村田沙耶香はハリウッドである
村田沙耶香の新作短編集「生命式」を読みました。
作家本人が縁もゆかりもない私なんぞに、容易く定義されることを快く思わないとは思いますが、ただ何冊も彼女の本を読んだ一ファンとして言わせてください。
これぞ、村田沙耶香である。
この「生命式」には、私が思う「村田沙耶香らしさ」のようなものが、きちんと輪郭をもってありありと描かれているように思うのです。
それは「誇張」する面白さです。
村田さんの作品は、一般企業の事務で勤めるOLや、クラスでも中の下ぐらいのカーストで過ごす女生徒、またはコンビニの店員など、誰もが目にしたことのある馴染みの深いキャラクターが描かれます。
しかし、何かがおかしい。読み進めていくうちに不穏な表現や描写がポツポツと現れるようになり、ある時ふと『フィクション』だと突きつけられます。
「コンビニ人間」も、最初は主人公も快活なコンビニ店員でしたが、徐々に十何年勤務していることや、同僚の口調をコピーしていることなどが明るみになり、気がつけば読者の誰もが「こいつヤバイ」と察するに至ります。
コンビニ人間の場合は「人の気持ちがわからない」というありきたりな人の生態を「誇張」しているわけです。
でも、ただ単に奇人変人を描いたり、マッドな世界を描いているのではありません。そこが村田沙耶香の面白いところ。
彼女は必ず「常識の隙」を突いてくれるのです。
たとえば「人口が減少していて怖い」を誇張すると「出産という行為がとても神格化される」となり、「お葬式で人を焼くだけじゃ勿体ないから、焼いて食べてSEXしよう」になり、しまいには「道端でSEXするのも当たり前、神秘的な行為になる」と。
ここまで誇張されるとようやく「なんで全員やること知ってるのに、SEXだけが秘事になっているんだ?」という村田さんの問いが見えてくるんです。
誇張することで、普段気に求めていなかった事象が際立って見え、違和感として認識し、自分の中に問がたつ。
それこそが、村田沙耶香を読む中で満たされる知的欲求であり、真骨頂なのです。
彼女が描いているものはまさに
「誇張しすぎたコンビニ店員」
「誇張しすぎた人工授精」
「誇張しすぎたお葬式」
ということです。
つまり、村田沙耶香はハリウッドザコシショウなのです。
でさーね。