの痛みが出るので、コロナ用に処方されていた鎮痛剤を初めて飲んでみました。あまり鎮痛剤に頼りたくなかったのでこれまで使用を控えてきたのですが・・・。ところがこの鎮痛剤がよく効きました。痛みが嘘のように引いてきました。そしてこの日は初めて36度台から熱が上がることがありませんでした。鎮痛剤が切れた夕方ごろになっても痛みが出ません。咳もそこまで酷くはないし、喉の痛みも全くありません。ここにきてようやく光が見えてきた感じがします。もうシンプルに嬉しい!

9日目

8月12日。朝4時過ぎに目が覚めました。すぐに熱を測ってみたところ、35.9度。36度を下回っています。下腹部の痛みもほとんどありません。せっかく早く目が覚めてしまったので、誰もいない早朝の家の周りを20分ほど散歩してみます。ずっと寝ていてここ4日ほどゼリーしか食べていないので、歩いている間中体がふわふわするというか軽い立ちくらみのような状態。体力がすっかり落ちていました。結局この日は発熱もなし。やはりここ数日の微熱は憩室炎からきていたのだと納得します。
昼食に蒸しパンを食べてみます。久しぶりのゼリー以外の食事。この日は部屋の中でできるだけ起きているように心がけました。

10日目

8月13日。もうすっかり熱も下がり、憩室炎の痛みも無くなりました。咳が時々出るのと、少し痰が絡みます。食欲もあるしほぼ回復したものと思われます。なるべく横にならずに座って過ごし、片付けをしたり部屋に掃除機をかけたりして少しずつ体を起こしていきます。食事も徐々に元通りに戻していきました。療養明けに向けて体力回復に努めた1日でした。

11日目

8月14日。保健所から指示を受けていた自宅療養の最終日。体調はほぼ元に戻りました。長かったような短かったような10日間でした。途中からはコロナというより併発した憩室炎の痛みと戦った日々でした。むしろこっちの方が辛かったかも。今から考えると純粋にコロナの症状が出ていたのは、発症から4日目ぐらいまでだったのだろうと思います。

この療養期間中に保健所から連絡があったのはメールが一度きり。でもそれは状況を考えればやむを得ないことです。私の感染が判明した日はまだ東京の1日の陽性者数が3万人を超えていた時だったので、おそらく保健所や医療現場は相当に逼迫していたに違いありません。2類の感染症患者が自宅で療養していても保健所から一度も確認の電話も入らない、ということが現場の対応の困難さを物語っています。一応私は感染者として保健所に捕捉されたことは間違いないのだから、今はこれで十分だと思いました。その後市の担当者の方から様子を伺う電話がありました。単身者の場合には食料品を送ってくれたりするそうですが、私は家族の助けもあったのでそのお世話になることもありませんでした。もっと大変な思いをされている方にそのサービスは振り向けて欲しい。「なにかあったらいつでも連絡してくださいね」と言ってくれた市の担当の方には本当に頭が下がる思いでした。病気で一人で部屋にいる時に、社会と繋がっている、自分は忘れられていない、と感じられることは何よりも大切なことだと思いました。

私は幸運なことに比較的早い段階で医療にアクセスすることができ、軽症であったことも幸いして自宅で療養に努め、特に保健所のお世話になることもなく回復に向かいました。ちょっとした風邪程度だな、という自覚があったので体温と酸素飽和度のバイタルサインが急激に悪化しない限りこちらから医療のリソースを使うことはしない、と決めていました。重症の方や基礎疾患を持っている方にできるだけ医療資源は空けておくべきだと思っていました。ですから、健康観察はこまめに行って記録しておき微かな変化を見逃すまいと努めました。途中、憩室炎を併発して診察が受けられずなかなか良くならなかった時には少し焦りましたが、もともと持病で対処方法を知っていたことでなんとか対応できました。それでもコロナにかかったら普通に医療機関を受診することはできないのではないかという不安は付き纏いました。基礎疾患をお持ちの方や突然の怪我や病気に見舞われた方は、この時期本当に不安だと思います。救急車も逼迫しているような現下の状況で、コロナ以外の医療へのアクセス方法についても国は整備をするべきだと強く感じました。コロナが一般医療を逼迫して助かる命が助からないというのは本当にやりきれない思いです。

