左で打つということ
この間、バッティングセンターに行った。
前々から行きたいと思っていて、時間があったので行った。
いわゆる普通のバッティングセンターに行った。
僕は昔から野球が好きで、小学校の頃は野球チームには入っていなかったものの、放課後には毎日グラウンドで野球をしていた。
毎日バットとグローブを持って、前日の大雨でグラウンドが水浸しであろうが関係なしに野球をしていた。
あの頃は、今のように歪んだ感性を持っておらず、ただ純粋に白球を追い求める日々だった。
そんな僕は右投げ左打ちなのである。
野球を全く知らない人のために言うと、本来は右利きの人は右投げ右打ち、左利きの人は左投げ左打ちなのである。
だが、プロ野球などのように高いレベルになると、右投げ左打ちという人が結構いる。
理由としては、野球は左打ちの方が1塁ベースまでの距離が近いために有利なのである。
他にも、右投げ投手が多く、左打ちの人は球の出所が右打ちの人よりも見えやすいなど色々有利な点が多くあるらしい。
ゆえに、右利きで右投げでも左で打とうとする人がいる。
となれば、なぜ僕は野球部にも、クラブチームにも入ったことが一切無いド素人にもかかわらず、右投げ左打ちなのか。
それは僕の父の影響である。
僕の父は学生時代ずっと野球をしていたらしい。
今ではそんな面影は一切なく、学生時代は科学部に在籍していたような外観を呈しているごく普通の一般的なサラリーマンである。
家庭を支える父としての威厳を保つために、僕には偽りの過去を話しているだけかもしれないが、本人曰くがっつり野球をしていたらしい。
そんな父は右投げ右打ちで長年野球をしてきて、左打ちの有利さを痛感していたからなのか、息子の僕には左打ちで教えたのである。
なので、僕は物心ついた頃には、左打ちしか知らなかった。
小学校の頃、元は右打ちなのに左打ちの憧れからか「いや、俺左でも打てるから。」と言って、自称左打ちを掲げる少年も何人か見てきたが、彼らとは異なり僕は左での打ち方しか知らない生粋の左打ちである。
とはいえ、残念ながら僕は小学生以降、野球をすることはなかった。
となれば、その先に待つは左打ちの呪縛である。
バッティングセンターでは、左打ちの打席数が極端に少なくなるのである。
1つのバッティングセンターでそれぞれスピードの異なる打席が10個あるとすれば、左でも打てる打席はせいぜい2~3個である。
しかも、その2~3個でも左打席専門のものはなく、右左どちらでも使えるものである。
これはがっつり野球をしている左打ちの人達も同じ苦労をしているだろうが、彼らは実際に野球をする際に1塁にも近いし、右投手の球筋も見やすいので、十分な利益を享受している。
また、生粋の左利きの人も左打ちの同じ苦労を抱き、さらには日常生活で多くの不便を感じているかもしれないが、彼ら・彼女らは左利きということで、”圧倒的な天才感”を周りに示唆することができるので、これまた十分な利益と言えるだろう。
右投げ左打ちのド素人で右利きの僕はそういった得することは一切なく、損ばかりしているのである。
さらに、この呪縛はバッティングセンターだけではない。
ゴルフにも大きく影響する。
野球とは異なり、ゴルフにおいてはさらに左打ち人口が少なくなる。
ゴルフにおいて左打ちは圧倒的に不利らしく、左利きの人でさえ右打ちに矯正するらしいのである。
あの世界的プロゴルファーのタイガーウッズでさえ実は左利きらしい。
細かい技術的なものはよく分からないが、ゴルフにおいて左打ちは素人においても圧倒的に不利となる。
まず、道具面である。
野球のバットは両打兼用のものだが、ゴルフのクラブははっきり右打ち左打ちに分かれる。
ほとんどの人が右打ちなので、左打ちの商品は非常に数が少ないらしい。
ゆえに、需要が少なく、セールや中古品が出回ることはほとんどないらしい。
よく「ゴルフ始めてんけど、とりあえず最初はお父さんの道具もらってん。」という話がよくあるのだが、如何せんうちの父は右投げ右打ちである。
ゆえに、うちには右打ち用のゴルフクラブしか無い。
それだけではない。
環境面である。
ゴルフの練習場所といえば、打ちっぱなしである。
左打席というのは、たいていフロアの両端に設置されている。
打ちっぱなしではずらりと打席が並べられているが、そこで左打ちとなると体の向きが正反対になり、左隣の人と向かい合わせに立つことになる。
フロアの左端がいっぱいで右端で打つとなると、自分だけそれより左にいる人達全員と向かい合わせになってしまうのである。
つまり、大勢いる中で、1人だけ対面型で打つことになるのである。
ゆえに、圧倒的な”異端者感”を抱かざるを得ないのである。
「なんだ、そんなことか。」と思う人もいるかもしれないが、あれは立ったものにしか分からない強烈な違和感なのである。
下手なショットを打とうものなら、一瞬にして目が合ってしまう可能性があるというプレッシャーと戦わなければならないのである。
この”赤面不可避ゴルフ”を味なければならないというのは、左打ちならではのものである。
このような不利益を被らないように、プロ野球選手でも左打ちの人は右打ちに矯正してゴルフをすることがほとんどらしい。
中には、「せやったら、貴様もゴルフから右打ちに直せばええやないか。」と非情な言葉を投げかけてくる輩もいるだろう。
しかし、僕は彼らのように運動センスがあるわけではないので、今さら右打ちに矯正するなんて器用な真似はできないのである。
これが、右利き左打ちの定めなのである。
僕はこの先も左打ちとして戦い続けなければならない運命(さだめ)なのである。
父としては、良かれと思ってしたことなのだろうが、おかげで息子は左打の呪縛にかかってしまった。
純粋無垢な少年に左打ちを教えたばかりに、バッティングセンターでは居場所を失い、打ちっぱなし場では赤面し続け、挙句の果てにエッセイにて愚痴を綴るという大事にまで発展してしまった。
せめて。
せめて、父よ。
左打ちのゴルフクラブを買ってはくれまいか。
水瀬