皮膚との対話/『寄生獣ーザ・グレイー』【ドラマ感想】
岩明均原作による漫画『寄生獣』を韓国で実写化されたNetflix『寄生獣ーザ・グレイー』。人の脳を奪って寄生する地球外生命体と人類の戦いという漫画の基本要素は引き継ぎつつも、寄生生物が韓国に飛来したという設定で繰り広げられる実質の完全新作。青年漫画らしい薄暗くもエモーショナルな作品性を見事に汲み取り、さらにスピーディな展開や血生臭さを付与し、激しく良い"動き"で魅せる良質で見ごたえあるドラマ版だ。
原作では主人公・泉新一とその右手に寄生したミギーの相棒的な関係性が全面に出されていたが、本作ではその点を大幅に変えた。主人公スイン(チョン・ソニ)は脳を奪われることなく、普通の人間として生活もできる。しかし彼女に寄生したハイジは1日15分だけスインの意識を支配してその能力を発揮するのだ。この改変はこの主人公のパーソナリティ、そして作品全体に連なるメッセージとも呼応しており、非常に巧みな設定に思えた。
交代人格と第2の皮膚
第1話、理不尽な理由で襲われた主人公スインはその刺し傷によって瀕死になったタイミングでハイジに寄生される。そのためハイジは自身の生命維持のためにスインの傷を治すことに徹することになり、脳を完全に奪えなかった。ゆえに、スインとハイジは共存しなければならなくなる。ハイジはスインの危機に際して現れ、強力な攻撃によってその身を守る。
スインは母親に見捨てられ、父親には暴力を振るわれ続け、天涯孤独の身として過ごしてきた。そんなスインにとってハイジは身体と精神を共有した自分の深い理解者であると同時に、無意識下で自分を守る鎧のような存在になる。自分の危機に対して、別の自分が現れて自分の身を守ろうとする、、というのは解離性障害、つまり多重人格の病態とよく似ている。
身体的な外傷を治した上で、心的な外傷を埋めるように新たな人格を付与する、という点から見てもスインにおけるハイジは劇中で何度も語られる通り、ジキル博士におけるハイド氏のような交代人格が想定されているように思う。スインとハイジが精神世界の中で交流しながら、過去のトラウマと向き合うシークエンスからもそのイメージは受け取れる。
また精神分析家エスター・ビックの、"愛着に問題を抱えた人間はバラバラな自我をまとめるための「皮膚」の形成がうまくいかず強剛な筋力や攻撃力で身を固めた「第2の皮膚」を纏う"、という概念も想起する。他の寄生生物は宿主である人間の顔面を裂いて現れる一方、ハイジはスインの右顔面の皮膚の延長に現れる。暗喩としても、まさに闘う皮膚だ。
異質と向き合う
ハイジとスインは同じ瞬間には存在できず、メモや動画、他者への伝言を通してやり取りを行う。この時間差のコミュニケーションこそがハイジとスインの相互理解を進めている、とも言える。理不尽な運命によって決定づけられた病状のメタファーとも言えるハイジと時間をかけて折り合いをつけ、時に共闘しながらともに生きていこうとする姿は逞しい。
そもそも「寄生獣」自体が、異質さをすぐさま排除する社会の容赦なさを比喩的に描いた作品であり、異種間の分断の苦しみについての物語だ。本作においても二極の媒介者としてスインとハイジの関係性は位置付けられる。コミュニケーションの困難な存在を自分の中へ受け入れるというスインとハイジの在り方は、今の時代に必要な関係性かもしれない。
また、作品を観終わってみると、主要人物3人それぞれが自分の中にあるものと向き合う作品でもある。スインはハイジと共に過去のトラウマに触れ、偶発的にスインの物語に参加するガンウ(ク・ギョファン)は自分の中の弱さと向き合い、寄生生物駆除チームのリーダー・ジョンギュン(イ・ジョンヒョン)も自分の中に根付く怒りと向き合うなど、自分自身で自分を捉える誠実さが伝わるのだ。
寄生生物と人間の関係性。時にその価値観が反転する『寄生獣』の物語そのものが、物事の不確かさや人間の持つ心の裏表を反映しているように思う。だからこそ、自分自身の内面を問う登場人物たち(終盤は寄生生物までも含む)による群像劇とした点に本作が再解釈された意義があるのではないか。皮膚の奥にある人格の、さらにその奥で繰り広げられる対話の可能性を信じてみたくなる1作である。
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