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アジカンとBUMPを同じ週に観て思うこと

10月の終わり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとBUMP OF CHICKENのワンマンライブを立て続けに観た週があった。この2組は間違いなく、中学校時代の私にとってのツートップと言えるバンドだ。というより、ゼロ年代の邦楽ロックに親しんだ多くの音楽リスナーにとってアジカンとBUMPは後世への影響やシーンでの存在感の点で双璧を成すバンドであることは自明の事実だろう。

1996年に結成。ボーカルギター兼ソングライター、リードギター、ベース、ドラムという4人編成。2004年に初のオリコン1位を達成。独自の日本語詞が印象を残す楽曲たち。多くの共通点がアジカンとBUMPにある一方、多くの点で異なる道を歩む2組だ。私はと言えば、このnoteでも山ほど記事を書いている現在進行形のアジカンファンである一方、BUMPは今回が初めてのライブだった。本稿それぞれのバンドとの心理的距離を実感し、納得したこの2公演について考えてみたい。


10.24 ASIAN KUNG-FU GENERATION「ファン感謝サーキット」 @福岡DRUM LOGOS

メジャーデビュー20周年、伊地知潔(Dr.)加入25周年を記念して全国のライブハウスで開催された今回のツアー。福岡DRUM LOGOSはキャパ1000人の会場であり、この日の整理番号は9番。前から2番目という近距離で鑑賞することになった。長くアジカンのライブに通っているがここまでの近さはない。ステージ登場時からいつもより遥かに立体感のある4人の姿にもう圧倒されていた。

セトリはファン投票の結果を軸にした選曲ゆえ、鳴らされる曲はどれも興奮必須だが、なんせこの距離で観るとその演奏の手つき、微細な表情変化まで観て取れるゆえに“人間が作り出している音楽”としての色濃さが鮮明に伝わってくる。音源や映像、遠くの席からは感じづらいマンパワーの集合体、個々のプレイの融和によってもたらされる音楽だという実感が高い解像度で迫ってくる。

初期の楽曲たちをこのキャパの会場で聴くのは自分がリアルタイムで立ち会えなかった時代を追体験するようでもある。「振動覚」、「リライト」、「Re:Re:」、「電波塔」...2ndアルバム『ソルファ』までの楽曲は目の前の観客に向けて応答を願い、なるべく近い距離で存在を証明しようと叫ぶ楽曲が多く思えた。時を超え、自分たちの音楽を他者へ繋ごうとする初期衝動の発露を垣間見た気分だ。

中盤に固められていたのはアジカンが初期衝動を終えて、セッションを重ねて複雑なアンサンブルを模索していく2006-2010年頃の曲たち。この時期は後藤正文(Vo/Gt)が綴る言葉も存在証明から社会との対峙に切り替わる時期だ。この社会で歌を歌うことの意味を問う「夜のコール」、世界中への祈りを込めた「」などがファン投票上位だったのも今のアジカンを形成する一因だろう。


アジカンはこの社会/世界を描きながら、同じ時代を生きる我々に向けて歌い続ける。アジカンのライブは過度な一体感は皆無だが、緩やかな共同体のような居心地の良さを覚えるの彼らのこのスタンスによる所が大きい。「荒野を歩け」や「エンパシー」といったエンパワメントに満ちた楽曲が支持されていることがその証左だ。アジカンは我々と同じ目線で現実に向き合うバンドなのだ。

そして同時に“いつか終わってしまうこと”についても切実さをもって歌う。本編ラストを飾る「海岸通り」の青春の面影、オーラスに選ばれた「今を生きて」の愛しい惜別の念。過ぎ去る時間を眺め、不可逆な今を噛み締めるような楽曲たちだ。アンコールで後藤が弾き語りした「生者のマーチ」も逃れがたい死を想う曲であり、「ソラニン」も別れをテーマにした同名作品の主題歌だ。

