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「セルフ人体実験」こそが人間が成長する唯一解だ。
今日は1つ大きなことに気が付いた。
それは「セルフ人体実験」という概念である。
具体例を用いて説明しよう。
最近特に多い仕事がある。
それは「クライアント様への提案資料作成」だ。
今日もとある案件の提案資料を作っていた。
なおかつそれだけで4時間もの工数を消費してしまった。しかも初稿。
「企画書が初めてなのか?」
と問われると、そうでは無い。
前職でも企画書は幾度となく作ってきたし、パワーポイントはかなり得意な方だと自負している。
竹内結子が結婚する前に書いた「どうしたら竹内結子と結婚できるか」を論理的に解明した記事を参考に見てもらいたい。無駄に綺麗なパワポがたくさん出てくる。
では、なぜそんなにも時間がかかってしまうのか?
それは「構成」の問題だ。
前職での企画書は論理展開の整合性が最重要視されていた。
しかし、人間では「面白く見えるか」が最重要事項であるように感じる。
そのために、先週作った別案件の企画書は山根さんを1時間近くも困惑させてしまうという、奴隷としてあるまじき失態を犯してしまった。
あんなにライティング能力の高い山根さんに終始「うーん、なんて言ったらいいかなあ」と困惑させてしまうのは、恐らく論理の話ではなく、培ってきたセンスや文化の問題なのだと思う。
簡単に言えば「今までのやり方が通用しなくなっている」ということだ。
まあ、転職したのだから当然のことかもしれない。
ミズゴロウをヌマクローに育てたとて、でんきタイプのシンオウジムには役立たないということだ。(分かりやすぅ)
ただ、そもそもを考えてみれば、何か物事を判断するときの「正しい」とか「良い」とかは普遍的では無いと思う。いつだって価値基準は揺らぎ続ける。
そうなった時、私たちは何から学べばいいのだろうか?
山根さんの指導が100%正しいとは限らないし、花岡さんの指導も100%では無いかもしれない。
最終的な判断軸は自分の中にしかない。
(ここ重要)
つまり、自分がやってみて「これ良い!」と感じるかどうかが全てなのであり、「人が評価してくれるから」では無いのだ。
つまり、常に自分で人体実験する必要がある。
これが掲題の「セルフ人体実験」だ。
誰かが「全裸監督が面白いで!」「全裸監督が流行ってるで!」と捲し立てたとて、究極言ってしまえば関係ない。どこまでいっても「参考程度」でしかない。
最終判断は自分にある。
誰かがとやかく言うことではない。
奴隷をすることもそうだ。
「奴隷なんてやめときなよ、バカじゃない?」
「それってただの社畜だって」
「いいように使われてるだけ」
るっせ!!!
俺はセルフ人体実験をした結果断言する。
「奴隷は天職だ」と。
そんな境地にたどり着き、今日も幸せなハードワーキングスペースを後にするのだった。
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