【介護と認知症】愛されたい欲求が、介護疲れを招いていた。
こんにちは。
大髙ユキです。
ここんところの気づきをシェアしますね。
わたし自身が常日頃「肩の力が入ってる」と感じていたが、どうしていいのか分からなかった状況だった。根本的原因がわかったら、わたし自身がまた変わり始め、母もまたご機嫌良くなり、家族そのものが喜びで循環をはじめた。
わたし自身が「肩に力が入りすぎてたなぁ~。そりゃ~母もわたしに対して嫌な態度を取るわけだわ」と分かった。母もわたしもギスギスするし、わたし自身が精神的に疲れてしまう原因を自分自身で作り上げていた。その原因は、他の事にも影響を与え、自分自身のコンプレックスを育ててしまい、自分から不幸を作り上げていたことまで気づけた。
ここまで気づけたら、本当に楽になって、目の前にいる母の事もイライラが激減し、むっちゃ楽しくできるようになったし、また母も変わり始めた。
そもそもの原因である、なんで肩の力が入っていたのか?
過去の親との関係からきて、感情が揺さぶれてしまうからであった。これは介護あるあるである。どんな人でも親との関係で何かしらあるものである。それを大人になった今でも引きずっていて、見ないようにしていたのだが、親の介護を通して、親の発言で「あなたが言うわけ!!ふざけるな!」と言いたくなることが多々ある。それは過去で親との関係で悔しい思いをした事を思い出してしまっていたからだとわかっていた。分かっているだけでは、何も現実が変わらなかった。
根底にある原因がこれだとわかったら、
現実が変わりはじめた!
「愛されたかったのに、愛してくれなかった」
ベタすぎて書いてて恥ずかしい!!!だけど、わたしは一昨日その事実が今だに自分にあったことに気づいて、情けなくダサすぎて自分が嫌になったが、一晩寝てたら肩の力が抜けていたし、何が人生の足かせであるのかも自分でわかるようになった。
わたしが7歳頃に両親が離婚をし、母はわたしを7歳までしか育てていない。それ以降は祖父母に育てられた。だが母は毎月仕送りはしていたことを、大人になってから母が教えてくれた。その事実を知るまでは7歳の時に「捨てられた」と思い込んでいたし、愛されない存在だと信じこんでしまったのだ。7歳の時に親と住めないという環境が、愛されない自分であるという価値観を決定づけていたのだった。
だがわたしも母と似たような年齢で一度離婚をしたときに、母の気持ちがわかり、母が謎の行動をした理由も理解できた。それから捨てられた、愛されないというのは大きな勘違いだったとわかったが・・・・・。
なのに、なのに、7歳の頃の「捨てられた。わたしは愛されない」という思い込みを47歳の今2022年になってもあったとは・・・・。ダサイ!恥ずかしい!!!
以前からわたしの人生の足かせであるのだとわかっていたが、どうすることもできなかったのもあるし、足かせ外せたかも~~~と思っていた。
だけど他の事にも影響をしている事実にも気づき、突然パズルのピースが合い始めた。
パズルのピースがあいはじめたのは、アマゾンプライムビデオで「ホームステイ」という映画を見た。
それを見て、なんか自分と同じだなぁ~~と感じたのだ。愛されたい事に必死になってる。47歳になっても、わたしは愛されないと信じている価値観が根底にあるから、愛されたいと必死になって肩の力が入りすぎているんだと気づいてから、今という現実をちゃんと俯瞰して見るようにした。
わたしは母から「愛されている」という事実がある。事実があるのだが、心から信じれていない自分がいたことにに驚愕した。どんだけ被害者意識やねん!ってね。
愛されていないという自分の思い込みから、わたしが母を拒絶しているのだ。母に対して表面上で繕い、母に愛しているという偽善を自分で作り上げていた。それを母は感じ取っている。なぜならわたしの何気ない言葉の一つ一つにあるのだと、自分自身の言葉を観察し、自分自身の心の動きを見ていくと、露骨に見たくない自分自身の偽善さに気づいてウンザリした。すると夫に対しても、感謝がないなぁ~~~と分かった。やってくれて当たり前状態になっていたのだ。どんだけ傲慢やねん!!!と、自分のアホさ加減に腹が立った。
アホから抜け出し、自分の人生をより良くするために、「母からは愛されている」と心から信じることにしたら、過去に真意だと感じていた体験のパズルのピースが色々あいはじめ、理由とプロセスまでわかったから「心から愛されている」と信じられたのだ。