このセンチメンタルな無常観もまたアジカンの在り方を印象づける。いつか終わるからこそ美しいものがあり、ゆえに今この現実で向き合うべきことがある。この2つに要素は不可分なアジカンらしさなのだ。アンコールでのメンバーそれぞれの見せ場など、お祭り感の強いツアーだが根底にある本質は揺るぎない。間近で観たからこそ分かる成熟した晴れやかな表情が雄弁に物語っていた。

《setlist》
1.センスレス
2.振動覚
3.リライト
4.荒野を歩け
5.江ノ島エスカー
6.エンパシー
7夜のコール
8.十二進法の夕景
9.転がる岩、君に朝が降る
10.或る街の群青
11.ナイトダイビング
12.嘘とワンダーランド
13.お祭りのあと
14.ループ&ループ
15.橙
16.Re:Re:
17.電波塔
18.海岸通り
-encore-
19.生者のマーチ(ゴッチ弾き語り)
20.ソラニン(ゴッチ弾き語り)
21.雨上がりの希望(コスモスタジオ)
22.冷蔵庫のろくでもないジョーク(コスモスタジオ loves キヨシ)
23.遥か彼方
24.今を生きて


10.27 BUMP OF CHICKEN「TOUR 2024 Sphery Rendezvous」@福岡みずほPayPayドーム

10thアルバム『Iris』を引っ提げての全国ツアー。福岡は最大規模のドーム公演である。BUMPがドームライブをしていることは既知だったが会場周辺の賑わいを前にして強くその支持層の規模感を思い知る。インターネット黎明期におもしろフラッシュ倉庫で出会いを果たしたバンドではとうにない。頭で分かってはいたが存在のスケール感や会場いっぱいのファンに開演前から圧倒された。

しかしライブが始まってみるとその印象は変わる。1曲目「Sleep Walking Orchestra」から同期音もふんだんに用いられているが、演奏はかなりくっきりと粒立ち、打ち込みに埋もれるようなことはない。そして想像以上にリズムでノせ、楽器のアタック感で踊らせるようなグルーヴなのだ。確かに遠くにいるように見えて本質はやはりライブハウスからやってきたロックバンドなのだ。


それは楽曲にも言える。近年の楽曲と共に演奏された「車輪の唄」は青き日の別離を描く、初期のBUMPを象徴する物語調の楽曲だがそこに「記念撮影」が続くと今を生きるエネルギーとして胸の内に息づく光景として響く。僕と君がいること、生きようとすること。近年のBUMPは変わったと思っていたが歌うのは常にこの2つ。物語から抽出されたこの2つが今なおBUMPのコアなのだ。


とすればセンターステージで演奏された、本ツアーで初披露となった20年前の楽曲「レム」の聴こえ方も変わる。聴き手を徹底的に突き放し、自分にも矛先を向けるシニカルでダークな曲だが中盤に挟まれた轟音が我々を祈るように鼓舞する。そして行き着くのは《心から話してみたい》という他者への呼びかけだ。近年の眩い関係性を描く楽曲たち、その光の原点にはこの内省があるのだ。

だからこそ「SOUVENIR」のこれ以上ない祝祭感が輝く。ステージを駆けずりまわって歌う藤原基央(Vo/Gt)の姿は楽曲の躍動感そのもの。「僕と君の歌だ!」と叫び始まった「アカシア」も真っ直ぐに聴き手へ飛び込んでいく。常々「楽曲はあなたに聴かれるために生まれる」という旨を語っている藤原だがこれ程までに全身でそれを伝えるアーティストとは思いもしなかった。"全開"なのだ。

だからこそ観客にもその存在の証明を求める。腕に巻かれた光るバンドが織り成す客席のライティング、めいっぱいに歌う練習をさせて始まったビッグアンセム「天体観測」、声援も発光も全てが楽曲のためのものなのだ。一体感ではなく、孤立したそれぞれの命の叫びがBUMPのライブを形作っていると深く理解した。彼らの楽曲にある《君》は全てリスナーに置換できると納得したのだ。

