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「花束みたいな恋をした」って知ってる

※若干のネタバレを含みますが、絶対に観てほしいポイントだけは頑張って伏せてます。

ポップカルチャーとの距離

<摘み取って 束ねて 抱えた 花束の 最初の一輪を いまでも おぼえていますか?>

"花束"と聞いて真っ先に思い出すのがこの歌詞。Base Ball Bear「逆バタフライ・エフェクト」だ。全ての選択は決められた場所に辿り着くという運命について歌った曲でギタリストが脱退した当時のバンドの心境が反映されたている。忘れがたい時間や記憶が花となり、集まれば花束となる。今ここにいる自分が抱えた花束の色は、これまでの自分の選択を映し出す。そのモチーフに強く感動した2017年当時の僕は、この曲が収録されたアルバム『光源』のレビューを音楽文.comに投稿して、優秀賞をもらった。あの出来事が今なお好きな音楽や映画を文章にし続ける原動力になっているのは間違いない。

ちなみに「花束みたいな恋をした」にはベボベは一切登場しない。先に述べたのは全く無関係の話なのだが、この映画について書く上でまず自分にとっての大切な出来事を話さねばならないと思った。つまるところ、これは自分の"たいせつ"についての作品だ。菅田将暉演じる山根麦、有村架純演じる八谷絹が出会って恋をして別れを選択するまでの約5年間の物語、と書けばキラキラした青春映画の風景が浮かぶし、実際そうなのだが、そこにポップカルチャーという自分にとってかけがえない要素が介在しているからこそ心を強く動かされた。出会いにも別れにもポップカルチャーが刻まれていた。

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ポップカルチャーに触れている時間の心地よさはそれを理解している者にしか分からない。どんな辛い映画だろうと悲しい音楽だろうと、それを受け取っている時間は不可侵な領域であり、様々な感情にまみれること自体が心地よい。1人だけでも極上のひと時なわけだが、そんな自分にとっての聖なる時間が部分的にでも誰かと共有できるとなればそれは格別に嬉しいものだ。現に今こうして文章を打って発信しているのも、自分の覚えた感動を誰かも同じようにキャッチしているのでは?という思いからであるし、自分にとっての"たいせつ"を共有することは大小様々な喜びを生み出してくれると思う。

身近にそういう存在ができることは奇跡に近く、だからこそ麦くんと絹ちゃんは惹かれ合う。2人が意気投合するきっかけとなった押井守a.k.a神の作品「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」は終わらない夢のループを描く作品で、「スカイ・クロラ」は大人になれない子どもたちの物語だ。ポップカルチャーは愛好家にとって永遠に見れる夢。このままでいたい、の象徴だろう。しかし同時にライフステージが移るにつれてポップカルチャーの向き合い方に経年変化が生じる。大学時代に音楽の話ができていた友人たちと新曲の話をできなくなったし仕事場の人たちと新作映画の話はできない。

麦くんと絹ちゃんの物語にもその"ポップカルチャーとの心の距離"が重大な影響をもたらす。他者が何に熱中し没頭するか、それをコントロールできないのは当然だし、自分自身だってどうなるか分からない。いつか自分にもこんなことが起きるのかもしれない、と怖くなるようなシーンもあった。恋愛の顛末よりカルチャーとの距離が描かれる様にこそ胸を締め付けられた。

しかし大事にしてきた記憶は消えない、とも改めて強く思う。好きだったものは心に残り続けいつかきっと再会を果たせる。そういう願いが芽生えたからこそ、この映画にやるせなさと切なさを持って思いを馳せてしまうのだ。

僕は出来る限り大好きなポップカルチャーを、大好きだ、と伝えるためだけに文章を書き続けていく。自分のたいせつは、自分で守りたい。もし離れる時期があってもちゃんと戻ってこれるように、書けるだけ書き続けたい。逃れられぬ現実を描く一方、カルチャーへの愛がより一層が深まる映画だとも思った。不要不急なわけがない。人生に欠かせない、生き甲斐なのだ。

