読み切り短編
「猶太(じゅだ)にならいて」『小説新潮』2008年7月号、38-54頁
二人の養父から器量を見限られ関が原での露骨な裏切りにより恥辱にまみれた小早川秀秋が、ユダを救い主とするキリスト教異端派によって救われた経緯を語る一人称小説。異端派の教義は『信長』とは異なりボルヘス「ユダについての三つの解釈」がベースとなっている。
「足利義鳥の最期」『小説新潮』2010年7月号、46-72頁
三島由紀夫が創作した架空の25代将軍を主人公に、信長が織田家に生まれなかった中世日本を描く。両性具有性と近親相姦性を帯びた美しいきょうだい、剣と性の対称、余人に立ち入ることを許さない君主と謀叛人の友情など、宇月原戦国もののエッセンスを凝縮した一作。
「赫夜島(かぐやしま)」、新潮社ファンタジーセラー編集部編『Fantasy Seller』、新潮文庫、2011年、355-435頁
初出は『小説新潮』2010年11月号。藤原仲平の命を受けた平将門と藤原純友がかぐや姫の遺した不死の霊薬を探求するホラー風味の作品。かぐや姫に憑かれた者たちの妄執や狂信者たち、中国大陸を巻き込んだ権力闘争など、『かがやく月の宮』と共通するアイデアも多い。
「使徒」『小説新潮』2011年1月号、201-202頁
創刊八百号記念企画「八百字の宇宙」参加作品。かつては自身も弟子を率いる「主」でありながらイエスの弟子となった十二使徒の鬱屈を描いた掌編。『黎明に叛くもの』にも通じるテーマ。
「殺生石」『小説新潮』2011年7月号、136-168頁
玉藻前が変じた殺生石によって汚染され人々が呪い殺される禁足の地と化した東国に、思い人を求めて旅立つ某成平を描く一編。文明と繁栄をもたらした妖術が牙をむき、都から遠い地が切り捨てられる設定は、東日本大震災と福島原発事故を否応なく想起させる。
「鳴瀧の赫夜」『小説新潮』2011年9月号、129-164頁
「赫夜島」の15年後を描く続編。左大臣となった藤原仲平は〈鳴瀧屋敷〉と呼ばれる古屋に〈天慶のかぐや姫〉が住まうという噂を耳にする。無能無才で知られる仲平と病身の朱雀天皇、そして〈かぐや姫〉。疎外された者たちの共感と連帯が醸すあわれさと将門伝説の妖しさが強い印象を残す一編である。
「迷わし神」『新潮 Story Power2012』、2012年3月、291-356頁
山椒大夫に攫われた安寿姫と厨子王姉弟は『丹下左膳』に登場する魔剣・乾雲丸と坤竜丸の持ち主であり剣師であった……という設定に基づく娯楽剣劇小説。視点人物である〈迷わし神〉の語り口もあってコミカルな印象が強い。
「いわゆるゾンビですけど、なにか?」『小説新潮』2012年7月号、54-62頁
「人外語り手もの」というコンセプトを前作から継承し、ゾンビがゾンビの魅力を語る体の一人称小説。
「桜の森の満開の島」『小説新潮』2012年9月号、147-192頁
本州の南にかつて存在した架空の島国〈大東神龍国〉が滅亡する過程を、仏法を布教するために渡海した一行を中心に描く。高度な白珠(真珠)細工産業によって栄えた国が中国の大量生産技術に圧迫され最後は満開の桜と共に津波によって滅びるさまは露骨に戦後日本の投影だが、同じく震災をテーマにした「殺生石」と比べるとややセンチメンタリズムに流れすぎているきらいがある。
「風笑(かざえ)の居士」『小説新潮』2013年7月号、42-59頁
芥川「六の宮の姫君」をベースに、うだつの上がらない侍が孤独に死んだ姫君と遺された乳母に一方的に感情移入し恋慕する、中年男の悲哀を描いた作品。救いようのない展開だが、妄執の行き着く果てのラストは不思議に爽やかである。
「大盗袴垂の災難」『小説新潮』2014年8月号、104-118頁
藤原保昌を襲おうとして返り討ちに遭った袴垂が、盗賊としての名誉を挽回するため前摂政邸に押し込むことを決意する。邸宅の詳細を知るために芋粥好きで〈鼻赤殿〉と呼ばれる家人を誘拐しようとするのだが……。『宇治拾遺物語』の挿話と芥川の短編を繋ぎ合わせ膨らませた小説。
「空華灼灼(くうげしゃくしゃく)」『小説新潮』2015年7月号、88-116頁
『黎明に叛くもの』の斎藤道三も愛好していた唐代を代表する詩人・李賀の少年時代の冒険譚と若き日の空海との出会いを描く短編。『かがやく月の宮』の番外編であり、神器を通じて他の長編の世界との繋がりもほのめかされる。
「猫十夢(ねことゆめ)―もう一つの神楽坂」『小説新潮』2016年8月号、36-56頁
「特集・神楽坂怪談」に寄稿された短編。タイトルからも分かるように、漱石の連作小説『夢十夜』へのオマージュである。同号が「夏目漱石没後100年企画」でもあることを踏まえてのことだろう。
「バブルクンドへ」『小説新潮』2017年4月号、402-435頁
中島敦「山月記」に登場する李徴と袁傪の友人で、科挙に合格できず道士に弟子入りした男が主人公。道士としても夢を見せる技術を除いて大成できなかった男はシルクロードの都市・バブルクンドを目指す。〈臆病な自尊心と尊大な羞恥心〉が〈邯鄲の夢〉と混じりあい、寂寥感漂う一編。
「百鬼園の玄関番」『小説新潮』2017年8月号、8-30頁
百鬼園とは文筆家・内田百閒の別号。〈百鬼園先生〉のもとに住み込んだ書生が、玄関番として次々とこの世のものではない来客の相手をする幻想譚。なお宇月原は岡山県出身で、百閒とは同郷である。