「逝き方」なんてどうでもいい。
みうらじゅん氏の著書には学びが多い。
大凡、義務教育では学び得ない知識の宝庫です。
義務教育に無いからといって「無駄」と決めつけるのは時期尚早と言うもの。名作「スラムドッグ・ミリオネア」でも描かれているように、役立つ知識や知恵は身近な実生活や、思いがけない出会いによって得られる場合が殆どです。
あなたも学校の先生から学んだ事より、サザンやミスチルから学んだ事の方が何倍も多いのではないでしょうか。
私の場合はみうらじゅん氏です。
先日発売された「ラブノーマル白書」を早速読んでいると、その中で「ブラッシー」という外国人レスラーの話が出てきました。
このレスラーは過激な反則行為が有名で、相手レスラーに噛み付いては血だるまにするような野蛮レスラーだそう。
そして、彼の試合を見た老人がショック死する事件があったんだとか。
調べてみると、実際にそんな記事がありました。
記事によると老人が2名もお亡くなりになられたんだとか。テレビ中継で。
とんでもない事件ですが、ラブノーマル白書を読まなければ一生知らなかったかもしれません。「有田と週刊プロレスと」でもまだやってないはずですから。
この話を聞いて、私は考えました。
「この死に方は悲劇なのだろうか?」と。
よく、自宅で家族に看取られて死ぬのは良い、病院で1人寂しく死ぬのは悪い、不慮の事故はもっと悪い、そんな風に捉えられていることが多いかと思います。そう考えると、テレビ中継でショック死なんて不慮の事故もいいところでしょう。
でも、死んだら全部同じじゃないか?
とも思うのです。
「イク(逝く)」つながりでSEXに置き換えてみましょう。
接合してイこうが、お口でイこうが、パイズリでイこうが。
美人でイこうが、ババアでイこうが、二次元でイこうが。
得られる快楽は変わらないと思います。
もちろん、フィニッシュまでの快感はそれぞれ違います。
でもそれは人生で言うなら「生き方」の話であって、ブラッシーの件で問題なのは「逝き方」の方です。
もし「お口だけでイクなんて恥ずかしい…」と考えるなら。
それはその後のピロートークや、後日会った時の関係性を考慮してのことでしょう。
ですが、死後にピロートークは存在しません。
一方的に弔辞を読まれるのみです。
「ショック死なら避けられたかもしれないじゃないか」
なんて意見もあるかもしれません。
でも、考えてみれば病気だって、老衰だって、どこかで頑張っていれば、何かが違っていれば、あの時階段から落ちた経験がなければ、あの時炊飯器で火傷してなければ…と考え始めると何だって悔やむポイントはあるのです。
ブラッシーを見てショック死した方も同じ。
避けられる可能性はあったが、避けられなかったのです。
そんなことを考えていると。
「逝き方」は何でも仕方ないな、と思えます。
それもこれも、ブラッシーを教えてくれた貴方がいたから。
貴方に出会えたから。
ありがとう。
みうらじゅん。