僕はこういう人間だ。③
僕はこういう人間だ②の振り返り
無事千種高校に受かった僕、上田光太郎。しかしその後、様々な出来事に遭い苦悩することになる。そして高校三年生の秋まで部活を続けることを決めた僕はどうなっていくのか。
高校三年生後半戦、僕史上一番頑張った時期だと思う。
とりあえず、部活に残ることを決めた僕はその旨を先生に伝えに行った。放課中に先生が体育館にいるところに声をかけた。
「あの、先生!僕ウインター予選まで部活に残ることに決めました!」
それを聞いた先生は
「覚悟を決めたか。」
と呟いて少しニヤリと笑っていた。なんだかそれだけで嬉しかった。僕はちょろい。
部活に残ったことで迷惑をかけた人もたくさんいた。
まず、学校祭の演劇では僕はメインキャストをやっていたので、部活で稽古に参加できないとなると、すごく支障が出る。303の皆さん、迷惑かけて本当にごめんなさい。
あと親にもそれなりに迷惑をかけることになった。県外の試合会場に連れてってくれたり、練習着を洗濯するのが長引いたわけであるからだ。まあ父親に関しては、残ったことにうれしそうにしていたからまあいいか。
そんなこんなで、勉強と部活と学校祭の三足のわらじを履き潰した僕であったが、最初はなかなかうまくいかなかった。特に学校祭。
僕の役はメインキャストだったのでセリフも多く、ほとんどの場面で出演していた。だが僕は演技へのめり込めず、セリフも棒読み。端的に言うと、足手まといだった。単純に学際に対する思いがクラスのみんなと比べて弱かったんだと思う。
そしてついに夏休み前の最後の練習で、クラス演劇の幹部の子たちに、オブラートに包まれながらも、もっとちゃんとやってくれ、的なことを言わせてしまった。
僕は馬鹿だったので、その時は、いや、なんで俺頑張っているのにこんなこと言われなかんのや、とおもっていた。だが、あとで冷静になって考えてみた。
こんな中途半端なやつ(僕)のせいで全力を注いだクラス演劇を台無しにされるなんて悔しすぎるやろ。
僕は反省して、去年優勝したクラスの主役だった先輩に連絡をとって、どうしたらいいか聞いてみて、努力することにしたのである。それからはクラスのみんなと一緒にグランプリを取るために一生懸命稽古に励んだ。
部活に関しては、一ヶ月ほどブランクがあったのでそれを取り戻すのにわりと時間がかかったが、楽しんでいた。というよりも、自分自身で部活を楽しもうとしていた。それは、自分にとってどんな精神状況が一番実力が発揮できるのか知りたかったから。インターハイ予選までは極限まで自分の精神を追い込んで、とにかく自分に厳しく戦ってきた。僕はそれ以外にも自分の実力を十分に発揮できる方法があるんじゃないかと思ったのだ。ウインターカップ予選での目標は桜丘にリベンジすること。僕は自分が楽しんでプレーすることで勝つことを目指した。
僕は根は真面目なので、勉強に関しては空き時間をしっかり使ってできていた。今では考えられないくらい真面目に勉強していた。そんなストイックな姿勢を取り戻したい。第一志望は名古屋大学情報学部。名大で唯一数学がいらない学部を選んだのは秘密。
ではそれぞれの結果を発表する。
学祭は、準グランプリ。
部活は名古屋大谷に負けて県ベスト8。
大学受験は第二志望校に合格。
簡潔にいうと、全て中途半端な結果に終わった。
まあーー悔しかった。全部悔しい思いで締め括った。死ぬほど泣いた。
部活を続けなかったら名大受かったんじゃないかとか、学祭でもう少しサボったら部活で勝てたんじゃないかとか言われた。
だが、自分自身はそんなことは全く思わなかった。
全部やったからもう一歩というところまでたどり着くことができたのだ。
これに関しては、全部全力でやった僕だから言えることだと思う。見える世界だと思う。
まあ部活に関しては、何が正解だったのかよくわからないままだった。
しかし、いろんなことを学べたし、何よりも楽しんで終わることができたのは僕にとって有終の美を飾れたのではないかと思う。少なくとも、小学校の時の有終の美とは違った。悔しいけど、悔いはない。それだけで十分だった。
そんな感じで、結果としては全然誇れるものでもないが、自分としては満足している高校三年生だった。
大学一年。清々しいほどに大学生らしい大学生だった。
高校三年のストイックな僕からは全く想像できないほど、大学生だった。
入学当初は、大学受験で第一志望に受からなかった悔しさを糧に資格の勉強とか頑張ろうと思っていた。
しかし高校生活で部活しかしてこなかった僕にとって大学生活は楽しすぎたのだ。もちろん資格の勉強なんてしてない。
授業には最低限にしか出席しない、朝までスマブラ、とりあえず茶髪、バイトでためたお金は全て遊ぶことに費やした。高3の時と比べて落差がすごいが、僕的にそれに関してはあまり後悔していない。経験できてよかったと思う。ただもうちょっと真面目に生きてみてもよかったのかなと思う。何にしても見通しを立ててやることが全くできていなかった。(それは今もだけど。)
高校の時から、常に金欠で後輩にお金を借りるほどお金にだらしない僕だったのだが、大学でついにその素質が覚醒した。