それを信じられるようになった状態で母に接すると奇跡が起きた。
昨日は夫の提案で、母とランチをしてから、母の春服を買いに行く事にした。母はデイサービスがない日は、食べて寝ることが癖ついてしまっているために、歩くことが目的で外でランチをすることにしたのだ。
その日の朝は、母はサラダだけを食べて体調がすぐれないと言って寝てしまった。ランチを食べに行くためにバスに乗るのだが、バス停に着くまでも、何度か立ち止まる母。朝はサラダしか食べてないから低血糖で倒れたらどうしょう!!と不安になり、母に「ブドウ糖食べる?」と聞いたら、「いらん!」と力強く断る。
ランチのお店に着くまで、母はしんどくて何もしゃべらない。おまけに不機嫌な顔である。でも「愛されている」と信じているんだと思い出すと、不機嫌な顔は頑張っている顔なんだと思えるようになった。
お店で料理を注文してからも、お料理が出るまで時間がかかる。食べるまで、母と会話がない。わたしが一方的に話しかけて、母が首を振って意思確認をする程度である。
会話がない・・・・辛い・・・・スマホでも見ようかな・・・・と、思ったが、その行為は母に対して失礼であり、スマホを見ることによって母の存在がいないのも当然になる。第一、今スマホを見た所で、暇つぶしなんだから後で何も残らない。母から愛されていると確信をしているんだから、逃げんじゃねぇ~よ~~自分!!!と喝を入れた。それは夫が家庭よりも外に向いているマインドだと、わたしと一緒にいるときは常にスマホでニュースやFacebookを見ていて、その時わたしは孤独を感じていたし、わたしに対して失礼な態度だと感じていた経験があるからである。なので疲れてぶっちょ面の母と一対一で真向かいで座っている状態でも、自分が肩の力を抜く意識を続けた。
そうしたらふと、わたしは愛されているんだから、母にはわたしの想いを伝えることにした。ここのお店を選んだ理由である。「洋食屋さんだけど、味噌を入れてて美味しいから、お母さんにどうしても食べてほしかった。わたしが大好きなお店だから、お母さんにもここのお店の味を味わってほしかったの」と素直に伝えた。すると母の空気が緩んだ。
お料理が来て食べたら、母は「美味しい」と喜んでくれた。
そして母は「わたしは幸せね」と言ってくれた。食べてからお洋服を買いに行き、休憩してカフェでお茶をしているときも、母とわたしは友人のようにおしゃべりをした。
眼科で「目のために帽子・日傘・サングラスをしてください」と入れていたので、サングラスも買った。母に似あうサングラスを掛けたら、貫禄がある母になって驚いた!母もこのサングラスは気に入ってくれている。
朝11:30から家を出て夕方5:30まで2人で外出をしたが、本当に楽しかった。
夫も、母の自宅介護を通して本当に変わった。
わたしもやっと本当に変われた。
「すでに愛されている」という価値観のもとで、家族と向き合えることができたのだ。母が認知症で糖尿病という病気があるから、それは個性してみなして、母そのものを見ていく事にしたからである。
母そのものを見ていく事ができたから、自分そのものを見ていく事ができたのだろう。それは母もそうであったように「愛されない」ということを信じた幼少期があり、その経験は悲しみから怒りへと変化し、それが現実の見方を変えていたのだ。母が意固地になっている姿を見た時に、今の自分が出ているのだとわかった。
すでに愛されているのに、愛されてないという価値観のもとで生きていくと、いろんなチャンスまで逃していく。だって本音の根底にあるのは「悲しみが怒りに変化している事実を隠している」から、無駄に頑張ろうとするのだ。それで肩の力が入りすぎて、無駄な事をばかりやって、精神的にも肉体的に疲れてしまう。
一時介護疲れになっていた。デイサービスやショートステイで一時的には解放されるが、また精神的に追いやられてしまい介護疲れになっていくというループから抜け出すことができないのか・・・と悩んでいた。それは介護以外でも、プライベートと仕事でも同じように負のループを自分自身で起こしていると薄々気づいていたからである。だから原因そのものが何かと分からないと、ダメかもしれないと内心は怯えていた。
だが原因そのものがわかると、母が訴えたい行動をわたし自身が素直に受け入れるようになり、母もわたしの言葉を理解してくれるかんじになった。すると仕事やプライベートでも、どのように進んでいけばいいのかもわかるようになり、肩の力を抜いて前に進める状態になれたのだ。
しかーし!
