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境界で踊る〜橋本絵莉子『街よ街よ』【ディスクレビュー】

橋本絵莉子の2ndアルバム『街よ街よ』に感動しきっている。前作『日記を燃やして』では柔らかなアレンジはアコースティックギターの音色も印象的だったが、本作はずっしりとしたグルーヴを活かしたロックバンドらしさ溢れる1作。ライブでの経験値が制作にも反映された好例だろう。

40歳を迎えた橋本が自身の年齢を「若くもないけど老いてもいない、この感じがちょうど踊り場っぽいなって。(中略)ただスッと過ぎていくだけ、次の階に向かうための通り道にすぎないっていうか。」と上記インタビューで語る。そしてこのアルバムは「踊り場」という楽曲から始まる。

まだまだどんな場所へも行ける感覚、またはあらゆる境界の狭間に立っている心地。アルバムに通奏するまさしく“人生の踊り場”的なムード。この点に注目し、このアルバムを掘り下げてみたい。



全ては自分であるとして

ストイックなロックサウンドが展開される本作だが、歌っている内容は自由自在である。そして全編を通して聴くことで橋本絵莉子というシンガーのしなやかな思考や色とりどりの感情が複層的に浮かび上がり、彼女の深淵を覗くことができる。

人にぜつぼうし
人にはげまされ
人にきらわれて
人にあいされる
人をうたがって
人をすきになり
人のいくみちを
一人眺めている

橋本絵莉子「人一人」より

反抗期
傷つけ合う
自分を正解にしたい

いるだけで
喜び合う
あなたと間違えてもいい

橋本絵莉子「慎重にならないか」より

例えば、これらの一見矛盾しているような言葉たち。しかし全てが同じメロディに収まることで、全ては偽りなく彼女の言葉として響く。他にもアルバムの中で随一アッパーな曲調で、やや厭世的に世界の冷たさや”自分“の他者への埋没を歌う「ホテル太平洋」もあり、チャットモンチー時代から続くダークな筆致も健在であり続ける。

彼女は思いついた順に言葉を書きつけて歌としているように見える。この自由連想の連鎖が、揺れる心を丸ごと捉える。善と悪、正解と間違い、そんな簡単な二項対立に持っていかず、容易くジャッジもせず、曖昧なまま抱えておける成熟した精神がアルバムのあちこちに刻まれている。


18の春、フリーターになって
38の夜、嫌になって
どうでもいい細胞だけが
よみがえる

粘土で薔薇を作って
タオルケットでお昼寝
浅いビニールプールで
宝物を探した

橋本絵莉子「宝物を探して」より

車で歌う歌よりも
お風呂でつくため息が好き
幼い頃の憂鬱が
今になって生きている

橋本絵莉子「偏愛は純愛」より

そして彼女は時間をも超えていく。幼い頃、学生時代、バンド時代、母親になって以降。その全ての彼女が彼女の中に息づいており、そのどれもが不意に顔を出し得ることを歌詞で示す。「Oh!Cindella」にあるように、古くから持っているモノが今になってしっくり来る瞬間もあるのだと。


私はパイロット
時間の飛行機に
何人もの私を乗せて
暗闇を進むよ

嘘じゃないよ
嘘じゃだめだよ
嘘じゃこの先
かわいいおばあちゃんにはなれないよ

橋本絵莉子「私はパイロット」より

リード曲「私はパイロット」ではまさしくこれらのことが歌われる。自分の中に様々な自分がおり、瞬間ごとに違う自分が表出し得る。想いや思考といった横軸、過去や未来といった縦軸を問わず、常に沢山の自分と共にいること。そしてそれは”嘘“ではない。全ての自分が、全て本当のことを想っているということ。その事実だけが、“かわいいおばあちゃん”という望む未来へと導いていくのだろう。飄々と真理をつく言葉たちだ。



生と死の境界にて

本作を語る上で避けては通れない大きな別れがある。一時期はチャットモンチーのサポートも務め、ソロになってからも橋本絵莉子バンドでドラムを担当していた恒岡章(Hi-STANDARD)の急逝である。この辛さや悲しみが本作に漂っている。

語りかけてくるのは
いつだって過去のあなた
その言葉に耳を傾けるのは
これからを夢見る私

橋本絵莉子「このよかぶれ」より

ずっしりとした沈痛を描きながら、同時に未来への眼差しを忘れない。これもまた、本作にある曖昧なものを曖昧なまま抱えるスタンスの現れだろう。また「やさしい指揮者」では《この言葉もあんな悲しみも/今日のための鼻歌に変えて》と歌い、どこにも行き場所のない悲嘆をコントロールし音楽へと昇華するプロセスを描いている。

また、この「やさしい指揮者」は1stアルバム『日記を燃やして』に収録された「fall of a leaf」における恒岡章のドラム音源を使用して作られている。《棺桶にお金を入れたって/燃えて灰になるだけだから/大丈夫よ/笑いながら悲しいこと思い出しても》と歌う「fall of a leaf」の気配も滲み、ここでも過去と未来が溶け合っている。

その他、インスト曲でありライブテイクでもある「離陸~Live at Namba Hatch,Osaka,Oct,17,2022~」は恒岡が参加したツアーで収録された音源であり、本作はやはり彼の不在と存在がどちらもある状態に開かれている。人生の踊り場にいる橋本は、生と死の境界にも立ってその全てがフラットに存在する音世界を作り上げた。

思えば「人一人」でも突如として幽霊の話をし始めてい、1曲目「踊り場」でも不意に《目指す屋上、空高く》と逃れられぬ死についてさらりと歌う。あの世とこの世の狭間、時を越えて去っていった仲間とも共にいることも表現の中では嘘偽りなくできる。『街よ街よ』のタフな響きは、そんな意志があってこそだろう。



ブルーハワイ
青い舌
見せて
踊ろう

ストロベリー
赤い口
好きよ
さよなら

橋本絵莉子「踊り場」より

私がこのアルバムで最も感嘆したのはこの「踊り場」の歌詞である。白と黒ではなく、青と赤を対比させたビビッドなイメージの中で、楽しさも微笑ましさも愛しさも、そしてさよならの寂しさも全て言い当ててしまっている。この異様な言語感覚と、あらゆる境界をまたぐ表現力。えっちゃんはずっと、マジカルで凄まじいシンガーであり続ける。その確信を強固なものにする1作だった。


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