『安徳天皇漂海記』/『廃帝綺譚』
『安徳天皇漂海記』
元・高麗軍が暴風雨によって壊滅した文永の役から3年。交易商人の鄭文海一行は「元軍を退けたのは一人の老人であった」という奇怪な噂の出所を探し、博多の湊に庵を構える老いた隠者のもとを訪れた。噂の真偽を尋ねる鄭らに、隠者はかつて側近く仕えていた源実朝の話から語り起こす。
建暦元(1211)年、実朝のもとにかつて親王を自称し都を騒がせた〈天竺の冠者〉が現れる。冠者が江の島の洞穴に実朝を案内すると、そこには神器〈真床追衾(まとこおうふすま)〉に封じられた安徳天皇の姿があった。大災害を引き起こしうる〈塩乾珠(しおふるたま)〉〈塩盈珠(しおみつたま)〉を手に荒ぶる安徳天皇の魂を鎮めるため、実朝は巨大な唐船を建造。かつて天竺を目指し海を渡った廃太子・高丘親王の故事に倣い安徳と共に海を渡ろうとする……
初出2006年(中央公論新社)、中公文庫版は2009年刊行。第19回山本周五郎賞を受賞するなど、宇月原の作品のなかではとりわけ評価が高い。二部構成の長編である。第一部では源実朝と安徳天皇の出会いが隠者の回想として語られ、第二部ではクビライ・カーンの命をうけたマルコ・ポーロが安徳天皇の行方を探り、マルコの目を通して安徳と実朝の「漂海」の結末が描かれる。
かつて実朝に仕えた隠者の回想という設定は太宰治『右大臣実朝』へのオマージュであり、第一部は全編太宰の文体模写だ。第一部は太宰をベースに小林秀雄による実朝像を織り交ぜつつ、花田清輝『小説平家』で描かれる「天竺の冠者」をめぐるエピソードがアレンジされて取り込まれている。興味深いことに、太宰と小林の二人は老隠者と共にかつて実朝に仕えていたことになっており、彼らが実朝について書きのこしたテクストも作中世界の鎌倉時代には「名高い写本」として流布していたらしい。文体模写は『信長』や『黎明に叛くもの』ですでに実践済み、『信長』では明らかに澁澤龍彦がモデルのキャラクターが活躍するが、参考文献の著者がその文献ごと登場するのは初めてのことだ。宇月原はもともと史実も伝承も創作も等しく虚構世界の材料とする創作姿勢だったが、本作ではそれをさらに推し進め、メタレベルでの参考資料すらも作中世界に織り込んだ〈歴史〉叙述を志向していたのかもしれない。
太宰、小林、花田の著作と並んで宇月原自身が重要な参照元として挙げているのはタイトルからも明らかなように澁澤龍彦『高丘親王航海記』であるが、意外なほど本作はこの小説の落とす影が薄いのだ。安徳の天竺を目指す旅は高丘の旅路をなぞるものではないし(あちらは陸路、こちらは海路)、高丘本人も最終盤になるまで姿を見せない。宇月原は2007年の『ユリイカ』澁澤龍彦特集号に掲載されたインタビューで、「澁澤の幻想それ自体を目的としたどこまでも閉じられた幻想世界を未知の可能性に開きたかった(※1)」と語っていた。「未知の可能性」への道とは海だ。安徳天皇は壇之浦に沈み、実朝は唐舟を建造して大陸を目指した。クビライ時代の元もまた海の帝国だった。本作は疎外され国を離れた高丘親王ひとりの孤独な小宇宙が、海を通じて世代や国を超え、東アジアの滅びゆく王朝の最期を看取る一幅の叙事詩なのである。
『廃帝綺譚』
「北帰茫茫―元朝篇」、「南海彷徨―明初篇」、「禁城落陽―明末篇」、「大海絶歌―隠岐篇」の4編からなる続編。初出2007年(中央公論新社)、中公文庫版は2010年刊行。はじめの3編ではマルコ・ポーロが鄭文海に託した神器の一片と事の顛末を記録した『驚異の書』が中国王朝の興亡のなかで辿った行方と、〈奇跡の時代〉の終わりが描かれる。最後の一編は隠岐に流された後鳥羽院を主人公に、兄・安徳天皇の怨念を引き受けた実朝に応え、自らは高天原神話と天皇家の歴史から疎外されたもう一つの怨念を歌人として引き受けるまでの過程を描いている。
※1 「開かれた密室」、一六八-一六九頁。