「虎に翼」とオープニング食いつきベビのこと
「虎に翼」が終わった。個人的に2013年「あまちゃん」以来の朝ドラ完走。「あまちゃん」が新たな層に朝ドラの存在を訴求した作品だとするならば、「虎に翼」は別角度から朝ドラの在り方を照らし直す強烈な1作だった。
伊藤沙莉を始めとするコメディ巧者たちによる軽妙な会話劇、生活へと持ち帰りたい重厚なメッセージなど様々に受け取ったものはあるが1つ大きなものとしてオープニング映像の素晴らしさがある。米津玄師が歌う主題歌「さよーならまたいつか!」が一体となったOPが流れ出す時、我が家のベビがぱっとテレビ画面に食いつくのだ。何をしてても《どこから春が》の瞬間に顔を上げるのだ。その時間を利用し、家事をすることができるのだ!!!!
週末の朝にまとめて観ることが多かったのだが、本当にこの時間は洗濯物を取り込んだり哺乳瓶を洗ったりが捗るのだ。米津玄師自身も「虎に翼 × 米津玄師スペシャル」内でそんな話をよく聞くことを語っていた。反町隆史の「POISON」的なベビに普遍的に刺さる何かがあるのかは分からないが、とにかくこの半年、日本中の小さい子を持つ親たちはこの曲に感謝しきりだったに違いない。秋からどうすべきかを考えなければいけないレベルである。
この曲を初めてフルで聴いた時、こう歌い終わることにとても胸が熱くなった。こんな風に歌っている曲に、生まれたての我が子がリアクションしてることは不思議な気分になる。この子の生命力そのものを讃えているような、真っ直ぐなエネルギーの発露。ベビを通じ、この曲に強く鼓舞さえ、そして「虎に翼」にも深く感じ入るのだ。
我が子は生物学的には女の子であり、その意味でも「虎に翼」は深く響く。この子がどんな風に生きていくのか、どんな困難が待つのか。どうしても自分からは完全には見えてこなかった世界が、この作品を観て、ベビの未来を想像することで胸に迫ってくる。自分が気づいてこなかった痛みをつぶさに受け止める、そんな半年になった。
しかし暗澹たる気持ちになるだけではなかった。例えば女子部がみんなで行った海辺のシーン。あの波打ち際の光景が道を突き進む寅子の胸に何度も去来したように、どれだけ歳を重ねても“海に行きたい”という思いを胸に仲間と寄り集まれるように。かけがえのない時間が、この子にも流れていきますようにと願う瞬間がたくさんあった。
脈々と受け継がれていく想いがコミカルかつ幽玄に表現された最終話を見て、この子の未来に何を遺していけるかを考える。これからも考えて考えて、考えていくのだろうと思う。「虎に翼」がこの子の最初の成長と共にあった記憶とともに、考え続けていく。いつかこの子がこの作品に出会い、奮い立つ時に備え考え続けていく。その時は「さよーならまたいつか!」に食いつく様子も一緒に見せたい。《生まれた日からわたしでいたんだ 》を心の奥深くで受け止める日を思い浮かべている。
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