甘美な人生
昔から色んな人に言われてきたのだが、僕は極端な性格である。
ONとOFFが激しい性格である。
中途半端というのが苦手である。
”半分こ”というのが苦手なのである。
”半分こ”と言えば、『付き合ったら彼氏としたいことランキング』にて毎年第一位の「性交渉」に次いで第二位にランクインする行為である。
そんな大人気コンテンツと言える”半分こ”であるが、僕は苦手なのだ。
例えば、こんなシチュエーションがあったとする。
ケーキ屋さんで彼女と一緒にホールケーキではない、1ピースずつ売られているケーキを選んでいるとする。
ショーケースの中にはそれぞれ魅力的な種々のケーキが並んでいる。
ケーキ界の大御所”赤い彗星”の異名を持つショートケーキ、”色彩のファンタジスタ”と評されるフルーツタルト、”ハッピーナイトメア”の二つ名を持つガトーショコラ、”ホワイト協奏曲”ことミルクレープなど。
とても1つには絞り切れないといったそんな状況にみんな出くわしたことがあるだろう。
ショーケースの前で床に膝をつき、頭を抱えてうなだれる僕を見て、彼女はこう言う。
「ねぇ、”半分こ”しない?」
僕はあまりの驚きに、二階堂ふみによく似た彼女の美しい顔をまじまじと見る。
もちろん、2種類の味を楽しみたいという気持ちは十分理解できる。
また、交際相手と1つのケーキを分け合うことで、この先の人生を2人で歩んでいく“運命共同体“になるという疑似体験をしたい気持ちも理解できる。
しかし、個人的にはケーキ屋さんのショーケース前で1つに決断できないという自分が許せないのである。
ここで、妥協をすることなど簡単である。
しかし、ケーキの1つも決められないそんな男の一世一代のプロポーズを信じてもらえるのだろうか。
夜景の綺麗なレストランでいくら想いを伝えたところで、「いや、ケーキも決められない貴様が1人の女性を生涯かけて幸せにすると決められるだろうか、いや決められるはずもなし。」とフラッシュモブに参加してくれたエキストラの方々の目もはばからず一蹴されることは目に見えている。
とはいえ、先に反論しておきたいのだが、確かに"半分こ"が嫌いとは言え、「一口ちょうだい」に対しては何とも思わない。
嘘ではない。
「遠慮せんで食べや?」と恵まれた体格を生かした笑顔で進言できる。
ただ。
ただ、「一口もらったから、私のも一口あげる!」という言葉に対しては、桃太郎もびっくり鬼の形相で拒絶する。
たとえ、彼女が”一口”という曖昧な定義を逆手に取り、僕の皿上を跡形もない状態へと変えてしまったとしても、僕は口の周りにクリームをつけたえくぼがチャーミングなショートカットの彼女にケーキを分けてもらうことはない。
決して、ない。
それはなぜか。
僕が潔癖症だからということではない。
”覚悟を決めた”からである。
ケーキ屋さんで、たとえどれだけ時間がかかろうが、あまりの遅さに彼女がリスの如く頬を膨らませこちらに不満をひけらしてこようが、店内にROCK IN JAPANよろしく重低音でホタルノヒカリが鳴り響こうが、僕は熟考に熟考を重ねた上に”覚悟を決めた”からである。
ゆえに、「今日はミルクレープを食べる」と”覚悟を決めた”手前、彼女のガトーショコラを頂戴するなんて愚行を犯せば、笑顔で接客してくれたケーキ屋さんのゆるふわ系の店員さんに合わせる顔がないのである。
そんなこんなで、僕は”半分こ”をしない。
人は生きている間に幾度となく分岐点に立たされる。
日々の生活においては、「何のケーキを食べよう」「今日の予定はどうしよう」といった小さな分岐点の連続に過ぎない。
しかし、時に今後の将来を左右する大きな分岐点に立たされる。
僕の反省を踏まえて、受験を控える読者の方々に伝えたい。
僕自身もこれまで高校受験・大学受験という大きな分岐点に立ってきた。
勉強が苦手にも関わらず、曲がりなりにも志望校を決めて勉強した。
結果は、高校・大学受験のどちらも失敗した。
要因はいろいろとあるだろうが、決定的なことが1つある。
覚悟を決めなかったからである。
未熟でただでさえバカな僕は、数ある学校から”選択肢を決めた”だけであって、”覚悟を決めた”わけではなかった。
微妙な言葉のニュアンスの違いに感じるが、「選択する」と「覚悟する」とでは、熱量も質も全く異なる。
「選択する」とは、「この学校を志望校に決める」ということである。
「覚悟する」とは、「この学校に絶対行くためにすべてを捧げる」ということである。
今一度、自分は大きな分岐点で「選択」したのか、「覚悟」したのかを考えてみて欲しい。
精神的に不安定な時期には、どうしても周りの声が気になってしまうだろう。
そんな時こそ、自分の想いと向き合って欲しい。
周りの”甘美な言葉”に惑わされないで欲しい。
スイーツだけに。
水瀬