【オナワザ】#6 さわらぬ胸に祟りなしされどさわる男そこにあり
おっぱいは正義だろうか。
なんともぶしつけな問いかけ、失礼しました。
ただ今日はこの問いに正面から向き合ってみたいのです。
こんな事を考えたきっかけは、先日ある男が放ったこんな一言です。
「おっぱいは正義だと思う」
何気ない会話の中、三十路の男から放たれることば。
スターバックスコーヒー新宿サザンテラス店はしんと凍りつきました。
彼の論理はこうです。
・おっぱいは誰もが好きだ、世界中に嫌いな人はいない
・絶対的に愛される存在「おっぱい」は正義以外の何者でもない
とても単純明快な論理。
なるほど、たしかに嫌いな人はいないかもしれませんね。
日本でも江戸時代の春画におっぱいが描かれ、西洋でもルネサンス以前から何かにつけて豊満なおっぱいが描かれています。
いつの時代もどこの人もおっぱいが好きということは明らかでしょう。
ですが、ここに大きな矛盾があります。
おっぱいは人間が二足歩行を始めた頃からあるのに、なぜ人間は戦争をやめないのか。
それはおっぱいが戦争を止められない何よりの証拠。
何ならおっぱいが戦争を引き起こしているのです。
ちょっと屁理屈が荒ぶってきました。
丁寧に説明するため、一度「おっぱい」というものの抽象度を上げて考えましょう。
おっぱいは、誰からも愛されます。
おっぱいは、皆が欲しがります。
おっぱいは、数に限りがあります。
おっぱいは、不特定多数の人で分け合うことが出来ません。
つまり、おっぱいはとても貴重な「資源」と捉えられます。
一種のレアメタルですね。
ではここで視点を変えてみます。
日本はなぜ太平洋戦争へ踏み切ったのでしょうか?
それは満州国という貴重な土地を巡ってアメリカと争い、その結果アメリカから食料など資源のルートを断たれてしまったためです。
つまり、有限なものを奪い合う過程で戦争を始めたと言えるでしょう。
もうお分かりですね。
おっぱいの様に誰もが欲しがる有限なものは争いを引き起こすのです。
おっぱいそのものは悪くないのかもしれません。
ですがその麗しいフォルムと質感に誘われた男は、やがて争いを始めてしまいます。
おっぱいがある限り、男がいる限り。
戦争は無くなりせん。
おっぱいに罪がなくとも。
という訳で、今日のことわざはこちらです。
さわらぬ胸に祟りなしされどさわるそこに男あり
【意味】
一見無害に見えるものであっても、それを取り巻く環境を有害にしてしまうということ。
【例文】
家庭が殺伐としているので犬を飼い始めたが、今度は犬の散歩を巡って喧嘩が多くなった。さわらぬ胸に祟りなしされどさわる男そこにありだ。