茅ヶ崎とサザン
みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。今日は最近にしては珍しく晴れていましたが、蒸し暑くなり、晴れたら晴れたで大変ですね。7月下旬なので、暑くて当然といえばそれまでですが。
今日はボクのふるさとの茅ヶ崎と、サザンオールスターズについて書いてみようと思います。
ちなみにご周知のとおりサザンオールスターズの人気はすさまじく、既に推定5000万人のファン、40年以上のキャリアから、中には推定1万回以上もライブを観ている強者もおり、その方たちから見れば、古市さんがプロ野球を語るくらい薄味に感じると思われますが、あらかじめご了承ください。
①茅ヶ崎とは
今ではすっかり「湘南の中心」のように扱われるようになりました茅ヶ崎は昭和29年だかに6つの村が合併してできた市であり、藤沢や平塚の間にあり、東海道宿ではありません。太平洋戦争では、アメリカが日本の人口の多い市を空襲しましたが、狙われることなく、空襲の被害はなかったようです。それゆえに戦前に区画が残り、道路狭いです。車が走りづらく、自転車タウンで「まるで中国」と言われていました(今や中国は発展して自転車の国ではないですが)。烏帽子岩のある海と、ディスカウントストア「ダイクマ(本社平塚で既に破産)」しかない街でした。
②エピソード自慢
茅ヶ崎市出身なのは、サザンのメンバーでは、桑田佳祐さんだけです。
現在の茅ヶ崎には、サザン通り、サザンビーチ、等サザンという名のモノがたくさんあります。まさに桑田先輩をはじめとするサザンオールスターズのおかげです。
茅ヶ崎出身らしく、桑田さんにまつわる薄味のエピソードを書いてみます。
ボクの通っていた中学校の理科の先生の姉貴が、桑田さんと学生時代の同級生だったらしく、若い頃からヤンチャだったらしい(詳細不明)
ボクの通っていた小学校近くに、家と兼用事務所がありました(桑田さんをみかけたことは一度もないですが)。
以上です。
③砂混じりの茅ヶ崎
サザンのデビュー曲の「勝手にシンドバット」のイントロで、「砂交じりの茅ヶ崎」という有名な歌詞がありますが、リアルに経験しています。
ボクが小学校の頃、海沿いにファーストキッチンがあったのですが、出入りする客のせいで、床が砂だらけで,とても汚かったのをよく覚えています。「砂交じりの茅ヶ崎」は、ボクの中では「オシャレな湘南」ではなく、「汚くて撤退したファーストキッチン」なのです。
④みんなのうた ー 応援歌
サザンは桑田さんと原由子さんの結婚、出産で、活動を一時休み、再開したときのヒット曲。ボクは中学生で、運動会の応援歌でした。歌詞に、「街並みはブルー」というのがでてくるのですが、緑組だったので、替え歌で「街並みはグリーン」でした。この曲を聴くと、未だにボクの頭の中は、グリーンと、砂ぼこりの激しかった中学校のグラウンドを思い出してしまいます。
※書いていて、この類のエピソードは誰にでもあり、茅ヶ崎は全く関係ないと途中で気づきましたが、続けてしまいました。
⑤ミレニアム茅ヶ崎ライブ
2000年の春ごろでした。茅ヶ崎駅のペデストリアルデッキで、有志の人たちが署名活動していました。のぼりには「サザンオールスターズを茅ヶ崎に呼ぼう」と書いてありました。 ボクは「サザンが茅ヶ崎に来るわけないだろう、最も観客を多く呼べる球場だって、あんなにボロいんだから、アホか!」と思って、署名しませんでした。
しばらくすると、「サザンが茅ヶ崎でライブ決定!」と聞き、まさかと大変驚きました。
ボクがバカにした球場は本当にボロく、スコアボードは得点の欄しかないし、普段から人が中に入れてしまい、客席が石でできていて、浪人時代、青少年会館で勉強して、昼になるとホカ弁を買って、無断で球場のスタンドに入り込み、食べていたほどのセキュリティの緩さ。
だだ、松坂の横浜高校が甲子園春夏連覇した1998年、ついでに神奈川国体も優勝していましたが、硬式ではなく、軟式野球の会場に茅ヶ崎の球場がなり、大幅に改修されて、この時は既に一応きれいな野球場にはなっていました。
サザンの凱旋にボクよりも両親が大興奮し、チケット争奪戦が繰り広げられました。抽選で「茅ヶ崎市民枠」というのがあり、両親がボクに、「アンタの名前も使うからね」と勝手に使われましたが、結局、「はずれ」と用紙に書いてありました。
ライブはたしかWOWWOWかなんかで生中継され、両親は友人宅で酒を飲みながら、楽しんでいました。ボクは、米国・シカゴに一人旅を一週間行い、帰国した翌日だったのですが、たまたま茅ヶ崎駅に行くと、ライブを観に来る客がたくさん来ており、おそらく茅ヶ崎駅創設以来、最大の人手ではないか、と思えるくらいのすさまじい数の人が駅周辺にいました。
ちなみにこの年リリースしたTSUMAMIでサザンは念願のレコード大賞を受賞。
「ホテルパシフィック」という曲もリリースしていますが、茅ヶ崎にパシフィックホテルという巨大な海辺のホテルが、1960年か70年頃にオープンし、わずか数年で閉館してしまったのですが、その建物は、その後も何十年も残り、茅ヶ崎市民には有名だったのですが、桑田さんからのプレゼントのようでした。ボクは高校時代陸上部で、高校から、海辺のサイクリングロードを冬は練習でよく走ったのですが、今日は「パシまで往復」などといって、折り返し地点の目印代わりに使っていたので、この曲は、僕にとっては、友人に自慢できて、鼻高々でした。
⑥ 横浜アリーナ年越し~日産スタジアムライブ~東京VICTORY
名前から言って、もはや茅ヶ崎は関係ないですね。
僕は1回だけ、横浜アリーナのライブで桑田さんを見ています。と言っても客ではなく、大学時代にイベントスタッフのバイトをしていて、会場の係員としてですが。しかも本番ではなく、リハーサルでした。曲は流れ続けるのですが、たまに歌いだして、やめて、またしばらくして歌う、みたいなことをされていました。
”超大物サザン””は、茅ヶ崎どころか、日産スタジアムの日本一キャパの会場でも超満員のライブを行い、そのライブのDVDを親にプレゼントしたら、喜んでいました。
ミュージシャンの人たちは曲をリリースし、ライブで披露するいわゆる「アウトプット」が多いと思います。サザンは長い活動の中で、充電期間を設けたり、桑田さんはソロ活動をしたり、いろいろとインプットをしているように見えて、これはとても参考になります。素晴らしいバンドやグループが解散してしまうことは多いですが、これだけ長くトップでいられるのは、凄すぎますね。ドラマの主題歌だったり、文学的な歌詞だったり、エロスの世界だったり、範囲も広い。「東京VICTORY」って、東京五輪のテーマソングと思ってしまいそうですが、2014年にリリースしてるんですね。
最後に、ボクが都内の大学に通い始めてから、ずっと、出身は?と聞かれ、「茅ヶ崎です」と答えると、かなり高い確率で、「いいところだね、サザン、サーフィン」と言われます。最初に書いたとおり、何もない街だったのに、好印象をもたれてしまうというありがたい現象(追い風5mで100mを走るみたいな)が続いています。
これらはみな、桑田先輩(およびサザンのメンバー)のおかげです。ありがとうございました。
では、また。