借金がないときの方が少ないほど、借金をした。LINEの友達の誰か一人の一言に必ず僕の名前と借金した金額が書かれていた。銀行の預金残高に5万円以上お金があるときの方が珍しいくらいの惨状だった。
この話をするとみんなにドン引きされるわけであるが、なんとこれ現在進行形なのである。もう死んだ方がいい。
将来はお金には困らないくらい稼ぎたいと心の底から思った。あと早く結婚してお金の管理をお嫁さんにしてもらいたいと思った。
そんな感じで、大学生活一年目は特に面白い話もないまま終わった。
強いていうなら、夏頃にガッツリ恋に落ちてバッチリフラれたというのがあるが、まだちょっと話すには時効が来ていないと思うのでまたの機会にする。
このまま大学2年もなんとなく過ごすのかなあ、と思っていた時にとんでもない事件が起きた。
新型コロナウイルスの流行である。
突然オンライン授業になり、学校に行かなくてよくなった。
その状況に何も危機感を感じていなかった僕は、不謹慎にも結構喜んでいた。
「いえーーい!ずっとお家でゲームできるぜ!!漫画読めるぜ!!」
そう思っていたのは束の間。
緊急事態宣言が発出されて一週間程度、終わりが見えない自粛生活に対して軽く病んでしまったのだ。
僕はなんのために生きているんだろう、大真面目にそんなことまで考えてしまうほど、精神をまいってしまったのである。
激烈メンタル弱男のお通りだ。
まあそれを機に自分の今までのこと、これからのことについて考えていくようになったから結果オーライである。
高3の時のやれることを全力でやってきた僕と、今の昼に起きて漫画読んでゲームして寝る僕。どっちがかっこいいのか言うまでもないだろう。
とりあえずこのままではダメだと思った僕は、緊急事態宣言が明けた後、いろんな社会人とお話をした。
特に何かがしたいからこう言うアドバイスをくれって言うわけでもなく、ただなんか教えてくれみたいな超アバウトな質問ばかりしてた。非常に困ったとは思うが、みんないい人だったので親身になって答えてくれた。
いろんな方面ですごい人に話を聞いたわけだが、その中で全員に共通することがあった。
それは、超絶スピードで行動してると言うこと。
シェアハウスを運営してみたり、大学休学して起業してみたり、世界一周してみたり。
みんながしたくても躊躇してしまうような挑戦に、強く一歩を踏み出せた人ばかりだった。
会ってきた人はかなり偏りはあるから、もっといろんなジャンルの人を見ていく必要はあるとは思うけども、自分はやりたいことに一歩踏み出す生き方にはすごく魅力を感じた。
と言うことで自分が何がしたいのかと言うことから考え出した。
まずマイナビとかでいろんな業界の説明を読んだり、22卒のサマーインターンにいくつか参加した。みんな3年生の中に、1人だけ2年生が混ざっているので、グループの皆さんには、こいつめっちゃ意識高いやんって思われてたと思う。正直恥ずかしかった。
いろんな業界を見ていった訳だが、正直何が僕にとって正解なのかよくわからなかった。自信を持ってこれがしたい!、逆にこんなことを学生時代にしてきました!というのが、自分には全くなかったことに気付かされた。
何もない俺。かっっっっっっっっこ悪いなああ。。。
そんなふうに思ってしまったので、なんとなく、頑張れるものを探してみた。やはりそういうふうに自分のキャリアを充実化させたい大学生というのはたくさんいるようで、そんな人向けのネットワークビジネス、悪く言えば、マルチ商法が蔓延っていることも知った。(とはいえ、ビジネスの形も多様化している時代なので、何が正解で何がダメなのか、線引きというのは難しいなあとも思う。)
幸い僕はそのようなビジネスに引っかかることはなかった。知り合いにめっちゃたくさん引っかかっている人がいたから。彼らの犠牲は無駄にしない。
その過程で、何か自分のなかでこれだ!というものを見つけ出し、実際にそれに打ち込む一年にしたいということで大学を一年休学することを決意した。プログラミングの勉強するから休学とか、資格の勉強をするから休学とかなら理解できるが、何もやることが決まっていないのに、休学とかマジで馬鹿なんじゃないかと思われたと思う。実際に心配の声もあった。
でも休学前半戦を終えた僕の感想としては本当にやってよかったという気持ちしかない。後半戦、もっと高速でいろいろ挑戦してみたい。
そして結局僕が選んでみたのは、「母親の実家の和菓子屋のオンラインショップの開設」である。僕の今までの投稿を見ていただければわかると思うが、それなりに努力してウェブサイトを作り上げた。下記参照。
最初は自分の経験のためというのが大きかったが、どんど打ち合わせや開発を続けていくうちに、和菓子屋への、さらにはそれを取り巻く地域への愛着が生まれてきた。
最終的には自分のためというのはどこかに去っていて、単純に恩返しをしたいという気持ちだけになった。
無事完成して、Instagramの運営とかもしてみたりした結果、それなりにオンラインショップの商品は売れた。その地域に住んでいるわけでもない僕がInstagramの運営を続けることにも限界があったし、お店との情報共有も難しいので、今はわりとストップしている。あ、だけどショップのシステム自体は継続しているので、是非購入してくださいね。マジでおいしいんで。
