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【瞑想】食息動想環と怒りと不甲斐なさ
朝、MAX瞑想をしていて気づいたことをメモとして。
食息動想環、これが美と善であり、自分の心と喜びが基盤となって創造していく生き方になっているから、テクノロジーをすべての平和のために駆使でき活かすことができる。
活かすの意味は、命を保たせること、という意味がある。駆使する意味は自由に使えることであるのだが、そこに命という心がなければ、善で使うことができないわけだ。だから本物の美もなく、一時で終わる金メッキのような美を本物と信じるが、心が荒み、また他に何かを追い求め、何かを埋めることをしはじめる。
食息動想環の基盤が自分の心と喜びに基づいた善と美であるから、世の中の善と美が人々の尊厳を活かしていくことがどのように作用されていき、それがどのような未来の現実を創造していくのかがわかるもの。
あとわたしの内側に怒りがあるのがわかった。
その怒りとは、本質が分かってない人達と関わるのが嫌なのだ。
教科書とおりに、人の言葉で話していることにすら気づいてない人達といるのが、マジで嫌でアホになる。なぜならヒエラルキーで物事を判断する在り方であり、それは奴隷の在り方でアートというものが感じられず、そういう人達はわたしにも強要してくる。というか、その環境の価値観で生きているから、勧めてきているだけなのだ。
わたしの才能を潰すな!と 。
だが、そういう人達に怒っているということは、わたしはわたし自身に、自分のスピリットが見せた未來を信じ抜く強さがなく、だから自分の喜びにも妥協しているから、アホに押されてしまっているのだと気づいた。
本当にやめよう。
不甲斐なさを感じていたが、自分の才能を自分で潰していたから、苛立ち怒っていたのだ。
平常心であることが、一番大切であり、怒りの根源を作り出していることの外側と自分自身に内側にある弱さから生まれた傲慢さに気づければ、怒りは解き放たれる。なぜなら本来の自分自身で生きていくことのほうが、現実をよりよく創造できるし、本質で生きていくから真意というのが感じられ気づけるようになれるからだ。
わたしは食息動想環を2011年から仕事を通して伝えてきた。もっと自分のために活かしていき、駆使できるようになってから、以前に使っていたワークシートを再び伝えてもいいんだろう。
活かすとは、命を保たせることだから、自分の心とつながり、そこには呼吸と動きと想いの変化に気づくようになれるために、食と環と想いをワークシートで心の本音と求めていた善と美が言語化していきながら、喜びが進化成長していくのだ。