私の学び(中国文学)の恩師
最近、仕事のペースがつかめたこともあって、巴金の「再想録」(作家出版社 2011初版)を弄っている。読んでいると書けないのは、読むスピードが遅すぎることが理由。エッセイ集なのだが、とある短編では1P読むのに調べなければいけないことが多くて追いつかず。でも、こういう読み方が出来るのはある意味贅沢なことなんだと思ってそれなりに楽しんでいる。
私が中国文学と出会ったのはもうかれこれ15年ほど前にさかのぼる。当時そこそこ真面目に中国語を勉強していた私は、中国文学をかじってみようかな、という思い付きのような理由で通信制大学に学士入学をした。
その大学を選んだのには理由があって、まずは中国語教室の同学が先に在籍していたこと、それから、とある先生がいらっしゃったことがあげられる。
私が学びの中心に置いたのは現代文学(中国文学の括りは、古典文学、清末期からの現代文学、その後の当代文学と日本語の文学史とは微妙に異なる)だった。その先生のことを私はひそかに「御大」と呼び尊敬しているのだが、その先生が専門としているのが現代文学であり、当時から好きだった「巴金」と言う作家も中国文学史でいうところの現代に属する作家だったからだ。
私は卒業論文の指導を御大にお願いし、初回の面談で卒論のテーマを巴金の「随想録」にしたいと申し出た。それに対して御大は「君には無理。」と一刀両断に切って捨てた。(後で聞いたら「学士で書くレベルではない」という意味だったらしいが、言葉が断定的な御大のことをこの時は理解しきれずにいた)それもあって、卒論は巴金の処女作である「家」に変更することになる。
卒論は散々だったが、御大には講義では聞けない話をたくさん聞かせていただいた。まだ現代文学に属する作家と直接話をする機会があった世代。巴金や茅盾、王蒙など、酒杯を重ねては当時の様子を語って聞かせてくださった。それが聞きたくて御大の研究室にお邪魔したりもした。
その期間があって、いまだに中国文学から離れられずにいる私がいる。今、好きなのは余華と巴金だ。御大が縁でお会いすることが出来た莫言は日文版でも難解すぎて良さが理解できない。
卒論の時に御大に「作品の読み方がファン(粉丝)のそれ。研究ではない」と散々に貶された。いまだにファン(粉丝)としての読み方しかできない自分に臍を咬みつつ、長く付き合っていきたいと思う。