というわけで、和菓子屋のオンラインショップの運営がストップしてきたあたりに、僕が次に目をつけたのは、これだ。
和菓子屋がある地域、豊田市旭地区の地方創生である。
なんで目をつけたのか。
まずは、先ほども言及したが、オンラインショップの作成のために旭地区を何度か訪問させていただいているうちに、この地域に対して愛着が湧いてきたことにある。
愛着が湧いたというか、子供の時の原風景を思い出したというのか。とにかく、なにか貢献したいという気持ちが湧き出てきたのである。こういうときにすぐ行動できるのが僕のいいところなんだと思う。
他には、単純に旭地区にくる人の数が増えれば、松栄軒の商品を買ってくれる人は増えるだろうという超短絡的な発想である。
当時の僕には、「地方創生=観光地化」という考えしかなかったので、旭地区を観光地にする気満々だった。それからどんどん現実を知っていくわけであるが。
まだ何も許可をもらっていないのに、とりあえず僕は団体としてメンバーを集めた。というか集めてもらった。僕の仲の良い奴がいろんな人脈を使って才能を集めてくれたのだ。マジで、僕が勝手に言っているだけの状態なのに、五人メンバーがいるという歪な状態が出来上がっていた。
というわけで旭地区側に許可をえようと思った僕は、旭観光協会に突然長文メールを送った。
母親の実家が旭の上田光太郎です。
地域貢献に手伝わせてください!
みたいなことを長文で送ったわけであるが、いくら母親が旭出身とはいえ、知らんやつからこんなメールきたら恐怖である。僕なら絶対無視する。
だけど、観光協会さんは非常に寛容だった。わざわざ電話をくださり、直接お話をしてくれた。それから観光協会さんとの関わりが始まっていくことになり、独自のインスタグラムでの地域のPRや、地域のイベントのお手伝いなどの形で活動を始めた。
それらの活動をする中で、旭で活躍する様々な人と交流することもできた。どうやら旭地区は現在移住者が増えてきているらしく、彼らによって地域活性化もされ始めているようだった。その筆頭のような方に本当にたまたま会えたことで僕らの活動は加速化していった。
そんなこんなで今はイベントのお手伝いや、インスタグラムの運営のほか、自分たちでイベントの企画や提案なども行っている。今後は稼ぎになるようなシステムも構築していきたいなとも思う。
幸いにも地域の方の応援もしていただき、よそ者であるのにだいぶ名前を覚えてもらった。この活動は、地域の方の暖かさに支えられている部分が非常に大きい。
実はこの僕、このプロジェクトを進める前は地方創生とかマジで興味なかった。まちづくりを生きがいにしている人の気持ちが本当によくわからなかったのである。それよりも東京のIT企業でキラキラエブリデイみたいのがしたいと思っていた。
けれど、この活動をしていくうちに、地域への愛着が強くなっていくのはもちろんであるが、活動の内容にもすごく面白さを感じるようになっていった。率直の感想としては、
「なんでもできるじゃん。」
なんでもかんでも自分の先入観でなんとなく決めてしまうことは本当にもったいない。だから僕は何でもかんでも挑戦してみてその先の景色を見てみたい。
というわけで僕は現在、旭地区の地方創生に全力でコミットしているわけである。ここでは省略したが、他にもいろんなことに挑戦しようとしてやめたことはたくさんある。例えば、企業インタビュー記事だったり、英語の勉強だったり、簿記の勉強だったり。
会うたびにやることが変わっている僕に、上田らしいな、と笑ってくれる友達には本当に感謝したい。けど、この地方創生は三日坊主では絶対に終わらせない。終わらせるには本当にもったいないほど、大きな学びの機会だ。
振り返ると、自分の人生はわりと波乱万丈ではあるが、意外と真っ当に生きているんだなあとも思う。
そのときやれる努力を全力でやってきたんじゃないか。だからこそ、これからもやれることに全力で取り組むというのは、継続して行きたいなと思う。
だから現状の自分にはまだ満足していない。もっと自分は成長できる。もっとメンバーに楽しませることができる。もっと旭の皆さんを笑顔にすることができる。
……
皆さん、こんな長ったらしい文章を読んでくれてどうもありがとう。これで大体の僕の今までの人生はわかったとは思う。でも実際思うのは、今のこの瞬間が一番自分が成長できているということ。最近めっちゃnote書くのをサボっていたけど、その成長の過程を残していくことは非常に重要なんだなと再実感した。不定期にはなってしまうが、ちょくちょく更新していくのでどうぞよろしく。
また、この記事を書くのにはすごい体力を使ったので、最後の方は特にまとまりのない文章になってしまったような気がする。今後時間があれば、加筆修正を加えたいと思うし、「僕はこういう人間だ④」も更新するかもしれないので、どうぞお楽しみに。多分やらないけど。
ではまた。
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