本編ラストを飾る「窓の中から」は、まさしく観客の歌声やクラップが楽曲と溶け出してこそ完成する1曲。ゴスペルのようなフィーリングの中に身を置き、過ぎ去っていく時間、費やされる命、そして僕と君がここにいることによって放たれる光に手を伸ばし続けるような演奏だった。世界の無常さに抗うように今この瞬間を抱きしめて離さない。これがBUMPのフィロソフィーに思えた。

《setlist》
1.Sleep Walking Orchestra
2.Aurora
3.なないろ
4.車輪の唄
5.記念撮影
6.青の朔日
7.Strawberry
8.飴玉の唄
9.星の鳥〜メーデー
10.レム
11.SOUVENIR
12.アカシア
13.クロノスタシス
14.木漏れ日と一緒に
15.天体観測
16.窓の中から
-encore-
17.流れ星の正体
18.ガラスのブルース



それぞれの28年

アジカンとBUMPを続けざまに鑑賞し、様々な年代の楽曲に思いを馳せてみると2005~2007年の間に大きな分岐点があるように思えた。2004年の大ヒットアルバム『ソルファ』と『ユグドラシル』の後に生み出した作品群からそれは伺える。


アジカンのブレイク後、主に後藤が聴き手に対する不信感に苛まれて精神世界を孤独に彷徨うことになる。そうして生まれたのが、今回のライブで1曲目を飾った「センスレス」を擁する2006年の3rdアルバム『ファンクラブ』。絶望の淵から光を求めてまっさらな始まりに辿り着く本作の先に、後藤の等身大の生き様が刻まれたパーソナルでナイーブな「転がる岩、君に朝が降る」(2008)が生まれた。剥き出しのままでこの世界/社会に根差しながら聴き手と向き合う覚悟を決めたのだ。


BUMPは早々にブレイクしてからも慎重な姿勢を保ちつつも聴き手を揺るぎなく信じ続けた。次第に物語調の楽曲は減り、明確に聴き手にめがけた音楽を宇宙的なロマンと共に紡ぎ、今年リバイバルツアーも開催された『orbital period』(2007)に繋がる。今回のライブで演奏された「飴玉の唄」と「メーデー」はその収録曲だ。恐れながらも貴方を信じること、我々の応答をキャッチしようとすること。剥き出しのまま、世界/社会を介在させず聴き手の心に直に届ける音楽を磨いたのだ。


BUMPが纏うファンタジックな存在感は社会を直接的にはあえて描かず、どんな時代にも共通する痛みや親愛を綴り続けているからなのだろう。対してアジカンの表現は深刻な現実と対峙してこそ磨かれていくものだった。いつしか私がアジカンだけに傾倒したのは自分の根底に現実世界への不信があったからだと思い当たる。信頼が基盤にあるBUMPの言葉は私には眩しすぎたのだ。しかし30歳を迎え、子を持ち、目の前の人々や世界のことを真に信じたくなった今、ようやく向き合える光として私の前に再び現れてくれたのだ。


私が観た日のアンコールでそれぞれ披露されたのは2組のデビュー盤の1曲目。アジカンは「遥か彼方」、BUMPは「ガラスのブルース」だ。「遥か彼方」は今この瞬間に賭ける覚悟で世界を生き尽くそうとする楽曲であり、その後のアジカンを象徴する動力源として相応しい。歌詞の《ボク》を《キミ》にいくつも変更して歌われた「ガラスのブルース」はやはり絶対的に聴き手の歌として響く。今ここにある命で世界に呼びかける楽曲であり、やはりBUMPの象徴である。両バンドともこの曲を提げて世に出た奇跡を思わざるを得ない。


考えてみれば2組はともに全く別のアプローチでシーンの最前線に居続けてきたことになる。ともに人生と並走してくれていたアジカン、再び見つけるまで光を放ち続けてくれたBUMP。ここまで結んできた心理的な距離は違ったが、どちらも根っこではやはり自分の価値観に大きく影響したバンドだった。また何度でも出会い直したい、そう思わせてくれる歌がこんなにも沢山ある。末永くこの道を照らし続けてほしいと願っている。


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