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坂元裕二サーガとして

本作の脚本・坂元裕二の別れを描いた作品として「最高の離婚」が思い出される。本来の性格は真逆な濱崎光生(瑛太)と星野結夏(尾野真千子)が、東日本大震災の夜に不安な気持ちを寄せ合ったことをきっかけに結ばれる。"分かり合えないのに分かり合えた、けど分かり合えなかった"というのが「最高の離婚」の筋書だが、今回の「花束みたいな恋をした」では最初から分かり合え過ぎていた。"分かり合えていたのに分かり合えなかった"なのが強烈な切なさのトリガーになっている。やっぱりか、ではなく、どうして、が終盤を覆い尽くしていく。坂元裕二にしか描き出せない奥深くに沁み入る苦々しさ。

監督・土井裕泰と坂元裕二が前回タッグを組んだ「カルテット」の第6話は松たか子と宮藤官九郎演じる夫婦の回想シーンで出会いと別れが描かれた回で、構成のフォーマットは本作と共通する。互いの諦めきれなさと理想が溝を作る点もリンクしているが、年齢設定が20歳近く離れていることで「花束みたいな恋をした」には刹那的な質感が宿っているように思う。「カルテット」のように成熟した男女であるがゆえに"黙ること”ですれ違ったのとは異なり、20代なりに"なるべくちゃんと言った”にも関わらずズレが生まれていく様もまた残酷に映る。他人と通じ合う困難さを生々しく描いている。

満島ひかり主演の「Woman」で描かれた、三浦貴大と谷村美月が演じる夫婦のエピソードも思い出した。全編に渡って諍いを続けていた2人なのだが、最後の最後だけ思い出話を交わし合って笑いながら別れる。彼らもまたきっと、過ごした日々の美しさだけを最後に持っていくことを決めたのだろう。忘れがたい瞬間は花になり、そんな時間の重なりが花束となって登場人物の心に贈られる。「花束みたいな恋をした」という題は、恋を描いてきた坂元裕二作品の多くに共通して名付けらることができるタイトルのように思う。果てしなく容赦ないが格別に温かい。これが坂元裕二の恋への眼差し。


花束みたいな恋をしたプレイリスト

本作に登場する楽曲、名前だけ登場するアーティストの楽曲を並べたプレイリスト。各楽曲とシーンの呼応について。曲を聴くだけでその場面が鮮明に思い出される。

フレンズ「take a chance」「NIGHT TOWN」
この映画の1カット目がフレンズ「take a chance」を再生するスマホの画面なのだから即座に引きつけられた。2019年のEP『HEARTS GIRL』の1曲目でそのポジティブなメッセージは、とある恋の予感を演出している。一方、劇中で最後に流れるポップソングもまたフレンズである。終盤の特に印象的なシーンで、「NIGHT TOWN」がカラオケで歌われる。もどかしい恋の始まりを描いた曲だが、あの場面だと別角度の意味を持って響き渡る。フレンズはシティポップブームの終盤に現れたバンドで、おしゃれなポップスを少しいなたいJ-POPに寄せた、”タウンポップ“という印象を個人的には持っていたので今回のような市井の生活を描く作品にはとてもマッチしていたと思う。デュエットソングとしても画になるなぁと改めて思った。2021年現在はひろせひろせが活動休止中で、ツインボーカルではなくなったという事実が実に惜しい。


きのこ帝国「クロノスタシス」
<時計の針が止まって見える現象のことだよ>でお馴染みのこの曲もまた、恋の始まりをそっと彩る。夏の歌だけど、冬に歌ってまで"あの感じ"になりたかった絹ちゃんの強かさに改めて感服してしまう。この曲もやはり永遠なる時間のイメージとリンクするし、終わることのない(と思い込みたい)青春の風景として完璧な引用だ。<誰も知らない場所にいきたい 誰も知らない秘密を知りたい>や<クロノスタシスって知ってる?>という言葉の交換で醸造される密な関係性の予兆としてもうってつけのテーマソングだろう。ちなみにサブカルクソ野郎たちはこの頃もれなく佐藤千亜妃(Vo/Gt)を好きだった。きのこ帝国の作品群は一口にこういう音楽性とは言い切れないのだけどもその音像や歌詞の変遷が佐藤の心境のドキュメントである点も魅力の1つ。


ceroおよびあの頃のインディーシーン
話題として高城昌平がやっているバーRojiの話が出てくるだけなのだが、ceroを皮切りとするあの頃の所謂イケてるインディー音楽たちの存在が麦くん絹ちゃんの軽妙洒脱に生きたいボーイ&ガールな雰囲気に繋がってるように思う。Suchmos、Yogee New Waves、never young beach、D.A.Nあたりがシーンをザワつかせ始めた2015年のTwitterタイムラインが目に浮かぶ。このバンドマンたちは皆、麦くん絹ちゃんと同世代で、そんなバンドたちの存在が麦くんをクリエイティブな仕事へ突き動かしていたのではないだろうか。


