「正気」のこと

(日記のようなものです。気が変わったら消すかも。)

昨夜からずっと正気のことを考えてた。

自分はどちらかと言えば

「あれにそういう意味があり
 ひいてはこういう意図があり」

折坂悠太「正気」より

みたいなことを言う側。もちろん大概はそれが間違ってるとも思えず、説明しようとしてもまともに聞いてすらもらえないことの空しさと疎外感をどうにもできないまま生活している。そして相手のことを、真剣でない、誠実でないとまで考えてしまう。

ただ、自分の話を聞いてもらえないことの一因は自分にもあるのかもしれない、そんな風に考えることもあって。例えば

戦争しないです

折坂悠太「正気」より

と口にしたことはあるか?

意見の違いはいい。ただ目指すところとか遠い目標とか夢とか、少なくともその点はあなたと同じなのだと伝えようとしたか?(そして、以前に書いた小さなYESを相手はまず聞きたいんじゃないか?)正気はそんな自戒のきっかけになった。自分は今、まだここ。

とは言え、その先でさっきの空しさと疎外感がどうにかなるとは限らない。ずっと前から「戦争しないです」と大きな声で叫んでいたとしてもなかなか伝わらないよね。(えっ、この流れ、平成のさびしさに戻るじゃん。お願い、誰かひっくり返して。)でも、だからこそ歌うのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?