「愛されていると、信じればいいんですね」
というものではなーい!
テクニックで出来る事ではなく、自分自身に闇があると自覚し、自分が偽物の自分を作り上げている人格があり、背伸びをしている自分自身がダサイと気づく。これらすべて闇である!自分の正しいという価値観が不幸を招いている原因であり、人生の足かせを自分で作り上げているのだ。
それがどのような現実をいくつも生み出していることに気づくことで、「愛されているという現実はささやかであるが、すでに愛してくれていると実感できるので、心から安心して現実そのものを受け入れられる」ようになる。その時に自分が信じていた価値観そのものが変わるのだ。だから現実が変わるわけ。
これはお客さんにコンサルをやっている視点と思考と同じであるのだが、自分自身では気づきにくい。だが自分と同じコンサルがいないと悩んで10年は立つ。介護を通して、もっと悩んでいた。
闇を制すから、
自分自身の良さと可能性を活かすことができる。
そこには根底に愛しかないのだ。
わたしが7歳から求めていた愛をやっと手に入れ、愛で現実を活かすことができるようになり始めたばかりである。
これで自分と同じコンサルがいな~い!という悩みも解消された。やっぱり現実は楽しくハッピーに生きたいよね♪そして常に進化成長していき、関わるすべての人達と共にハッピーになれば言うことなし!人間は幸せに生きるために生まれてきたから。その能力はすでにあるからね。
自分で気づけるようになったのは、エンソフィックレイヒーリングを夫にやってもらったからだ。右脳と左脳をバランスを取ることをするで、現実を俯瞰でき、自分自身の感情も俯瞰できるようになる。だから深い闇を受け入れられる自分になるのだ。感情に流されるわけでもなく、理論だけで完結させるのではない。自分の闇のマネジメントをすることによって、感情と理論のバランスを保てるようになり、現実が俯瞰できるようになる。自分の足でしっかり立ち、自分の人生を存分に楽しんで生きていくために、切り開き方までわかるようになるのだ。
心の底から幸せが続き、それは目の前にあるのだと実感でき確信までできる在り方へとシフトできた。この心のありようが、介護には大切だし、人生そのものにも大切である。
もし夫にエンソフィックレイヒーリングをしてもらっていなかったら、どうなっていただろう。介護疲れで潰れていたかもしれない。自分がやりたい事だけに逃げていたかもしれない。ちゃんと立ち向かうけど、肩の力を抜いて、力の入れどころを見極めて介護も仕事も家事をしています。そして好きなこともね。それが母も夫も幸せになるから。人生は常に進化成長をしていくので、いつも新しいチャレンジが続く。それが進化成長なのです。だから問題は常に起きるけど、以前のように堂々巡りの悩みからは解放されている。
あなたが長年の悩みを抱えているなら、それは脳のバランスが悪くなっている事も原因の一つにあります。
本当に右脳と左脳のバランスは大切です。
右脳と左脳のバランスを整え、メンタルブロックであるエゴの闇を受け入れてから手放すことができる事で、現実を変えていく自分自身になれます。介護だと、ネガティブな感情で親と向き合っていた自分自身に気づき、どのような目的と意識・マインドをもって親と接したらいいのかもわかるようになります。すると、すべてが循環して心が落ち着き、以前のように活発に人生を生きられるようになれますよ。
わたしと同じように介護疲れで精神的に追いやれているなら、エンソフィックレイヒーリングをお勧めします。
●エンソフィックレイヒーリング 3回コース 4万円
お時間は1回60分です。
場所は八王子市内です。
お申込みされた方からメールで場所の詳細をお伝えします。
お申込み→https://ws.formzu.net/dist/S13085770/
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