GReeeeN「キセキ」、SEKAI NO OWARI「RPG」ONE OK ROCK
麦くん絹ちゃんのいる世界の対極として描かれるのがこのアーティストたち。GReeeeNの「キセキ」は「カルテット」第6話でも松たか子が料理中に流していて宮藤官九郎に衝撃をもたらす役割を果たしており、この曲の再登場は強い意味を果たす。麦くん絹ちゃんにとっては中学時代に周りのクラスメイトが聞いてた曲だろうし、腹の底がひやっとする感じはとても分かる。セカオワ、ワンオクあたりは2010年代シーンの覇者といった扱いで、圧倒的ポピュラリティの象徴として抜群のチョイス。麦くん絹ちゃんはロッキンジャパンフェスとかも行かなさそう。アジカンとか絶対聴いてたはずなのに大学に入ってから聴いてた記憶を抹消してそう。恥ずかしくないのに。新しい音楽を求めるのも良いけど、ずっと聴くバンドがいたっていいじゃないか。


Awesome City Clubの楽曲たち
この映画の縦軸として、まさしくAwesome City Tracksとして通奏する音楽。知る人ぞ知るだった頃の「Lesson」、だんだんと開けていく頃の「Don't Think Feel」「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」、ポップスを極める「ダンシングファイター」と時系列に沿って華やかにある楽曲をよそにどんどん冷え切っていく麦くん絹ちゃんの関係性、という対照的な描写にゾクっとする。ちなみに2015年リリースの「アウトサイダー」だけは時系列から離れて2018年の時間軸で演奏されることになるのだがこれがまた切ない。出会った頃のトキメキの中で聴いた「アウトサイダー」が、2018年の迷いと淀みの中で生演奏という形で届くあのライブハウスのシーン。圧巻の作劇。


羊文学、長谷川白紙、崎山蒼志
この映画を「やるせない」という悲しみから一段階上の慟哭へと持っていくのがラストのファミレスにおけるシーン。そこに登場する清原果耶の口から発せられるのがこの3組。2019年という時間軸においては早耳リスナーの間で話題となっていた3組。きのこ帝国から羊文学へ、というどことない共通認識がある人には分かる通り、ここでは2015年から2019年の不可逆な時間の変化が仄めかされる。戻れない過去、戻せない関係、消えない残像。他者から発せられるアーティスト名でそれを表現してしまう坂元裕二の筆致たるや。


SMAP「たいせつ」
劇中、最後に言及される楽曲がこれ。SMAPが1998年にリリースした28枚目のシングル曲。津野米咲が「Joy!!」を作った時に90年代のSMAP曲の素晴らしさについて言及していてその時期に聞いた記憶があった、程度の曲なのだが改めて聴くとこの歌が最後に触れられることの愛おしさで胸がいっぱいになる。<Everything is oh My 君となら ちゃんとやれそうな気がするよ>である。ちゃんとやれそうな気がしたという思いがこの曲を思い出し、再生し、口ずさむ時に心を振動させる。そんな場面まで僕には見えた気がする。



そういえば今月、僕は結婚する。この映画は恋の苦さを描いた作品だが、どういうわけかこの映画を妻になる人と一緒に観ても「良い映画だった」としみじみとした感動を持った。ああ大丈夫だ、と思った。僕らはこの作品で突き刺してくる心境を越え、その先に踏み出せているのだな、と思った。大成した恋にもこの映画はきっとよく合う。今この瞬間に抱えている花束の色を肯定したくなるはずだ。「花束みたいな恋をした」って知ってる?知ってると僕は言う。

※この映画の感想は音声配信という形でも喋りました。ここには書けなかった役者陣のこと、少し気になった点なども話しています。

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