【今朝の気づき】「アバンダンス」と「真の生きる」ということ。
アバンダンスには、美があり人の心を豊かにする。だからアバンダンスなのだろう。
アートは生きるだけなら必要がないが、人間の心を豊かに潤し、アイデアと想像を湧かしてくれる。
サピエンス全史には、原始人で生き残った種族には想像力があったからだと書いてあった。
今の時代には、心の豊かさがあるから、人にモノに自然に動物にも愛で育てることができ、育てながらも実は自分自身も育ててもらっている関係に気づく。
生き残るとアバンダンス。
そこには人の心の豊かさとアートの美が連動してはじめて、すべてが愛に包まれた循環できるから進化成長する仕組みができる。
そこには嘘がなく、裏表もない誠実さと純粋さしかない美しさがある。
偽物というか違和感がある人達は、見た目だけの豊かさがあり、目に見えるものさしでアバンダンスを判断する傾向がある。
ふとしたときに、雑さが目立ち、素養というものがないように感じられる。
それって純粋でも誠実でもなんでもない。ただ情報に踊らさせているだけであり、本質が見抜けないだけである。だから偉い人が言うことには従う特性があるのも納得できる1つである。もちろん悪い人ではない。だが違和感があるのは、自分にも同じことがあるから出会ったのだろうし、そういう所があるというメッセージなのだろう。
だが、わたしの好きと喜びの言葉は通じないので、違和感ある人達とは付き合うことはしないけど。
このことを小学生から昨年まで言われ続けたことなのか!と、いま書いてて気づいた。
「人を選びなさい」というわたしの人生の課題である。
ここんところ、なぜか暮らしの中で片付けや掃除が停滞気味になりやすくなっていた。
それはただ掃除する、片付けたらオッケーではなく、美しさと心が豊かになる暮らしとは愛が住む人達にあり、それが機能していることになるから、より愛という深さと広さに気づき、それを他にも応用できる生き方へとなるから仕組みの本質がわかるようになる人間へとなっていく。
停滞気味で良かったと実感した。
実感できたから、計画もたてることができ、本質を知る生き方と暮らしがより深く理解できるようになったかもしれない。実行して腹落ちするだろうと思う。
このblogを読んでくださっている方で、停滞気味になっているなら、あなたの中に違和感があるコトや人がいるなら、それあなたが違和感に同調していることになりますよ。
本当の自分で生きる、本音で生きる。
そこには嘘がない自分で生きていくことが、事業を通して社会が世界平和へとパラダイムシフトできることが見えてくるのです。
それも新しい観点で物事が見えてくるようになる。
停滞気味には意味がある。
世界情勢や社会問題、経済問題からもみると、その意味が深くわかるようになり、自分自身の本音が隠れていたことに気づけるようになりますよ。
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