12日目

8月15日。ようやく普通に外に出ました。出かける前に気分を一新するためにちょっとコロンを振ってみました。あれ?匂いがしない。そういえば朝食のパンも風味を感じなかったな・・・。どうやら味覚嗅覚障害になってしまったようです。もしかすると少し前から症状は出ていたのかもしれませんが、この時はっきりと意識しました。麦茶は水、コーヒーはただのお湯にしか感じません。これがコロナの後遺症か、と実感しています。せっかく普通に食べることができるようになったのに、美味しく食べられないなんて。これを書いている8月16日現在、症状に全く変化がありません。検索すると通常回復に1週間ほどはかかるとありますから、しばらくこの状況は続くかもしれません。その顛末は後日談としていずれ書いてみたいと思います。

ここまでが私のコロナ闘病記です。56歳男性。基礎疾患はないものの大腸憩室という持病持ち。コロナ禍が始まって2年半あまり。マスク手洗いなどの一般的な感染対策をする以外はごく普通の生活をしてきました。特にウイルスに神経質になることもありませんでした。数々の変異を繰り返しながら第6波まで、なんとなくウイルスの網からすり抜けている間にどこかで本当にウイルスはいるのか、と自分にとってはどこか他人事みたいな思いがあったのかもしれません。私はこれまで覚えている限りインフルエンザにも感染したことはありません。ですから、もちろん感染は怖かったし、自分が感染したらどうしよう、という思いはあったものの、どこかでニュースの出来事として捉えていたような気がしないでもありません。発症してみて、あ、やっぱりコロナって世の中に存在していたんだ、と妙に納得してしまいました。

実感からするとコロナは”風邪”でした。もちろん重症化して肺炎を起こしたりした方にとってはもっと重い病気です。しかし、多くの人にとってこのオミクロン株は風邪に近い病気と言っていいと思います。睡眠と栄養をしっかりとって体を休めれば数日で回復します。しかしまだ決定的な治療薬がないこと、深刻な後遺症に悩まされている方が多くいることなどを考えれば、普通の風邪以上のリスクがあるし侮ることはできません。医療逼迫という外的な要因に不安を感じることが多いことも事実です。診察を受けられない、症状が悪化したときにどうしたらいいのか、苦しい時にどうしたらいいのか。救急はもちろん、かかりつけ医、訪問医療、保健所、役所・・・。平時から複数の連絡先を調べておくことは大事だなと思いました。

もちろん感染しないに越したことはありませんが、これを経験したからと言って何か決定的に価値観の変化をもたらすような、病気の前後で人生観が変わるというほどのこともありません。罹ったからといってことさらに深刻に捉える必要もないと私は思います。マスク生活が始まるまでは年に何回か風邪を引くことはあっても発熱することは稀でしたので、久しぶりにちょっと風邪で寝込んじゃったな、というほどの感覚でした。

変異を繰り返した結果、感染力が強くなったと言われていますので、感染対策をしていてもいつどこで誰が感染してもおかしくないぐらいにポピュラーな病気になったということだろうと思います。「誰でも罹る」。見えないウイルスはすぐそこにあって、誰でも容易に感染する。でも多くの人にとってマスコミで連日報道されるようなおどろおどろしい病気ではありません。これまでの普通の風邪やインフルエンザだって高齢者や基礎疾患を持っている人にとっては簡単な病気ではありませんでした。ですからそれと同等の恐れかたをすればいいのです。生活の中で普通に恐れればいいのです。もう我々はマスクと手指消毒というこれまでにない日常を獲得しています。

コロナはこれで人生の経験値が上がるというほどのこともありません。心理的な負担や誰かに対する負い目を感じるような病気でもありません。不運なことに感染して発症してしまった場合でも努めて落ち着いて行動する、冷静に考えるということ。そしてそれが家族であれ、医療であれ、行政であれ、頼れる人には素直に頼るということが何よりも大切なんだろうな、ということが感染・療養してみて私が感じたことです。それだけのことです。

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