【オナワザ】#7 いらぬ親切単なるオナニー
「小さな親切大きなお世話」
どうもこのことわざは的を得ていません。
「小さな親切」とは、電車で席を譲ったり、横断歩道でおばあちゃんの手を繋いで歩いてあげることでしょう。
それらはすべからく「大きなお世話」になるでしょうか?
実際、自分が怪我をしている時に電車で席を譲ってもらえたら、とても嬉しくありませんか?
何なら「大きな親切」にも感じられるでしょう。
本当に厄介な親切は「小さな親切」ではありません。
「要らぬ親切」です。
例えばあなたが飲み会に遅れて参加するとします。
着いたら友人が「あ、レモンサワー頼んでおいたよ」と言ってきました。
本当にレモンサワーが飲みたかったら親切のままで終わっていたでしょう。
でもあなたが今晩車に乗る予定があったら?ひどい二日酔いだったら?
これは「大きな迷惑」ですね。
ですが、果たしてそれだけなのでしょうか、単なる迷惑で済ませて良いのでしょうか?
「大きなお世話」という概念は親切の受け手視点だけで考えたものです。
「要らぬ親切」にはもっと根深い問題が潜んでいます。
それは親切する側のエゴに関する問題です。
親切をする人は少なからず「俺ええやつやろ?」という名声の獲得をたくらんでいます。
これは何も悪いことではありません。余裕ある時であれば小さな親切ぐらいどうってことありませんから、少し人に親切をして感謝されたいと思う気持ちは自然です。
公園でパンを食べてたらちょっと量が多かったな。
だったら欲しそうにしているハトにでもやるか。
それぐらいのことです。
しかし、問題はここから発展するとシビアになってきます。
この「親切にしたい」という欲望が大きくなり、味をしめてしまった人は「親切暴走」を始めます。
段々と必要以上に親切を装い、どんどんと恩着せがましくなり、最終的には恩の十二単(じゅうにひとえ)を着せてくるのです。
そして十二単にもなると、もはや不要な親切しかありません。
みなさん十二単なんてそうそう着たいと思わないでしょう?寒さをしのぐならコートかダウンで十分です。
そうなると構図としては「親切したい人」と「不要な親切に付き合わされる人」の構図です。
これは男女の営みに当てはめると分かりやすくなります。
男=親切する側
女=親切される側
と捉えてください。
男は相手がよろこぶと思って、一生懸命に行為に励みます。
ところが女は全くそんな気分ではありません。ただ何もしないと相手を悲しませてしまうので、彼の求める反応を演じ続けるのです。
これはセックスでしょうか?
いえ、これは男の、男による、男のためのセックス。
つまり、オナニーでしかありません。
しかも本人はセックスのつもりで興じているのですからまったく滑稽です。
本当のセックス(親切)がしたいのであれば、相手の望む時に、望む形で提供すべきです。
あなたが親切しようとする時、相手はそれを望んでいるのでしょうか。一考の余地はありそうです。
というわけで、今日のことわざはこちら。
いらぬ親切単なるオナニー
【意味】
必要ない親切はただ親切したい人のエゴであり、その人が一番楽しんで終わってしまうということ。
【例文】
いや転職先のこととか自分で考えますから、経験談とかアドバイスとか要らないです。先輩、いらぬ親切単なるオナニーですよ。