マハーバーラタ/1-1.ガンジス河の岸にて

1.始まりの章

1-1.ガンジス河の岸にて

nārāyaṇaṃ namaskṛtya naraṃ caiva narottamam
devīṃ sarasvatīṃ vyāsaṃ tato jayam udīrayet
ナーラーヤナに、ナラとナラ・ウッタマに、女神サラスヴァティーに、ヴャーサに感謝し、そして人生に勝利をもたらすもの(マハーバーラタ)を勉強します。[マハーバーラタの祈りの詩]

昔々、今から5000年以上も前、
ドヴァーパラユガの末期、
日本においては縄文時代最盛期の頃の話である。
この頃の人間は身長も寿命も今の2倍程度であったとされる。
月の王朝の家系に生まれた一人の王様の恋物語から始まる。


その王は狩りが趣味であった。
彼はいつものようにガンジス河の畔にやってきていた。
そこで見かけたのは、この世のものとは思えない、まるで天界から降りてきた妖精のような女性だった。
その肌は金色に光り、目は大きく輝き、指で溶かした長い髪は月を隠す月食のようだ。
王は彼女を飲み干すかの如く目を見開いて立ち尽くした。
彼女はその視線を感じると、バラのように顔を真っ赤にしてうつむいた。
細い枝のような指はいつまでも黒髪に絡みつき、つま先は地面に模様を描いていた。
王はたまらなくなり、戸惑う彼女の手を取った。
「おお、なんと美しいお方だ。ぜひ私のところへ来てほしい。私はハスティナープラの都から来たシャンタヌ王です。私はあなたを愛してしまいました。もはやあなたなしでは生きられません」
彼女は微笑んだ。
「はい、一目お見かけした瞬間から分かっていました。私はあなたにとって運命の人なのですね。ええ、あなたの元へ参りましょう。ですが、一つ条件があります。いついかなる時も私のすることに口出ししてはなりません。もし約束を破ったなら、私はあなたの元を去ります」
「いいでしょう。約束を守ります」
こうしてシャンタヌは彼女を王都ハスティナープラへ迎えた。

シャンタヌは彼女に夢中であった。
いつしかガンガーと呼ばれるようになった彼女はとてもチャーミングで、姿は美しく、言葉遣いも優しく、まさに理想の王妃であった。
時間を忘れて一緒に過ごすようになっていった。

そして月日は流れ、ガンガーは男の子を産んだ。
偉大なパウラヴァ王家の跡取りの誕生を喜び、
シャンタヌは王妃の寝室に駆け込んだ。
しかしそこにガンガーの姿は無かった。
ガンジス河に向かったと聞き、シャンタヌは急いだ。

そこで彼は信じられない光景が目にした。
なんと生まれたばかりの息子を川に放り投げてしまったのだ!
「いったいどういうことなんだ? これは現実なのか?」
理由を聞きたかったが、あの約束の為に聞くことができない。
そして息子を放り投げた時のあの表情は何なのだろう?
何か心の中の重荷を捨てるかのような表情。
彼は何日も何日も悩み続けた。
あの約束が彼を縛り付けていた。

それは1年後にも繰り返された。
何度も何度も繰り返された。
7人もの息子が川に捨てられた。

それでも彼女を愛していたので何も言えなかった。
しかし、王家の跡継ぎが欲しいという願望もまた大きく、
次の8人目の息子が生まれ、ガンガーが息子を抱いて川へ急いだ時、彼はついに決心した。
悲しみと怒りを押し殺すように必死に耐えていたが
この時、初めて彼女に乱暴な言葉を浴びせた。
「こんな残酷なことはやめるんだ! もう耐えられない! 私の息子が殺されるのをもう見たくない。なぜこんなことをするんだ! 花が咲く前に茎を折ってしまうような真似をなぜ母親であるあなたができるのだ! もう黙っていられない、息子を返しなさい!」
ガンガーの口元に奇妙な微笑みが浮かんだ。
悲しみと安堵が入り混じった微笑み。
そして優しい声で言った。
「約束を破りましたね。私はあなたの元を離れます。ですが、王様。安心してください。この子は生きます。私がこの子を連れて行って育てますが、時が来ればあなたの元へ返しに来ます。この子の名前はデーヴァヴラタ。もう一つの名前はガンゲーヤです」
シャンタヌは呆然とした。
8人目の息子を殺さないでくれと口にしたことで、最愛の女性が永遠に去ってしまう、それだけは理解した。
無言の訴えの目を彼女に向けていたが、やっと言葉を出すことができた。
「・・・なぜこんなことをするのですか? 私の人生はもはやあなたなしではありえないのです。どうか私を見捨てないでください。一度は私を愛してくれたのでしょう? その愛の名において、どうか、どうか、お願いします。私を見捨てないでください」
ガンガーの顔に苦痛の表情が浮かんだ。
「ああ、王様。私は行かなくてはならないのです。私はガンガー、天界の住人です。ある呪いによってこの地上で人間として生活していたのです。
あなたの前世は偉大な王マハービシャク。インドラの宮廷で私達は出会い、恋に落ちましたが、他の天界の住人から快く思われず、地上に送られてしまったのです。
そして私達は地上でも再び恋に落ちました。ええ、とても幸せな時間でした。
ですが、王様。時の流れを止めようとは考えないでください。起きると定められていることは必ず起きるのです。たとえ天界の神々であってもその秩序は変えられないのです」
シャンタヌは混乱していた。
「いや、私には理解できない。なぜ7人もの子供を殺してしまったのだ? それも呪いなのか?」
「はい、そうです。8人の子供達は呪いによって地上に送られた8人のヴァスー達です。私は彼らと約束していたのです。この地上に生まれたらすぐにこの世の束縛から解放し、天界に帰らせると。
ですが、この8人目の子だけはこの地上で長く生きるという呪いを受けています。王様、どうか悲しまないで。この子は生きることを許されたのですから。私がこの子をパウラヴァ王家の跡継ぎとして立派に育てます」
彼は受け入れることができずにいた。言葉が出なかった。
ガンガーが二度と帰ってこない、そして跡継ぎの息子は得られた。
それだけは理解した。
ガンガーは愛と悲痛が混じった目で彼に優しく声をかけた。
「愛しい人よ。どうか落ち込まないで。デーヴァヴラタは私が大切にお世話しますから。この子は偉大な男になるでしょう。月の民の王位という名誉を持つパウラヴァ王家のどんな偉大な王よりも偉大な者となるでしょう」

ガンガーは消えた。
シャンタヌはガンガーの最後の瞬間を目に焼き付けるようにそこで何時間も過ごした。
そしてあきらめのため息とともにゆっくりと振り返り、家路についた。
完全な孤独が待っている宮殿へ。

(次へ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?